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スポーツ健康科学部スポーツ科学科
 
- Harada Mutsumi -
 
原田 睦巳 先生
Vol.14 2016.9

原田先生

今回はスポーツ健康科学部の原田睦巳先生にインタビューさせていただきました。

教員志望の学生の“引き出し”を増やす=「想像力と思考力」を育てる

私の専門は体操競技と器械運動です。昨年末から加納 實先生(前 学部長)から引き継いで座学も教えていますが、基本的には実技を教えています。

原田先生

「器械運動」は教職関連科目なので、「学生が先生になった時にきちんと教えられるための基本を作る」ことを目的とした授業です。文部科学省の定めた学習指導要領で習得する技が決まっているので、授業はそれを軸にして進めています。授業ではレベル別に学生をグループ分けし、スタッフが指導するようにしています。
「器械運動」は教え方と評価の方法が難しい授業です。例えば、陸上競技は速い遅いという差はあっても、走ることはできますし、幅跳びも真似できると思います。でも、器械運動では、例えば倒立はできる子とできない子がはっきりしています。器械運動は真似してすぐにできる動きではないので、それを授業の中で習得する難しさがあります。でも、技ができないと「どうすればできるようになるだろう」と考えますよね、これが必要だと思っています。想像し、考えて上達するという経験によって、将来、できない子の立場に立って色々なアドバイスや指導ができる教員になれると思うんです。できない学生にとっては、できるようになる“引き出し”を、すでにできる学生には、「さらに上手になる」“引き出し”が増やせる授業ですね。

跳び箱は「美しく跳ぶ」競技

跳び箱の新しい教え方に気が付いて、今年度から授業で実施しているのですが、その方法が意外と成功しているんです。私自身は跳び箱は「走って跳ぶ」と教わりましたが、この授業では助走はするけれど「走らないで」と教えたら跳ぶ形が綺麗になりました。

授業風景

走ると走った勢いに任せて「馬」を跨ぎ越すだけになってしまうのですが、跳び箱というのはあの「馬」を使って“いかに優雅に跳ぶか”という競技なんです。 走ってスピードが上がると跳び箱が障害物として立ちはだかるイメージで怖く感じるのですが、“跳び箱に跳び乗る”、そして“跨ぐ”、そんなイメージで教えるようにしたら上手くいきました。

授業風景

忍者になりたい!

原田先生

私は京都の出身で、体操を始めたきっかけは6つ離れた兄の影響でした。物心がついた時には兄が地元の民間のスポーツクラブでバク転などしていたので、「僕もやりたい」と体操を始めました。体操選手には多いのですが、当時は「忍者になりたい」と思っていました。そのクラブでは色々な技をどんどん教えてくれたので、新しい技や、他の人ができない難しい技をマスターするのが楽しかったです。

中学校も体操部で、基礎を大切にする厳しい先生に教わりました。新しい技の習得よりも、基礎の柔軟運動や倒立の練習ばかりで、正しいポジション(姿勢)に修正することに多くの時間を割きました。楽しくはありませんでしたが、「強く、上手くなるにはこれが必要」と言われて納得してストイックに練習していました。その先生のご縁もあって、中学卒業後は体操の強い洛南高校に進学しました。

思う存分、体操がしたい!

関西、近畿には体操で強い大学が無く、大学は関東にと思っていました。当時から強豪の日体大、それから筑波と順天堂、この3校で悩みました。当時の順天堂はインカレで万年4位、メダルにあと少しという状態でした。私自身はある程度の競技成績があったので、自惚れているわけではありませんが、「もっと強くなりたい」、「自分が順天堂に入って順天堂の体操競技部が強くなる“核”になれたら良いな」という思いがありました。それに我々の時代、強豪校は上下関係が非常に厳しかったり、単純に部員が多くて思う存分練習できないということを聞くこともありました。その点、順天堂はすごくフレンドリーで、自由に練習できそうだったことが、順天堂進学を決めた大きな決め手だったと思います。

