研修・留学

外科の世界は「百聞は一見に如かず」 であり、様々な症例・手術を現場で経験することが一流の外科医になる近道です。当教室は本院である順天堂医院が日本で最も手術症例数の多い施設の一つであることに加えて、多数の関連病院と連携をすることにより若手外科医が多くの経験を積める体制が整っています。また、医局員の多くが海外留学を経験をしており、それに基づいた世界標準の診療・研究・教育を実践しています。海外からの留学生も積極的に受け入れていることから、日本にいながらも世界を肌で感じ取ることができるのも特徴です。

順天堂小児外科同門会施設・医局員派遣施設

当科の医局員が派遣されており、研修を行うことができる関連施設の紹介です。

留学者便り

順天堂小児外科同門会年報に掲載されました留学者からのメッセージです。  

2023年

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トロント小児病院留学報告/藤原 なほ カナダ・トロント

トロント小児病院留学報告

平成16年卒 藤原 なほ
 
2023年4月から、カナダ・トロントにあるThe Hospital for Sick Children(通称:Sickkids)において、小児外科の権威であるAgostino Pierro教授のもとでサバティカル研修として、国際共同研究の機会を頂いています。トロントは、カナダの移民政策により世界中から多様な人々が集まる大都市であり、日本とは異なる視点から世界の動向を感じることが多くあります。
私の研究テーマは、Hirschsprung病において腸管神経の発生とその環境因子が病態に与える影響に焦点を当てており、マウスモデルを用いた腸管神経幹細胞の移植治療法の開発に取り組んでいます。日本でも同様の研究を行ってきましたが、トロントでは、in vivo実験や新たな移植法の開発など、さらなる発展が期待されています。独自の実験系の確立と進展には想像以上に時間がかかり焦る日々でもありますが、教授やラボメンバーのサポートのもと、着実に進めています。私は10年前にもアイルランド・ダブリンでPrem Puri教授のもとで留学を経験しましたが、今回は自身のテーマを持っての留学であり、これまでとは異なる難しさを感じています。
Pierro教授は、基礎研究から臨床応用へのトランスレーショナルリサーチに熱心に取り組んでおり、今後順天堂小児外科においても、各国施設の強みを活かし、基礎のみならず臨床研究において国際共同研究を強化するための貴重な経験となっています。
また、近年の技術進歩により、トロントにいながら世界各国とオンライン会議が可能となり、私はPierro教授のご配慮によりEUPSAの”Evidence and Guidelines” のワーキンググループに参加し、世界中の先生方と疾患の診断や治療、術後管理について議論を重ねながらガイドラインを作成しています。この経験は非常に重要であり、各国での取り組み方を学ぶことができます。
世界の優秀な人材の中で覇気をもって前に進み、帰国後にはこの貴重な交流と経験を活かし、順天堂小児外科の国際的な発展に貢献することを目指しています。最後になりますが、改めて自分の研究を見直し、新たに「挑戦する」機会を与えていただきました皆様に心から感謝申し上げます。
藤原なほ先生 写真2023年ISPSR(@イタリア・ミラノ)にてPrizeを受賞した同僚と共に
留学体験記/吉田 志帆 アメリカ・ピッツバーグ

留学体験記

平成23年卒 吉田 志帆
 
2020年10月より2023年10月まで、米国University of Pittsburgh Medical Center (UPMC)に属するChildren’s Hospital of Pittsburgh に研究留学をさせていただきました。George Gittes 教授のご指導のもと、3年間充実した留学期間を過ごすことができました。
 
Gittesラボでは、外科チームとして主にin vivoの実験を担当させていただきました。ラボのメインプロジェクトである「Ⅰ型糖尿病に対するウィルス遺伝子治療」では、非ヒト霊長類としてサルを使用した実験を行なっておりました。サルを使用した実験は前臨床段階に当たるため、臨床現場とほぼ同等の治療および管理を要します。ラボのチームメンバーはもちろん、他のラボや動物実験施設の獣医師とも密にコミュニケーションをとりながら進める研究は、緊張感もあり大変勉強になりました。
また、個人プロジェクトであった「CDHラットの低形成肺に対する出生前薬物治療」では、研究デザインから実験の遂行、データ解析、論文の執筆まで、一連の研究過程を自分でマネジメントする必要があったため、チームプロジェクトとはまた異なる姿勢で臨む事ができました。結果として論文発表にも至る事ができ、一つの研究を完遂する上で多くのことを学ばせていただきました。
ラボ3年目に当たる最後の1年は、さらに他のラボとの共同研究や、新規研究の立ち上げなど、多くのプロジェクトに関わる事ができました。新しいメンバーの教育にあたることも多く、最も忙しく実りが多い1年となりました。この3年間で培った知識や経験を今後の学術的活動に活かせるよう、引き続き精進して参ります。
最後になりますが、このような恵まれた環境で研究する機会を与えていただいた山髙教授をはじめ、同門の諸先輩方、医局員の皆様には心より感謝申し上げます。
Yoshida photoGittes Labメンバーとsummer internの学生たち
ウィニペグ留学報告/三宅 優一郎 カナダ・マニトバ

ウィニペグ留学報告

平成24年卒 三宅 優一郎
 
2021年9月からカナダのウィニペグにあるマニトバ大学、Richard Keijzer教授の研究室へ研究留学をさせていただき2年が経過しました。また2023年6月からPost Doctoral Fellowのポジションをいただき、滞在を延長することができました。

