体験記

村井 謙治(総合診療科)

曲折経て国際学会で研究成果を発表
海外の一線研究者らとも交流
臨床医がマラリア薬剤耐性研究

 街路を駆け抜けるリキシャ(人力車)の硬めの座席に浅く腰かけ、街路へと物見高く眼を凝らすと、吹き抜ける微風が頬に心地良い。子どものころ、世界一人口密度の高い国と習ったバングラデシュの首都ダッカ。日中の気温が25℃程度、湿度60%台と過ごしやすい。乾季終盤を迎えた2014年2月に1週間、訪れることができた。日米医学協力計画の一環として開かれた「第16回環太平洋における新興感染症に関する国際会議」に出席するためだ。

予期しなかった基礎研究

 約6年前、市立病院で研修医を始めたころは基礎医学研究に直接かかわることなどまったく念頭になかった。ところが4年前、総合診療科へ入局後、大学院博士課程の研究目的で熱帯医学・寄生虫病学教室の扉を叩くことに。美田敏宏教授の指導の下、マラリア薬剤耐性に関する最先端の研究に加わることになるという、それまでは予想もしていなかった展開となった。

 バングラデシュでの国際学会で発表に至るまでの研究過程は少なからず曲折があった。ずいぶん前に薬学系大学院の修士課程で2年間、生化学の実験生活を送った経験があるとはいえ、「過去の出来事」でしかなかった。ふり返ると、修士課程修了後、研究とは無縁の仕事を経験し、医学部に再度入った後も「早く臨床現場に立ちたい」「患者を診ることのできる一線の臨床医になりたい」との思いに駆られており、基礎医学研究への関心は今一つだった。この点は周囲の多くの若い医学生と変わりなかった。

アフリカ東部ケニアの無医村での医療ボランティアに参加した筆者(左)。スワヒリ語を英語に通訳してもらい、患者さん(右手前)から病状を聞きカルテに書き込む。研修病院ではアフリカなどから帰国後、発症した熱帯熱マラリア患者を2例ほど経験はしていたが、あくまでも「稀な輸入症例」との意識だった。その後、総合診療科に所属するようになり、名古屋市に拠点を置くNGO「アサンテ・ナゴヤ」のアフリカ・ケニアでの医療ボランティアに参加し、現地で多くのマラリア患者に遭遇した。それより以前、別の仕事でブラジル駐在中、アマゾン地域の町ポルト・ベーリョの小さな集会所で接した先住民系のマラリア患者たちの姿も、よく思い出すようにもなった。こうした海外での経験もマラリアの薬剤耐性に関する研究に入ることを後押しした。

厳しい競争の最先端研究

 実際に研究に足を踏み入れてみると、難題に直面することになった。日進月歩のマラリア原虫の薬剤耐性に関する最新の知見に追いつくため、専門性の高い論文を精読、理解し、自分の中で整理していく必要がある。マラリアは現在も、世界で依然、毎年数億人が罹患し、小児を中心に年間60万人以上が死亡する、結核、HIV/エイズと並ぶ三大疾患。抗マラリア薬に対する耐性原虫の研究は、世界保健機関(WHO)などのマラリア対策に直結しており、緊喫の課題も少なくない。WHOや各国政府が注目し、欧米の有力大学・研究機関を中心に研究を競っている、厳しい世界だ。
 薬剤耐性に関しては、マラリア患者からの採血、培養や実際の患者の治療経過をフォローするため、現場での研究(フィールド調査を含む)が欠かせない。熱帯地域の活動にはマラリア予防を含めた入念な準備、体力や精神力・忍耐力、それに途上国暮らしで欠かせない「臨機応変さ」が求められる。

パプアでフィールド研究も

フィールド調査で採取した血液はろ紙に吸収させた後、屋外で乾燥させる=パプアニューギニア・マダン郊外パプアニューギニア・マダン郊外でのマラリアのフィールド調査で採血する光景。手前がホンバンジェ教授。
 2012年11月~12月と翌13年6月~8月の計2回延べ3カ月間にわたって、南太平洋に浮かぶニューギニア島の東半分を占めるパプアニューギニアに滞在し、研究を進めた。ニューギニア島北部の町マダンでは思いの外、マラリア検体の入手に一時難航し、正直、頭を抱えた。現地の共同研究者のフランシス・ホンバンジェ教授や妻のマティナさんらのアドバイスと支援がなければ、続けられなかったと思う。

会議に出席したペンシルべニア州立大学のLiwang Cui教授(左)と記念撮影。  この会議中、マラリア研究に携わる各国の研究者らと言葉を交わしディスカッションできたことが、最大の収穫だった。特にマラリア研究の一線で活躍する米ペンシルベニア州立大学のLiwang Cui教授や、南フロリダ大学のDennis Kyle教授らと情報交換することができ、とても貴重な経験となった。  さて今回の全体会議では「熱帯熱マラリア原虫に対するアルテミシニンの治療遅延に関連する新規SNPsの世界的分布」という表題で、檀上に立たせてもらうことになった。この研究は、世界13カ国で採取した大規模なサンプルを用い、現在、抗マラリア薬の切り札とされるアルテミシニンンの耐性に関連するとみられる一塩基多型(SNPs)の遺伝子型を決め、世界的な分布状況を解明した、学位論文の内容だ。米国やバングラデシュ等のマラリア感染地域の一線で活躍する研究者らを前に発表中はかなり緊張したが、同時にこうした研究の一端を担ったことを実感できる瞬間でもあった。