寮生活/食生活/みんなは真似しないでね

順天堂の啓心寮に入り、初めて親元を離れましたが、ホームシックになることもなく、楽しかったです。ただ、食事や身の回りのことは全て自分でするという当たり前のことが大変で、改めて親の有難味を知りました。
食生活は無茶苦茶でしたね。食堂は20時半で閉まるんですが、体操競技部の練習が終わるのは21時。食堂にはカレーくらいしか残っていなくて、3食カレーが3日間くらい続いたこともありました。学生には真似しないでもらいたいのですが。でも「あるものを食べる生活」で好き嫌いを克服しました。(笑)
2年生からは体操競技部の寮で過ごしました。さくらキャンパスの近くにあるアパートを丸々体操競技部で借り上げて部員が住んでいるので「寮」と呼んでいます。循環式でいつでも入れる共用のお風呂がありました。体操競技部の寮では自炊ですが、持ち回りで作ったりしていました。不思議なことに必ず1人は料理ができるマメな奴がいましたね。
練習が終わるのが21時、アイシングやストレッチをして体育館を出る頃には22時、遅い夕食をとって入浴して、次の日は朝から授業。土日には競技会で、暇があったら間違いなく「寝させてください」というくらい、クタクタでした。
でも寮生活は本当に楽しかったです。だから大学院を修了して寮を出る時はとても寂しかったことを覚えています。

オリンピックを目指す日々

平成12年(2000年)に大学院を修了し、「1年間シドニーオリンピックを目指して競技に集中したい」と親に了解をもらっていたところ、セントラルスポーツ株式会社に手を差し伸べてもらい、4月からアスリート社員になりました。
社員になってからも、キャンパス周辺のアパートを借りて、大学の体育館で一日中練習に打ち込んでいました。オリンピック前でナーバスになっていたので、練習環境を変えずに済んだのはとても有り難かったです。
会社では月に一度、所属部署の定例会議に出席することもあれば、大会の経費や予算を自分で申請するため、稟議書を作成したりすることもありました。社会人として世の中の仕組みを学ばせていただく良い機会になったと思っています。

夢のオリンピックと修士論文/密度の濃い半年間

オリンピックは、何か月も前から非常に緊張したのを覚えています。年齢的にオリンピックに出れる最初で最後のチャンスだと思っていました。大学院最終学年の修士論文で忙しい中でしたが、体操について後悔したくなかったのでかなり練習を重ねました。

オリンピックの選考会を兼ねたNHK杯に出た時のことは、緊張してほとんど覚えていませんし、食事もろくにできなかったような気がします。結果としてオリンピックへの出場が決まって、そこからオリンピックまではとにかく練習漬けでした。

ポスター

第35回世界体操選手権大会のポスター(右下が原田先生)

日の丸の重み/シドニーオリンピックの思い出

オリンピックで一番覚えているのは、「0.1差でメダルを逃した」ということですね。あと少しでメダルに届いたのに、目の前でスッと無くなった感じで。本当に悔しかったです。
やはり日の丸をつけて世界と闘うというのは結果を求められてしかるべきだと思うし、たぶん、そのために皆も応援してくれていると思うんです。「オリンピックは出ることに意義がある」と言いますが、個人的な感覚としてはやはり結果を残さないとダメだと思っていたので、自分自身がそれを果たせなかったことが不甲斐なくて本当に悔しかったですね。結果を残したかったです。

トロフィー等

選手から教員へ

平成15年に選手を引退し、セントラルスポーツ社を退職して私は順天堂の体操競技部のコーチになり、同時にアテネオリンピックなどの日本チームのコーチも務めるようになりました。