2023年5月には山髙教授がマニトバ大学までお越しくださり、小児外科医、また研究者たちへご講演くださいました。現在自分が置かれている環境の価値と重要性を再認識し、改めて深い感謝の気持ちを抱いています。

私は現在、横隔膜ヘルニアの胎児治療に関する研究を行っています。この研究では、ナノ粒子を用いてmicro RNAやその他の治療薬をナノ粒子内に封入し、これらを横隔膜ヘルニアの胎児に投与することで、胎児の肺の発達を出生前に促進させることを目指しています。ナノ粒子が肺に効果的に吸収されるか、最適な投与経路は何か、さらに封入された治療薬は適切に放出されるのか、機能するのか、などまだ解明すべき課題が多くあります。そんな中、今年、Keijzer教授のご指導の下、同僚の献身的なサポートを受けながら、ラットの胎児培養肺へのナノ粒子の注入に関する研究を進め、カナダ小児外科学会においてBest Basic Science Presentationに選出されました。

また基礎研究だけではなく、マニトバ州の臨床データを用いて鎖肛や小腸閉鎖の子どもたちの学力レベルに関する論文も発表することができました。現在はCOVID-19と先天性外科疾患の関係に関する研究にも携わらせていただいております。

このような貴重な留学の機会を与えてくださり、また滞在の延長を許可して下った山髙篤行教授、同門の諸先輩方、医局員の皆様に改めて感謝申し上げます。この留学で得たことを横隔膜ヘルニアの子どもたちに少しでも還元できるように引き続き精進致します。
Y.Miyake ウィニペグ留学報告 写真
ロンドン留学体験記/重田 裕介 イギリス・ロンドン

ロンドン留学体験記

平成24年卒 重田 裕介
 
2022年1月にロンドン滞在を開始して2年になろうとしております。Great Ormond Street Hospitalにある研究施設で、再生医療の一分野である脱細胞化技術を利用した他種間どうしの臓器移植を学んでおります。特に私の主な研究は胃に関するもので、先日の学会で発表・論文投稿することができました。他にもいくつか関わっている研究(横隔膜、小腸、肺、脾臓に関するものなど)があり、やればやるほど奥が深く終わりはないなあ、と感じる日々です。また、ロンドン在住の大半は外国で生まれ、価値観や宗教、生活スタイルが様々な人間と上手く生活しなければならず、これは日本にいた頃に想像したものを軽く超えるものでした。さらに2022年前半のロンドンは、コロナワクチンを皆が打ち終わりほっとしていた矢先、ウクライナ戦争が始まり物価・家賃等は急上昇、円安も進みながら、今度はパレスチナ・イスラエル情勢が加わり、世界の動きが一層読みづらくなってしまいました。そのため生活水準は抑えながらも、2人の子供の活発さは増すばかりのため、妻が学校だけでなく近所の家(日本、インド、イラン、ポルトガル、ルーマニア人、等)に行き来する生活を毎日こなしてくれております。幸い子供は英語も話せるようになり、少し羨ましくもあります。帰国後はどう維持するかが家族の次の課題になりました。私も多くの国の友人を作ることができ、人生の最高の宝になりました。2024年6月には帰国し、7月に就業再開が決まりましたが、少しでも何かを順天堂大学小児外科に還元できるよう、残りの約半年未満、後悔のないように引き続き頑張りたいと思います。最後になりましたが、この留学の機会をくださった山髙教授をはじめ、多くの先輩方に感謝申し上げるとともに、今後も末永くご指導ご鞭撻を承りたく存じます。
Shigeta photo
米国留学報告 第2報/小坂 征太郎 アメリカ・フィラデルフィア

米国留学報告 第2報

平成26年卒 小坂 征太郎
 
私は2022年の4月よりChildren’s Hospital of Philadelphia (CHOP)に留学させていただいており、もうすぐで2年が経過しようとしています。留学した最初の年はFDAのプロトコールをコンプリートするためのメインプロジェクトである人工胎盤 (EXTEND)を主に担当しておりました。今年の1月にプロトコールを全てコンプリートすることができたため、それ以降はメインプロジェクトと並行で私個人のプロジェクトを持たせていただくことになりました。0から作成し、また羊の細胞を扱っているPaperがほとんどなく、開始当初は苦労しましたが、何とか自分なりのプロトコールを確立することができ、結果も出始めるようになりました。現在は臍帯静脈のVasospasmを誘発させるIn Vivo モデルを開発し、Vasospasmの究明というもう一つの個人プロジェクトを同時並行しながら、実験を行なっております。
言語、文化も全く異なる異国の地で日本人が活躍する事がいかに大変か痛感する中、野球の大谷選手のように日本人が世界で活躍するというニュースを見て刺激を受け、モチベーションの一つとなっています。また、恵まれたLabの仲間、私のAmerican Mom的な存在であるHomestay Family、Philadelphiaで知り合った多職種多国籍の仲間、そして家族が心の支えになってくれているお陰もあり、充実した日々を過ごすことができています。日本にいては得られない経験を積むことができ、この環境に身を置ける事に感謝しながら、引き続き精進して参りたいと思います。最後に、このような貴重な環境下で勉強させていただける機会をいただき、この場をお借りして山高教授をはじめ、同門会の諸先輩方、医局の先生方に感謝御礼申し上げます。
Kosaka photo
2023留学体験記/坪井 浩一 アメリカ・ボルチモア

