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医療看護学部看護学科
 
- Kudo Ayako -
 
工藤 綾子 先生
Vol.17 2017.12

工藤綾子先生

(取材場所:浦安キャンパス学術メディアセンター(図書館))
今回は医療看護学部の工藤綾子先生にインタビューさせていただきました。

将来の夢は服飾デザイナーに/准看護師から看護師へ

私は青森弘前市の出身です。中学生時代、東京では山本寛斎さんや高田賢三さんなど若手デザイナーが日本から世界へと飛び出していました。私も服飾デザイナーに憧れていましたが飛び出し方が分かりませんでした。現実的に将来を考えた時に「これからの女性は手に職を付けなければ」と思い、当時看護師従事者の不足という社会背景の中で、「一番早く看護師になれる」というキャッチフレーズの地元の高校の衛生看護科に進学しました。
准看護師の資格を取って順天堂に入職すると同時に進学課程に進みました。看護師は医師の指示、准看護士は看護師の指示の下で働きます。当時は順天堂医院にも大勢の准看護師が働いていました。
順天堂医院の内科病棟で准看護師として働きながら旧8号館(現在は新研究棟を建設中)にあった順天堂看護専門学校の別科(夜学)に通いました。勉強が終わって真夜中の12時から夜勤という日もありました。学業と仕事の両立は大変でしたが、試験が近くなると先輩たちが「勉強していて良いわよ」と夜勤中の職場で勉強させてくれたりしました。
先輩たちの多くも順天堂の卒業生でしたし、働きながら勉強している私達後輩への配慮をしてくださったんだと思います。いま思うと本当に恵まれた環境で、感謝しかありません。そうして国家試験に合格し、晴れて看護師になりました。
今はとても「専門性」を重視する時代で、学生もとても目的意識が強く、自分で調べ「小児の看護をしたい」「助産師をしたい」とかなり具体的な目標を持って入学してきますが、私の頃はまだ看護師の専門性が問われる時代ではなく、「配属先が自分の専門」という時代でした。

看護師になった私が配属されたのは外科系の混合病棟でした。一般外科から胸部外科、小児外科、泌尿器外科、麻酔科、放射線科、皮膚科…ありとあらゆる科が入っていて、いま思うと貴重な経験をさせてもらったと思います。ひとつの疾患に特化した看護を深く極めることはできなかったかもしれませんが、様々な病気を抱えた多くの患者さんと関わることができ、その時に得た経験が視野を広げ教育の場でも活きていると思います。この時期に私は「看護とは何か」を学んだように思いますし、その経験が私をずっと看護の世界につなぎ留めている理由だと思います。

『聞いてください看護師さん』/「私で良ければ最期まで」

私自身反省すべき点なのですが、「できる看護師」というのは医師の指示や患者さんのケアを時間内に確実にこなせる看護師であるという意識を心のどこかに持ちながら仕事をしていた時期がありました。
看護師になって5年目、職場ではリーダーシップを取りながら「私は看護の仕事をきちんとできている」と自負していた頃、看護協会の1週間の研修に参加させていただきました。
当時、岡堂哲雄先生や柏木哲夫先生が中心となり、がん患者さんの痛みや苦痛に対する緩和ケア、ホスピス等が広がり始めた時期で、精神的な看護の重要性やターミナルケアなど、患者さん中心の看護の重要性が叫ばれていました。その研修を受けた時に、今まで臨床の中で見えていなかった部分、あるいは自分が本当は気づいていながらも気づかないフリをしていたのかもしれない部分に気づかされました。

岡堂先生がジョイス・トラベルビーの『人間対人間の看護』の最初に収録されている『聞いてください看護師さん』という詩を紹介してくれました。その詩の朗読を聞いた時に涙が止まらなくて、顔を上げられませんでした。詩を聴きながら病棟で亡くなった患者さんたちの顔がひとり一人浮かんできて、「今まで私は本当に看護をしていたのか?」「患者さんの死にどう向き合ってきたのか」と真正面から問われた瞬間でした。二十歳という若い時から人の死を見ていて、私は多分、逃げてはいけない「死」から逃げていたのです。そのことに気づかせてくれたのがこの研修でした。
この研修を受けて、私は一つの言葉を持つことができました。「私で良ければ最期まで」という決意の言葉でした。それまでは、重病患者を一人受け持つと、担当している他の患者さんにも影響が出て、ケアする時間が足りなくなると思っていました。しかし、研修後はどんなに忙しくても「私で良ければ」という思いで一人ひとりに向き合う姿勢で対応するようになりました。そのようにしても、それまでと同じように確実に時間内に仕事ができる自分を再確認できたんです。ですから、私が真の意味で自分が大事と考える看護を実践できたのは5年目の研修を受けた時からだったと思います。