指導者になった頃は、指導者は学生との間に一線を引かなければという意識が強烈にあったため、それが原因で学生とぶつかりました。「今まで仲良くお兄さんみたいだったのに、何で急にそんな風になるんですか」という感じで反発にあいました。学生が、「先生、どう考えてるんですか!」とこの研究室に詰め寄って来たこともありました。衝撃でしたね。でもそれを通して学生が求めていることと自分がしなければいけないことの差がすごくあるんだなということがわかり、緩やかに変わっていく必要性を学びました。
当時はその年の東日本インカレで順位が落ちてしまったこともあり、チームをなんとか強くしなければいけないという思いが強く、切迫した心境でした。思い詰めてしまって体調を崩し、入院までしました。でも退院後はもう前に進むしかないなと思って。当時は体操競技部のことだけではなく、日本代表の選手たちのサポートもありましたし、授業では助手として働いていて業務も様々たくさんあったので。

アメリカ学生指導経験

その後1年間、アメリカのスタンフォード大学の体操競技部のアシスタントコーチになりました。彼らは徹底的な合理主義者なんでしょうね。例えば「10回これをやりなさい」と言うと「どうしたらうまくいくのかな」と考えたり工夫したりはせずに単純に10回やるだけなんですね。「1回でいいから本当に集中してやってみて」と言ったことも何度もありました。彼らは「僕たちとは全然違う感性だ」と楽しんでやってましたが。スタンフォード大学での経験を通して、選手と指導者の関わりあい方やコミュニケーションの取り方について今までとは違った視点を持てるようになりました。

教え方を模索/考えて行動することの大切さ

毎年新しい学生が入ってきます。同じように指導しても個人個人、受け取り方が違うので教え方についていつも考えています。順天堂の体操競技部の中でも、世界トップのアスリート として活躍していく選手は本当に一握りで、女子部も頑張っていこうとしている中、「学生がスポーツや、競技をするのには何が大事なのか」と最近考えるようになりまし た。

原田先生

根本的には、「体操競技を頑張ること」は「人間としての成長」に繋がっていると思います。体操競技に限らないと思いますが、「クラブ」という小さな社会の中で自分の存在価値を自分自身で見出す必要性が出てきたり、みんなをサポートしていく必要性が出てきたり。この小さな社会の中で自分がどう動いて努力するのか、どう生きていくのか、ということを学ぶことができる場だと思います。トップアスリートの育成と同時に、これから社会に出ていく学生が、クラブ活動を通じて社会性を身につけ、人間として成長できることが大事だと思います。

トップアスリートには競技力だけではなく人間性も求められています。そのためにも普通の倫理観や、常識を身につけることの大切さに学生自ら気づいてほしいと思っています。
体操競技部では我々コーチは練習に口を出さないようにしています。それは、選手自ら考えて行動することが重要だと考えているからです。練習にしても、技の習得にしても、自分で考えてこそ強くなるし、自分で考え工夫し納得して出した答えだからこそ身につくと思います。
1~10まで指示に従わせる方法では、本人の考え方や技術の幅がそれ以上広がりません。そうなるとイレギュラーが起こった時に対応できなくなってしまいます。学生の試行錯誤を見守り、必要に応じてアドバイスをするのが我々コーチの仕事だと思います。

世界体操

2015年世界体操(英グラスゴー)にて。
左から田中佑典選手(コナミスポーツクラブ・H24年卒)、萱和磨選手(スポーツ健康科学部当時1年)、早坂尚人選手(同2年)、加藤凌平選手(同4年、現在コナミスポーツクラブ)、原田先生

順天堂の魅力

順天堂大学は、教員と学生がすごく近い大学ですね。先生が学生に対してすごく親身で、色んな意味でバックアップしてくれる、アットホームで自由な大学だと思います。教員、特にコーチング系はOBが多いですね。全国的なOBのネットワークもしっかりしています。大学時代に出会った先輩・後輩、同学年の仲間や教員との繋がりは、皆さんの一生の財産になると思います。
スポーツ健康科学部スポーツ科学科 原田 睦巳  先生 経歴
2000年順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科コーチング科学領域 修了
セントラルスポーツ株式会社、スタンフォード大学体操競技部 アシスタントコーチを経て2007年順天堂大学スポーツ健康科学部 助教、2013年より同 先任准教授

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