2023留学体験記

平成24年卒 坪井浩一

Hackam Labでの研究生活が早いもので1年半を超えました。昨年の今頃は大学院の最終学年で、学位研究のまとめで慌ただしく、ラボの仕事とのバランスを取るのが難しい時期でした。学位を無事取得し、今年4月からはラボの仕事に集中できる環境となりました。
当初計画していたテーマとは別に、春先から新たなプロジェクトを担当し、現在は主にこちらに取り組んでいます。母体環境、特に高脂肪食が胎児や新生児の腸管免疫や分化にもたらす影響に着目しています。年末にはこのプロジェクトから得られたデータが、ラボ全体で取り組むRO1グラントにおいて重要な役割を果たしました。コンセプト作成から仮説の立案、説得力のある実験デザインの構築など、すべての過程に関わることができ、大変勉強になりました。
この1年のもう一つのハイライトは、前任者である石山先生の研究データを基にした抄録がAmerican Pediatric Surgical Association (APSA)の年次総会で採択され、発表の機会を得たことです。短い時間ながらもステージに上がりアメリカの小児外科医の前でプレゼンする機会を得られたことは、自分にとって夢のような体験でした。
ラボは若手外科医やレジデントが所属しており、学会参加を積極的に促す風潮があるため、抄録を書く機会が多いです。また、進捗状況を報告するミーティングも毎週行われるので、プレゼンやディスカッションの機会も多く、自身にとって非常に良いトレーニング環境となっています。大変なこともありますが、優秀なラボメンバーに助けられながら、楽しく過ごすことができています。
残りの滞在期間内に、自分のプロジェクトを一つの成果として論文化することを目標にしています。この恵まれた環境で、多くを吸収し、少しでも小児医療に貢献できるよう頑張ります。来年はさらに充実した報告ができるよう引き続き精進して参ります。
坪井 2023
カンボジア留学体験記/惠畑 優 カンボジア・プノンペン

カンボジア留学体験記

平成30年卒 惠畑 優
 
2023年4月より同門である岡和田学先生(2002年順天堂卒、非常勤講師)が院長を務められている、サンライズジャパン病院に臨床留学をさせていただいております。
病院のすぐ側をトンレサップ川が流れ、常夏ですが日本の夏ほど過酷な暑さでなく大変心地よい気候です。高校地理で呪文のように覚えた遠い異国の川を毎日眺める事になるなんて、想像もしていませんでした。
住居や給与等の福利厚生が保証されており、また町中の治安も悪くなく、快適に生活を送っています。

こちらでは日本と変わらぬ臨床漬けの毎日を過ごしております。
プライベート病院であるため、費用面、特に手術をする際に、起こりうる術後合併症なども含めた全ての費用の事前説明と承諾が必要となるのが一番のギャップでした。予期せぬ事象が生じた際にも治療を優先したい医療者側と、費用負担を心配する患者さん側との間で交渉が必要となり、改めて日本の国民皆保険制度の有り難みを痛感しました。
追加料金の発生する手技が積極的にできない事に加え、ドクターショッピングをしてしまいフォローができない患者の国民性、中堅~ベテラン層がいないジェノサイドの爪痕など、医学教育の課題は未だに山積みです。
私個人としては日本のように簡単に他科に頼る事ができない環境で、デング熱や腸チフスなど熱帯地域ならではの症例を経験でき、また小児外科手術症例は限られていますが一般外科手術症例もあり、ジェネラリストとしての成長を感じております。
日本人スタッフも含め様々なバックグラウンドを持った人たちと働く事は、日々本当に良い刺激となっています。

諸先輩方が懐かしそうに留学の事を話されるのを聞き、かねてより留学とはさぞ良い経験なのだろうと想像していました。私もきっとこの日々を懐かしく語る日が来るだろうと思います。
最後になりましたが、このような貴重な機会を賜り、これまでご指導いただきました全ての先生方に厚く御礼申し上げます。
惠畑優 写真
留学体験記/清水 将弘 カナダ・トロント

留学体験記

令和2年卒 清水将弘
 
​私は2023年7月より、カナダ・トロントにありますThe Hospital for Sick ChildrenのAgostino Pierro先生の元で、藤原なほ先生の研究のassistantとして留学させて頂いております。

トロントはカナダ最大の都市で、都会的で過ごしやすいですが、夏と冬の寒暖差が非常に激しい街です。移民の受け入れに寛大な国で、親切な人が多く、英語の喋れない私にも優しくゆっくり話してくれる方が多いです。

この半年間は、言語、文化の違いもあり、毎日ラボのメンバーの話す内容を理解するのに必死でした。小さなミスや認識不足のせいで実験の成果が得られないことも多々ありました。しかし、藤原先生や他のラボのメンバーの協力のもと、なんとか実験を進めることができております。

また、藤原先生のneurosphereについての研究のassistantをさせていただくにあたり必要な実験技術を日々習得しております。臨床医学の舞台から離れ、基礎研究の留学に挑戦することは私にとっては全く新しい経験でした。最初は結果が出ないことに戸惑いばかり感じていましたが、日々、実験を繰り返して反省することで実験の精度を高めることに邁進しております。