意識が変われば行動が変わる/授業は真剣勝負

研修を受けて私の意識が変わり、「私の看護」が変わりました。当時、患者さんの死の場面では患者さんのご家族に一旦病室から退室していただき、医師による死亡宣告の後で再入室して、患者さんの心音が聞こえないことを確認していただくのが普通でした。それが、患者さんの最期の時までご家族に付き添っていただき、「まだ温かいですよ、さすってあげてください」と言えるようになりました。人は意識が変われば行動が変わるということですね。
いくら言葉を尽くして助言されたとしても、本人の意識が変わらなければそう簡単に人は変わりません。研修のたった一遍の詩で人の意識が変わるという実体験は今、自分の授業への向き合い方につながっています。私のどんな言葉で、学生の意識が広がり、変化するのだろうか。授業は常に学生との真剣勝負だと思って挑んでいます。私の臨床での看護師経験は7年間と短いものですが、向き合った何百名の患者さんとの実体験は真実ですので、それに基づく私の言葉は強いと思います。

教員になって/順天堂の看護学教育の変化

27歳の時、私は、専門学校で教わった教務主任の先生からお声をかけていただいて教員になりました。当時は臨床を続けたいと思っていたので2回お断りしたのですが、「どうしてもあなたが必要」と言われ、自分の経験から学んだことや失敗したことを伝えることで後輩となる学生の役に立てるならと思い教員の道へと入りました。
私が学んだ順天堂看護専門学校はやがて昼と夜のコースが1つになり、平成元年からは順天堂医療短期大学(3年制)に、平成16年には順天堂大学の医療看護学部(4年制)へと発展し、そして平成19年には大学院医療看護学研究科が開設されました。この大きな体制の変化の中で私の人生も変わってきました。

3年生の看護研究指導

3年生の看護研究指導
当初、専門学校では「基礎看護学」を担当しました。短期大学では「成人看護学」から独立した「高齢者看護学」の担当を任されました。大学院が開設された時には「基礎看護学」の中の「感染看護学」を教えた経験を買われ、これも担当することになりました。人には自分が立てた目標に向かって進む(能動的な)運命と、人に求められ必要とされて、引き受けざるを得ない(受動的な)運命があるように思います。私は「この分野をやりたい」と自分から希望した事は一度も無く、全て組織の中で必要とされ、受け入れて今があります。

高齢者看護学、感染制御看護学そして災害看護学

今、医療看護学部では「高齢者看護学」の中の「概論」と「方法論」、そして「感染看護学」、「災害看護学」、大学院では「感染看護学」分野を専門としています。
「高齢者看護学」は65歳以上の方を対象とした看護学です。今は65歳以上でも若々しく第一線で活躍されている人も多いので、「65歳以上を高齢者」と言ってしまって良いのか、という議論もあります。「高齢者看護学」は元々「成人看護学」の一部でしたが、高齢化に伴い、高齢者の特徴を踏まえた看護の必要性が生じたことで「成人看護学」から派生した分野です。

ディベート重視の高齢者看護学「概論」/学生に新しい“高齢者観”を

現行カリキュラムでは2年生の前期から「概論」を学びます。この授業は「高齢者とはどういう存在なのか」を学生が考え、自分の言葉で表現できるまでしっかりと理解してもらうための重要な授業です。
高齢者と同居している学生は減っていますが、学生には「概論」を通して「高齢者」をより具体的にイメージできるように、より深く知ってもらい、高齢者は介助が必要な弱い存在ではなく、私達と一緒に今を生きている存在だという“高齢者観”をしっかり持ってもらいたいと思い、工夫しながら授業を行っています。工夫の1つとして、以前からディベートを取り入れ、1学年200名全員の考えや意見を引き出しながら授業の展開をしています。
例えば《老いること》について、「老い」は人間の一生に必要なものと考える“賛成派”、少しでも若々しく生きようと「老い」に抵抗する“否定派”、という風に様々な意見を出して議論をしてもらいます。《高齢者同士の結婚》というテーマでは、連れ合いを亡くした方や独り暮らしの高齢者が新たな伴侶との結婚に踏み切る事に賛成か反対か、など。学生からは、「孤独死が減るので良い」「籍を入れずにパートナーとして同居すれば良い」というような様々な意見が出てきます。他にも、《自分は将来老人ホーム派か、それとも在宅介護派か》など、ディベートのテーマは尽きません。
時々ニュースとなる《高齢者への差別や虐待》も、「概論」の重要なテーマの1つです。「私は高齢者を差別していない」と思っている学生は多いのですが、心のどこかに「私は若いからお年寄りと違う」という意識があるのではないかとも思っています。自分の差別意識に気づき、なぜ違うと思うのか考えて欲しいと思い授業で取り上げています。自分が持つ差別意識を自覚し、皆の意見を聞いて更に考えることで、学生には新しい“高齢者観”を持ってもらえるのではないかと思っています。