この会議中、マラリア研究に携わる各国の研究者らと言葉を交わしディスカッションできたことが、最大の収穫だった。特にマラリア研究の一線で活躍する米ペンシルベニア州立大学のLiwang Cui教授や、南フロリダ大学のDennis Kyle教授らと情報交換することができ、とても貴重な経験となった。

マラリアと戦争、そして日米協力

 また米国立アレルギー感染症研究所のMalla R. Rao博士の講演「抗マラリア薬の歴史」は、第2次世界大戦末期の1945年、世界のほとんどの地域がマラリア感染地域だったこと、ベトナム戦争中の中国におけるアルテミシニンの開発にまつわる歴史秘話などが次々に登場、興味の尽きない内容だった。
 日米医学協力計画(US-Japan Cooperative Medical Sciences Program: USJ CMSP)は1965年(昭和40年)1月、佐藤-ジョンソン首脳会談に基づき、アジア地域の疫病について研究するため設置され、今回で48回目。今年の会議は、日米医学協力研究会を構成する9つの専門部会のうち、開催地のバングラデシュとも縁のある、結核・ハンセン病、寄生虫疾患、急性呼吸器感染症、コレラ・細菌性腸感染症の4分野の研究テーマが主に選ばれ、発表が行われた。日本国内ではなかなか聞くことのできないテーマも多く、マラリアに限らず、臨床医としても興味をそそられる演題が少なくなかった。特に、2010年のハイチ大地震後、コレラが同国で大流行し8500人以上が死亡したが、米ハーバード大学系のBrigham and Women’s Hospitalのグループは、コレラの全遺伝子配列の検討や抗菌薬耐性遺伝子を手掛かりに、コレラ非感染国だったハイチにアジア地域(ネパール)のコレラ株が持ち込まれたとする緊急報告を、専門誌(N. Engl. J. Med.) に行った経緯を紹介。この先進的な遺伝子レベルの研究と途上国の医療現場をつなぐ重要な研究は、上質のミステリー小説のなぞ解きを思わせる、興味深い内容で引き込まれた。(疫学的な研究も加わって、国際支援に入ったネパールの国連PKO部隊が持ち込んだコレラが感染源となり、大流行を生んだと、住民らが国連を相手に提訴したことは既に日本でも報じらている)。さらに、抗結核薬としては40年以上ぶりとされる新薬Bedaquilline(日本では未認可)の話題なども聞くことができ、とても参考になった。日本人研究者や留学生、さらに現地バングラデシュの専門家らの発表も相次ぎ、少なからぬ刺激を受けた。
ダッカ市内の貧困地区を家庭訪問。8畳弱の部屋に大型ベッドが1つ。ここで一家5人が暮らすという。貧困地区で遊び興じる子どもたち。周囲に水溜りはほとんど見当たらない。

貧困地区の素顔、再訪誓う

オールド・ダッカの船着き場ショドル・ガット。乾季で水が引いた川岸に木製の舟が打ち捨てられていた。ブリゴンガ川には大小さまざまな旅客船や小舟がひしめきあい、賑わいをみせる。 バングラデシュの代名詞とも言える、人口過密、洪水、貧困、不衛生…は自ずと、感染症の「宝庫」。会議後、ダッカ市内ミルプールのスラム地区へと案内された。訪れるまでは、これまで歩いたことのある南米やアフリカ諸国、そしてカリブ海の島々などの貧困地区と変わらないだろうとの先入観を抱いていた。実際は思いのほか衛生状態は良く、子供たちが一張羅で着飾って遊んでいる姿に驚かされた。小児の死亡原因の一番はとの問いに「溺水」という答えが返ってくるこの国は、未だ発展途上にあるのは間違いない。だが、現地担当者によると、感染症対策も次第に進み、生活水準も徐々にではあるが改善されつつあるというのだ。訪ねたのが乾季だったため、ぬかるみや異臭も乏しかった。次は雨季の厳しい時期に尋ね、マラリアの感染地域である南部チッタゴン郊外など地方へもぜひ足を延ばしたいと思わずにいられなかった。

交通渋滞の中を勢いよく駆け抜ける、緑の三輪タクシーCNG。国産の圧縮天然ガスを使用するため排気ガスが減ったという。 冒頭で紹介したダッカの街の様子。片側3車線の大通りを大型バスや小型車が埋める大渋滞に遭遇しても、砂埃は舞っていてもガソリン車特有の排気ガスの「臭い」はあまり気にならない。実はここ数年の間に三輪タクシーをはじめ、多くの車両が、国産で値段の安い天然ガスに変換したからだという。このため、三輪タクシーは圧縮天然ガスの略称CNG(compressed natural gas)と呼ばれるようにさえなっている。また、リキシャの車夫との値段交渉では外国人はちょっと不利だが、人力というエコな乗り物のリキシャもそう簡単に廃れそうにない。こうした国々を訪れることで、日本国内に留まっていては気付かない、様々な視点やアイデアが得られるのも本当だ。

緊張解け帰国へ

 帰途、空港に向かう際は、入国後、街に向かった際とはうって変わって、穏やかな気持ちで車の渋滞や人々のざわめきを眺めることができた。「途上国における感染症の問題にかかわっていきたい」「臨床と基礎研究を結ぶ役割をこれからも果たせないだろうか」となどと、やや興奮気味の思いを胸に抱くようになっていた。この変わりゆく国を再訪できることを念じつつ、帰国便のゲートへと急いだ。

研究室所在地

〒113-8421
東京都文京区本郷2丁目1番1号 7号館11N
TEL: 03-5802-1043


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