来年よりPierro先生からRemote Ischemic Conditioning (RIC)に関するprojectを任せていただけることになりました。マウスの腸管のanastomosisを行い、その後下肢を圧迫することでRICを実施し、術後の吻合部への影響を研究する予定です。マウスの腸管吻合は8-0の非吸収糸を用いて行っております。Neurosphereの研究とは違った内容であり、幅広い学びの機会を得られたことを大変幸運に思います。
 
まだまだ基礎研究、臨床研究、英語と学ばなければならないことが山積みですが、結果を残して帰国することができるよう精進して参ります。
 
最後になりますが、Agostino Pierro先生の元で留学させていただける機会を与えてくださった山髙教授と、医局の先生方に、心より感謝申し上げます。他では決して得られない経験をさせていただき、誠にありがとうございます。
Shimizu photo

2022年

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留学体験記/吉田 志帆 アメリカ・ピッツバーグ

留学体験記

平成23年卒 吉田 志帆
 
2020年10月より米国University of Pittsburgh Medical Center (UPMC)に属するChildren’s Hospital of Pittsburgh に研究留学しております。George Gittes 教授の下で研究を開始し、まもなく2年が経過しようとしています。
 
ラボのメインプロジェクトである「Ⅰ型糖尿病に対するウィルス遺伝子治療」では、現在サルを利用した手術治療を行なっております。私は外科スタッフとして、サルの日常診療、手術、周術期管理、In vivoのデータ収集、他研究室および動物管理部門との連絡係を担当しています。代謝内分泌、ウィルス学、免疫学などの知識が必要となるため、それぞれの専門分野のスタッフと相談しながら研究を進めていますが、コラボレーションの有用性やコミュニケーションの重要性を改めて実感しております。
また、私個人が担当している「CDHラットの低形成肺に対する出生前薬物治療」では、米国食品医薬品局から臨床治験の認証を得ることを目的とした研究を行なっています。実験デザインを考えるにあたり、基礎研究を臨床レベルに引き上げるためにはどのようなデータが必要となるのか、臨床での経験やご指導いただいたことを思い起こしながら実験を組み立てることにやりがいを感じています。
さらに今夏はサマーインターンの学生指導を担当させていただいたのですが、基本的な手技からポスター発表の指導まで、研究知識の再確認だけでなく語学力の面で大変勉強になりました。この留学を通して、正しくアウトプットするためにどのようにインプットしていくかを学び、修めたいと思っています。
 
この場をお借りして、このような恵まれた環境で研究する機会を与えていただいた山髙教授をはじめ、同門の諸先輩方、医局員の皆様には心より感謝申し上げます。順天堂小児外科に還元できるような成果を残せるよう、今後も引き続き精進して参ります。
サマーインターンの発表会にてサマーインターンの発表会にて
ウィニペグ留学記/三宅 優一郎 カナダ・マニトバ

ウィニペグ留学記

平成24年卒 三宅 優一郎
 
2021年9月からカナダのマニトバ大学、Richard Keijzer教授の研究室へ研究留学をさせていただいております。
 
マニトバ大学のあるウィニペグ市はカナダのちょうど真ん中あたりで、夏は最高気温が+30℃を超え、冬は最低気温が-30℃を下回る非常に寒暖差の激しい田舎街です。移民者も多く、異文化に触れながら家族とともに充実した日々を送っています。
 
Keijzer教授は先天性横隔膜へルニアにおける肺低形成の病因や、microRNAを用いた胎児治療について研究されています。横隔膜ヘルニアの予後を改善する研究を学びたいと希望し、山高教授のご厚意により留学させていただきました。基礎研究に関する知識、技術がほぼない状態で渡加し、英語力も不十分であり、留学当初は週1回のmeetingも十分には理解できない状況でした。非常にsupportiveなKeijzer教授、研究室のメンバーに支えられながら、少しずつですが自分のプロジェクトも進めることができ、学会発表、論文にする段階までたどり着くことができました。
 
結果を得るまでに費やす時間や、Evidenceのないことを調べていくという臨床とは違う作業に戸惑うことも多く経験しましたが、ナノ粒子やペプチドを用いてラットの培養肺を発達させるという非常に興味深いプロジェクトに携わらせていただいております。今年はさらに研究に没頭し、学会発表、論文作成に力を入れたいと考えております。
 
最後になりましたが、このような貴重な留学の機会を与えてくださった山高篤行教授、同門の諸先輩方、医局員の皆様に感謝申し上げます。小児外科疾患を持って生まれてくる子どもたち、また順天堂大学に少しでも還元できるように引き続き不断努力で精進致します。
ウィニペグ留学記_三宅優一郎
カンボジア留学体験記/山田 進 カンボジア・プノンペン

カンボジア留学体験記

山田 進
 
2022年4月よりカンボジアのSunrise Japan Hospital Phnom Penh (SJH)に臨床留学させて頂いております。
 
カンボジアというと東南アジアの小さな国というイメージで良く知らない方も多いと思います。私もその一人でした。アンコールワット遺跡などの観光が有名ですが、一方でポル・ポト政権時代にはメガネをかけている(教師や医師などの知識層とみなされる)だけで殺害されるほど悲惨な時代も経験しました。1975年から1979年のつい最近の話です。現在は政治的に安定しており、経済成長が著しく建設中の高層ビルも多く、非常に勢いを感じます。少し歴史の話が長くなりましたが、カンボジアでは壊滅的な医療崩壊を経験し、日本の医師免許が通用します。そのため海外での臨床活動を考えているのであれば、カンボジアは魅力的だと思います。
 