高齢者は身近な存在/身近な大人へのインタビューと将来設計

自分の考えを1枚のレポートにまとめる事は大切な学びになると思いますので、「概論」では夏休みに4種類の課題を出しています。1学年200名、合計800枚のレポート全てに必ず目を通しコメントをして学生に返却しますので私にとっても大変な時間を必要とします。(笑)

華道部のお稽古

華道部のお稽古
その1つに「老いは身近な事」だと理解してもらうことを狙いとして、身近な大人へのインタビューをしてもらうレポート課題があります。身近な方の「理想の老後」を聞いて文章にまとめることで、おそらく初めて自分の親も「老いる存在」であることを意識し、「私は親の老いや介護に対してどうやって向き合っていけば良いのか」ということを考えるきっかけになっている学生もいます。そして「私自身もやがて老いる存在」ということも気づくでしょう。この学びは必ず学生本人の将来設計や生活にも反映されると思います。
他に『自分のライフサイクルと未来の社会を考える』という課題もあり、「私は27歳で結婚して出産、30歳で大学院入学、何歳から再び看護師として働き、老後は海外に住む…」と夢や目標を描く学生や、将来は「人類は月で生活している」、「現在の介護保険が破綻してこうなっている」という未来社会を思い描く学生もいます。これは、知識と情報を駆使して具体的に将来を考える課題で、「自分も老いる」ということを具体的にイメージするのに非常に適していると思います。

高齢者への「感染看護学」

3年生の選択科目と大学院で「感染看護学」を担当しています。免疫力が落ち、弱っていると感染症にかかり易くなります。一般的に高齢者は感染症にかかり易い存在で、高齢者が健康を維持していくためには「感染症にかからない」ことが非常に重要です。高齢になると介護老人保健施設(老健)や特別養護老人ホーム(特養)、グループホームなどの施設での集団生活を送る場合がありますが、集団生活では感染の危険度も高まりますので、その場に応じた感染症対策を考えて実行することが重要です。ですから、学生にも感染看護学の重要性をきちんと理解してもらいたいと思っています。

災害看護/被災者の健康と生活の質の改善を

4年生には災害によって避難所でやむなく集団生活を送ることになった方々への看護、「災害看護学」を担当しています。
私が災害看護学に興味を持ったのは、テレビの避難所の映像でした。皆さんもイメージできると思いますが避難所の映像はいつも似通っていて、一カ所に大勢が集まり、年老いた方たちがほとんど動かずに生活しています。何年経っても避難所の映像はだいたい同じです。私は「被災者こそ生活の質を確保しなければならない」と考えていましたので、なぜあの状況が変わらないのかと疑問を持ちました。
災害看護学を語るには現場を知らなければいけないと思い、今まで各地の避難所に足を運んで自分の眼で確かめてきました。1991年6月の雲仙普賢岳の大噴火の際は現地に入れず、後日、現場を詳しく見せていただきました。災害看護学を研究する原点となったのはやはり、日本中に衝撃を与えた1995年1月の阪神・淡路大震災です。現地には3、4回入らせていただき、研修にも参加させていただいて本当に多くを学びました。
2003年5月の宮城県沖地震と2007年3月の能登半島地震の避難所にも入らせていただきました。また、2007年7月に柏崎で起きた新潟県中越沖地震と2016年4月の熊本地震でもボランティアで現地に入らせていただいています。
2007年(平成19年)に文部科学省科学研究費(挑戦的萌芽研究)で行った『災害地における感染症予防対策の構築』という研究の中で、全国の行政、都道府県・市にアンケート調査をしましたが、その結果当時行政側には感染症に対する知識がほとんど無いことが判りました。

