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順天堂は学祖佐藤泰然が、天保9(1838)年、江戸・薬研堀に設立したオランダ医学塾に端を発し、今に連がる日本最古の西洋医学塾であります。
江戸時代後期、攘夷・洋学排斥の動きもあり、江戸より下総佐倉(千葉県)に移った順天堂に、諸国諸藩より蘭医学者が参集し、「日新の医学、佐倉の林中より生ず」と今に語り継がれるが如き西洋医学研究、教育、そして臨床医学実践の場としての華が開いたのであります。
順天堂第二代堂主佐藤尚中は、明治新政府の要請を受け、佐倉より多数の門下生を率いて上京し、大学東校(東京大学医学部の前身)の初代校長として近代医学教育確立に尽力し、西洋医学教育最高学府(東京帝大医学部)の礎を固めました。一方、泰然の門下生で実子の良順は幕府御典医である松本家の養嗣子となり、徳川家茂・慶喜、篤姫などの主治医となりました。長崎留学中には蘭医ポンペに学び、協力して小島養生所(日本初の西洋式病院)を作りその頭取となりました。これが長崎大学医学部の発祥となります。松本良順は西洋医学所頭取として幕府軍医の責任者となりますが、維新後には初代陸軍軍医総監となり軍医制度を整備します。また、民間公衆衛生の啓蒙を行うほか、牛肉、牛乳等の滋養食を奨励、海水浴、大気浴等の健康効果を提唱し、予防医学、スポーツ医学の普及にも努めました。
第三代堂主となる佐藤進は、明治新政府発行の旅券第一号をもってベルリン大学医学部に留学し、アジアで最初の欧米医学校の正式の卒業生となり、帰国後、本邦における西洋医学教育普及のリーダーとなりました。佐藤進は、日清・日露両戦役の陸軍軍医総監となり、国難に対峙し、清国の李鴻章主席より「国手」の称号を贈られます。
順天堂は爾来、心技ともに優秀な医師・医学者を輩出し、最新の医学、医療看護学、そして心身を鍛えるスポーツ健康科学の道を切り拓きつつ、国際的な健康総合大学・大学院大学へと発展してきました。
現在に至るまで順天堂の伝統とする理念は「不断前進」であります。この理念の下、自由な競争環境にこそ活気ある教育研究活動が常に前向きに展開されるという建学の精神が伝承され、旧設医大の中で全くと言ってよいほどに学閥がなく、優秀な人材であれば出身校を問わず任用され、活動の場が与えられるという学風が確立されております。
順天堂に集う者すべてが、この学風を理解、享受し、自己研鑽と競争原理と相互信頼のもとに順天堂人としての連帯感が涵養され、高い倫理観に基づく教育研究活動が実践されています。
これらの根本にあるのが、学是「仁」であります。「人在りて我在り、他を思いやり、慈しむ心。これ即ち『仁』」。本学の校章は、「仁」を意匠化したもので、順天堂に集う者すべてが目指す学是であります。
2011年4月吉日
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