SJHでは、大半を内科・消化器系の外来診療に従事しています。英語力に乏しい私は日々力不足を痛感しております。そんな中でもカンボジアスタッフに支えられ、英語・クメール語の会話のキャッチボールを頑張っています。カンボジアでの日常診療では、『小児外科を専攻することは、小児外科の専門性のみを追求するのではなく、Primary careを学ぶことに通ずる』という山髙教授の言葉が思い起こされます。院長である岡和田先生のように、こどもからお年寄りに至るまで寄り添うことのできる医師が目標となりますが、今は自分にできることを一つ一つ丁寧にと考え精進しています。手術はSJHでは日本と変わらない設備ですが、カンボジアの国立小児病院(National Pediatric Hospital)では、そうはいきません。少ない資源で工夫して手術をしています。自分がいかに恵まれた環境にいたのかと実感させられます。
 
最後になりますが、留学の機会を与えてくださった山髙教授、岡和田先生をはじめ、医局の皆様方に感謝を申し上げます。また慣れない環境で日々の生活の支えとなってくれている家族に、この場をかりて感謝致します。
イオン2イベント (フリーコンサルテーション)イオン2イベント (フリーコンサルテーション)
英国留学体験記/重田 裕介 イギリス・ロンドン

英国留学体験記

重田 裕介

2022年の1月よりUCLのGreat Ormond Street Institute of Child Health(GOSICH)で研究をさせて頂いております。研究テーマは、澁谷先生が携わっておられた「脱細胞化後のヒトCOPD肺を用いたオルガノイド分化の観察」、「脱細胞化後のPiglet胃パッチを生体ラット胃に移植」です。最初は胃オルガノイドについて色々教わりながらも、胃オルガノイドの知識を如何に小児外科分野に生かせるかと考えが凝り固まっておりました。

論文を読み漁り、胃の知識が飽和してきた頃、渋谷先生が帰国される直前にCOPD肺の研究を引き継がせて頂きましたので、一旦肺の研究を優先する事になりました。
留学前は、横隔膜ヘルニアの低形成肺、壊死性腸炎・短腸症候群の研究等にも興味があり、研究に少し慣れてきた頃、上司のPaolo教授に研究企画提案をしたところ、「複雑だから一旦置いておいて、Piglet胃パッチの研究をやってくれないか」と言われました。

一瞬「あ、胃に戻った」と感じた一方、「胃の知識が生かせるし外科的にかなり面白い研究だからやりたい‼」となり、進めております。
ポスドクや他研究員に、他の臓器の脱細胞化・再細胞化の過程等も見学させて頂きながら、別の研究構想のヒントを得たりしています。留学前に山髙教授から「素直にPaolo教授が指示した研究をしなさい」と言われた事は今の私には大きな意味を成しており、また入局当初の「外科医は手術に入れない時も腐らず論文を読むべし」という教えは、今まで何度も感じた「後ろを向いてみて点と点を結ぶと今に繋がる体験」に繋がり、これからも自身に言い聞かせようと思います。
2研究ともに他大学や他グループに協力を頂き、徐々に確実に進めております。研究テーマが一般外科的分野に傾いた事は予想とかなり異なったものの、結果的に学んだ知識は他臓器研究に応用出来るので、いつか臨床現場で患者様に生かせる様、日々精進致します。この場を借りまして、貴重な機会をくださった山髙教授をはじめ、同門の諸先輩方、医局員の皆様、支えてくれる家族に、心より感謝申し上げます。
留学 重田
米国留学報告/小坂 征太郎 アメリカ・フィラデルフィア

米国留学報告

小坂 征太郎
 
私は2022年の4月よりChildren’s Hospital of Philadelphia (CHOP)に留学させていただいております。元々、胎児治療、胎児手術に興味があり、入局一年目の2016年の秋に偶然参加した胎児治療学会で現在のSupervisor であるDr. Flakeの人工胎盤 (EXTEND)の講演を聞き、感銘を受けました。今回EXTEDNDの研究に携わりたいという長年の希望に対して山高教授のご厚意によりCHOPでの留学に至りました。
私は基礎実験というよりは臨床に近い研究を行っており、主に羊の胎児をEXTENDに繋げる手術、術後の胎児の全身管理を行うFellow on Call、また週に2-3回ある当直と順天堂で働いていた時とあまり変わらない日々を過ごしております。主に3-4匹の羊の胎児が並列でEXTENDに繋げられ管理されており、近い未来にEXTENDの臨床導入に向けて、FDAから求められているProtocolを一つずつクリアしていっております。
日本人のいない中、英語でのコミュニケーション、ディスカッションを獣医、テクニシャン、研究スタッフと行うことが求められ、日本では当たり前にできていた事ができず、いかに自分が未熟で一人では何もできないかを痛感する毎日でした。上司から教えてもらった教会のMassに参加したり、CHOPの近くにあるPennsylvania University のInternational Connectionに参加したり、CHOPの勉強会に参加したりと、英語スキルの上達になりそうな事は積極的に参加するようにし、少しずつではありますが米国の地に適応する事ができてきました。また、恵まれたLabの仲間の助け、私にとってAmerican Momのような 存在であるHomestay familyが心の支えになってくれているおかげもあり、今では本当に充実した日々を過ごすことができております。毎日が苦労の連続ですが、いずれも日本にいては得られないものを得ることができ、一度しかないチャンス、一度しかない人生ですので、後悔のないようにこれからも日々精進して行きたいと思っております。
最後に、このような貴重な環境下で勉強させていただける機会をいただき、この場をお借りして山高教授をはじめ医局の先生方に感謝御礼申し上げます。
EXTEND手術後の写真EXTEND手術後の写真
留学体験記/坪井 浩一 アメリカ・ボルチモア