柏崎の仮設住宅

2007年に訪れた柏崎市の仮設住宅
避難所生活で最も肺炎にかかり易いのは高齢者です。感染症の予防対策では大勢の人を「いかに早く分散させるか」が最も重要ですが、行政にとっては「いかに把握するか」も重要です。被災者を一カ所にまとめた方が把握も管理もしやすくなりますが、その結果、被災者を分散できず、高齢者は感染の危険に曝されながらの避難所生活を強いられているのです。研究の結果、行政の利便性よりも被災者の分散を優先しなければ、避難所の被災者の健康と生活の質が改善されないということが見えてきました。

研究者であり教育者である/語り部のように伝えていきたい

熊本地震で被災された方が「語り部」として地震の記憶を未来に伝えていくという活動をされていますが、私も語り部のように、過去の災害地での避難所の状況や問題点について、現場の実態を把握し調査結果と合わせて、学生にできるだけ正確に伝えていきたいと思っています。

「高齢者看護学」、「感染看護学」、「災害看護学」は一見バラバラな3つの分野に見えると思いますが、ここまでお話ししたように私の中では1本に繋がっています。そしてリアリティのある教育をするには、研究テーマに正面から向き合い、研究で得たものを教育現場に還元して学生の意識を高めていくという作業が不可欠で、「研究」と「教育」は車の両輪のようなものです。

患者さんの声を「十四分に、一心に、心を込めて聴く」

「きく」には「聞く」と「聴く」があります。「聴」は旧字体で「聽」と書きます。耳偏に「王」、「十四」と書いて「心」の上に「一」があります。
「十二分どころか十四分に、一心に、心を込めて聴く」んですね。一方、「聞」は知りたいことには門を開いて耳を傾けますが、聞きたくない情報は耳に入れないという字です。どちらが良い悪いということではなく、どちらの「きく」も大切です。ただ学生には、看護師として患者さんと向き合う時には「聴く」ことが必要だよね、と言っています。何かに気を取られながら聞いていたら、患者さんの話は半分しか耳に入らないかもしれませんし、些細だけれど重要な変化に気づかないかもしれません。患者さんのことをしっかりと知って適切なケアをするためには、「聴く」ことを大切にしてほしいと思っています。

医療看護学部

「短大から医療看護学部になる時、稲冨惠子学部長(当時)が私の夢を覚えていてくださって、新しい学生の実習着のデザインを任されました。学生から好評なのでとても嬉しいです。綺麗に着こなしてくれていると嬉しいのだけど!」

看護師に必要な力

学生もいろんな失敗をすると思いますが、失敗を恐れずに経験に繋げていく力が大事だと思います。学生の皆さんには、自らの失敗をどう糧にできるかということを考えて、看護職の道を歩んでいってほしいなと思っています。

看護学。正解が1つではない学問

台湾Ikebana International:赤富士、松風花道会7名による合作

台湾Ikebana International:赤富士、松風花道会7名による合作
看護は正解が1つの学問ではありません。もちろん、守るべきルールと抑えるポイントは大前提としてありますが、患者さん一人ひとりのお顔が違うように、必要な看護が違うはずです。私は私なりの答えを持っていますが、それは私の経験の中で私が得てきたものですから、学生の考えを制約してしまう可能性があります。ですから「こうあるべき」という私なりの答えを押し付けることはしません。まずは、学生は学生の立場で正しいと思う考えを持つことが大事だと思います。学生には考えて悩んで、自分なりの答えを導きだしてもらうことが必要だと考えています。

独自性のある新しいカリキュラムに向けて

現在、平成30年を目途にカリキュラムの改訂をしています。新カリキュラムでは1年生の後期から「高齢者看護学概論」を学ぶことになります。1年生という早い時期から専門科目を学び、馴染んで理解を深めてもらうことで、看護師へのモチベーションを高めてもらおうという狙いです。
医療看護学部看護学科 工藤 綾子 先生 経歴
1976年 順天堂高等看護学校別科卒業、同年看護婦免許取得。
1991年 放送大学教養学部教養学科卒業。
2004年 大正大学院人間学研究科社会福祉学専攻(博士前期課程)修了。順天堂大学医療看護学部基礎看護学助教授就任。
2007年同大学院医療看護学科研究科看護学専攻准教授。
同年 博士(医学)取得。「博士論文題名:在宅医療廃棄物適正処理のための訪問看護ステーションおける教育的課題」
2008年同大学医療看護学部高齢者看護学教授を経て、2017年4月より医療看護学部学部長。

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