留学体験記

平成24年度卒 坪井浩一
 
 2021年10月某日、一本の電話を頂いたところからこの留学体験記は始まります。「悪い話じゃないだろう」と。入局4年目、茨城県立こども病院での勤務が6月末まで予定されていました。専門医未取得、学位論文未完成、資金の準備も心の余裕もなく、すべてが中途半端な状況でしたが、気づいたら「お願いします」と即答していました。ゼロからの留学準備を大慌てで整え、2022年4月末にボルチモアへ移りました。
 
 現在ラボには15名以上のスタッフが勤務しており、Hackam先生、Sodhi先生のもとで壊死性腸炎(NEC)という疾患をメインテーマに多岐にわたる実験を行っています。現在私が関わっている研究では、胎児期の環境が仔マウスの腸管免疫や神経発達に与える影響について様々なアプローチで探究しています。週に2回開催されるミーティングでは各研究のアップデートを要求され、得られたデータをもとに議論を交わし、時には新しいアイデアやプロジェクトが提案されます。結果の出にくい研究は軌道修正の判断も早く、厳しい意見が出ることもあります。科学者としての好奇心を追い求めるだけでなく、それをいかに魅力的なプレゼンテーションに仕上げて (そしてグラント獲得につなげて) いくかという視点も併せ持つ必要があり、研究者として生きていくシビアな世界を目の当たりにしています。
 
 渡米して5か月が過ぎようとしていますが、全米有数の犯罪率の高さを誇るボルチモアにおいて今のところ大きなトラブルもなく健康に生活できていることにまずは安堵しています。未経験の基礎研究の分野に従事することや、小児外科医としてのこれからのライフプラン、円安による経済的な大打撃など、冷静に考えれば不安材料は山ほどあるのですが、今から焦っても仕方のないことと思うようにしています。家族をはじめ、多くの人に支えられて今日まで来られたと感謝しています。この気持ちを常に忘れず、真摯に仔マウスたちと向かい合っていきたいと思います。そして時にはSlow & Easyな気分で息抜きしつつ、日本では体験できない刺激にあふれた生活を思う存分楽しみたいと思います。来年の今頃には、もう少し充実した留学体験記を報告できるよう引き続き精進して参ります。
留学体験記 tsuboi

2021年

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英国留学報告/澁谷 聡一 イギリス・ロンドン

英国留学報告

澁谷 聡一
 
平成22年卒の澁谷聡一です。2019年の1月よりUniversity College London (UCL) 付属のGreat Ormond Street Institute of Child Health (GOSICH) にてPostDocとして勤務しております。幸いにも2020年の4月より日本学術振興会の海外特別研究員として採用され、地に足のついた研究生活を送ることができるようになりました。採用に伴う留学期間の延長を承認してくださった山高教授に感謝申し上げます。
 
研究内容としましては再生医療をベースとした食道グラフトの作成と、胎児肺に物理的圧縮を加えるex vivoモデルを用いた肺低形成の病態解明の二つを主題として継続しています。前者は私の留学以前より数年続く一大プロジェクトであり、多数の人間が入れ替わり立ち替わり関わる中で自分の役割を定義する必要がある一方、後者はモデルの立ち上げから自身が中心となって参画している研究であり、最終的にいかに論文として形にするかを視野に入れて進めることが求められます。両テーマとも、徐々にではありますが成果が出始めており、研究の喜びを感じられるようになりました。特に、豚への食道グラフト移植手術は年内の施行を目標としており、楽しみの一つであります。また上記の主要研究に加え、UCL内でのCOVID-19に関連した研究や、他大学との国際共同研究に参加する機会も多く、Paolo De Coppiラボという肩書きを介して研究の世界を様々な角度から見ることができています。外科医としてかつ日本人として世界に爪痕を残すために必要とされるものは何か、それが今後、自身がキャリアを形成していく上で、課題となるのではないかと感じています。 臨床を離れて2年が経過し手術が恋しいですが、外科医としてのセンスを磨く機会はいつでもどこにでもあると気づけたことは幸いでした。COVID-19によるロックダウンのおかげで 『華やかなヨーロッパ留学』 とは程遠い生活ではありますが、邪念を捨てて精進して参ります。引き続き、同門の先生方からのご指導、ご支援、よろしくお願い申し上げます。
澁谷 聡一_2021-1social distanceを保ちつつの集合写真
澁谷 聡一_2021-2豚を扱うトレーニング
留学体験記/矢﨑 悠太 カナダ・トロント

留学体験記

矢﨑 悠太
 
2019年5月から2021年7月までのおよそ2年間、カナダ・トロントにあるThe Hospital for Sick Childrenへ留学をさせていただきました。
 
基礎研究のイロハもわからず、英語も決して得意ではなかった私にとって、この2年間は試練の連続でありました。もちろん辛いことばかりではなく、海外での生活を通して得られた友人や経験は何物にも変え難いものであると、胸を張っていえます。しかし世界中で巻き起こったCOVID-19によるパンデミックはカナダでも同様に大きな影響を与え、2020年3月にはトロント市が1回目のロックダウンとなりました。研究室は一時閉鎖、外出もままならず、せっかく形になり始めていた研究も一時的にストップせざるを得ませんでした。海外でステイホームを余儀なくされ、時間がどんどんと過ぎ、このまま何も結果を出せずに終わってしまうのではないかという焦燥感に、私の精神は自分でも想像していなかったほど追い込まれていきました。
 
それでも「やるしかない」と自分に言い聞かせ、限られた時間と環境の中でなんとか実験を続けていきました。少しずつ規制が緩和されたこともあり、壊死性腸炎モデルマウスを用いた幼若腸管機能の研究や腸管の虚血再灌流モデルマウスを用いた実験ではある程度の結果を得ることができ、一部は論文にするところまで漕ぎつけることができました。しかし、もっとやりたかった、もっとできたはずという思いは常に自分の中に燻り続けています。コロナを言い訳にしたくはありません。全ては自分の力不足、準備不足が原因なのでしょう。この悔しさと、今回の留学で経験した全てのことを糧に、これから小児外科医として臨床に研究に精進していきたいと考えています。
 
最後になりましたが、留学の機会を与えてくださった山髙教授をはじめ、同門会の諸先生方、ならびにさまざまな面でサポートしてくださった医局の皆様、そして何より海外での生活を支えてくれた家族にはこの場を借りて厚くお礼申し上げます。
矢﨑 悠太_2021

米国留学体験記/石山 明日香 アメリカ・ボルチモア

米国留学体験記、研究室で働くまでの経緯

石山 明日香
 
2020年7月からアメリカのJohns Hopkins medicine 小児外科、Hackam教授の研究室でPostdoc fellowとして働かせていただいています平成22年卒の石山明日香と申します。今回の留学記では、子持ちである私が研究室で働くようになった経緯とコロナ禍でどのように共働きの体制を整えたかを述べさせていただきます。
 
私が渡米したきっかけは、2019年の10月に夫の留学のため医局を休職させていただき、家族で同行したことでした。生後3ヶ月児を含む子供3人を連れての生活立ち上げは評判通り壮絶で、家族が安心して暮らせる環境を整えることだけに集中し毎日無我夢中で過ごしていました。2か月ほどが経ち生活が安定するようになった頃から自分の語学力を向上させようと教会のママさん英語教室 (日中開催、子供同行可) に週一程度で通うようになりましたが、赤ちゃん連れの教室では数十分もすれば泣き出してしまい途中退室してばかりでこのままでは買い物のレジ以外で英語を話す機会がほぼなく2年間過ぎてしまうかもしれないと焦燥感を抱きました。一方で長年の夢であった研究留学ができるこの絶好の機会を逸しては一生後悔するかもという気持ちがずっと燻ってもいました。その頃、ちょうど現地で研究室に雇用された方と知りあう機会があり、私は外科でありPhDでもあるため就職に有利だと聞き、恥より失うものはないと研究室に申し込む決心をしました。山髙教授の寛大なご厚意によりお許しと御推薦をいただき、経験者の丁寧なご指導により幸運にも現在の研究室から良い返事をいただくことができました。しかし、いよいよ研究生活が幕を開けるという矢先の2020年3月、コロナウィルスによるパンデミックが直撃し全学校閉鎖、ラボも緊急閉鎖という大混乱に陥ってしまいました。私の就職開始時期も一旦延期となり、家族が健康でいられることに感謝しつつもこの先どうなるのか、就職内定も取り消されるのではと不安を抱え過ごしていました。そうして2か月が過ぎた頃、大学のラボ全体が少人数ながら再開されるとの噂を聞き連絡したところ、まだ就職する気があるなら来てほしいと返事をいただき7月から正式に働けることとなりました。そこで問題となったのは3人の子供の預け先でしたが、知り合いの中国人の老夫婦が御自宅で子供3人を預かることを快諾して下さり、また本当に愛情深く接していただきすぐに子供が慣れてくれたことは本当に有難かったです。また、Johns Hopkinsでは、county内の全学校が閉鎖されオンライン授業に切り替わったことから就学児がいる家庭にITデバイス機器補助金と月々の児童委託先 (ホームスクールや家庭教師) にかかる金額も上限付きで一律に保障するとともに、未就学児用の奨学金申請が許可されたことで子供にかかるほぼ全てのお金を賄うことができ、夫婦共働きの体制も整いました。
 
私のラボでは主にNECの研究をしており、NECの病態と早産児腸管におけるTLR4発現の強い相関性を提唱しています。私の研究内容については、また次回がありましたらご報告させていただきたいと思います。
 
末筆になりますが、先生方に御指導していただき取得できたPhD、諸先生方の留学中に逆境を跳ね返された御経験談と子供を持って留学の夢を諦めかけていた私に夫について行ってからでもチャンスがあれば挑戦すればいいとかけていただいたお言葉、同期生の留学先での奮闘のどれもが私の背中を押して下さりこうして研究留学をさせていただけています。山髙教授を始め順天堂小児外科医局の皆様方に心から感謝申し上げますとともに、引き続き身を引き締めて励んで参ります。
石山 明日香_2021

留学体験記/吉田 志帆 アメリカ・ピッツバーグ

留学体験記

吉田 志帆
 
2020年10月より米国University of Pittsburgh Medical Center (UPMC)に属するChildren's Hospital of Pittsburgh に研究留学させていただいております。私が勤務する研究棟はこども病院に隣接しており、George Gittes 教授の下で多くの仲間とともに研究活動に勤しんでおります。
 
ここペンシルバニア州ピッツバーグは、かつては「鉄鋼の町」でしたが、現在は大学や医療などでよく知られています。アメリカで最も住みやすい町ランキングで1位に輝くこともあり、のどかな街ながら利便性も高く治安も良い、とても住み良い町です。
 
私が所属するGittes labでは、膵臓及び糖尿病に関する様々な研究が進行しています。メインプロジェクトにあたる「慢性膵炎に対する化学的膵切除」や「Ⅰ型糖尿病に対する遺伝子治療」では、Non-Human Primateとしてサルに対する手術治療を行なっております。実験棟の手術室は設備、器具とも臨床の手術に劣らないものであるほか、外科チームとして他研究室の手術実験に参加させていただくこともでき、これらの研究に携われることを有り難く思っています。
 
また、この春よりCDH胎児の低形成肺に対する出生前治療に関する研究を担当させていただくこととなり、Gittes教授に手厚いご指導をいただきながら実験を進めています。他部署との密な連携が必要なため、英語力とコミュニケーションの重要性を痛感するばかりですが、臨床利用を前提とした基礎研究にやりがいを強く感じています。
 
この場をお借りして、このような恵まれた環境で研究する機会を与えていただいた山髙教授をはじめ、同門の諸先輩方、医局員の皆様には心より感謝申し上げます。この留学で順天堂小児外科に還元できるような成果を残せるよう、今後も精進して参ります。
吉田 志帆_2021

2020年

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シンガポール国立大学より/須田 一人 シンガポール・ケントリッジ

シンガポール国立大学(NUS)留学体験記

(2010年卒)須田 一人
 
2017年1月から2020年2月まで、NUSに属するCancer science institute of SingaporeでResearch Fellowとして働く機会を頂きました。消化管幹細胞の標的マーカーが個体発生・臓器形成及び恒常性維持においてどのように機能を転換させていくか、また消化器癌の転移促進機序を解明するプロジェクトを進めていく中で、基礎研究に必要なベンチワーク・英語でのディスカッション・グラント申請・論文の書き方など多岐にわたって充実したResearch lifeを送ることが出来ました。
 
ハイレベルな研究者がいる環境で、研究の進め方については多大なサポートが得られました。同僚や共同研究者のプロジェクトを見聞きする中で、研究の立ち上げ方や時には思うように結果が出ない時のシフトチェンジの仕方など、研究を長く続けるに必要なワーキングスタイルを垣間見ることができたのはとても勉強になりました。今後、小児外科領域でリサーチを継続していくために不可欠な心得・スキルを学べたことが留学生活の最も大きな収穫です。
 
留学中に結果を残すこと以上に、この経験を帰国後どれだけ活かせるかが重要と認識しています。そのためにも診療領域から得られるアイディアと科学的アプローチをどのように融合させ昇華できるか、今後も精力的に取り組んでいきたいと思います。
 
最後に、国外留学の貴重な機会を与えて頂きました山髙教授と医局の皆さまにこの場をお借りし、心より感謝申し上げます。
須田 一人_2020

2020年3月22日
英国留学報告/澁谷 聡一 イギリス・ロンドン

英国留学報告

澁谷 聡一
 
平成22年卒の澁谷聡一と申します。私は2019年の1月より英国University College London内の小児疾患研究施設であるGreat Ormond Street Institute of Child Health (GOSICH)に研究留学をさせていただいております。順天堂からGOSICHへの留学は久々となりますが、再生医療を研究したいという私の希望に対する山髙教授のご厚意により、実現に至りました。
 
所属研究室のPaolo De Coppi教授は、小児外科医であると同時に幹細胞を用いた再生医療にも通じており、幅広い視野から新規治療開発を目指した研究を指揮しています。多数のプロジェクトが同時に進行する中、私は主に食道と肺に関する研究に携わっております。前者はブタ食道を足場にヒト由来の平滑筋前駆細胞を培養することで移植グラフトを作成する研究で、食道閉鎖症の新規治療として臨床応用が期待できます。後者は先天性横隔膜ヘルニアにおける低形成肺の新規ex vivoモデルを立ち上げており、こちらも将来的には胎児治療と関連させることを目標としています。
 
臨床と大きく異なる研究の世界は慣れないことが多く途方に暮れることもありますが、繰り返しにより基礎を体に染み込ませ、さらに効率的な方法を見つける、期待通りの結果が出なかった時に原因を追求して同じ失敗を繰り返さないようにする、といった学びのプロセスは外科の世界に通じるところがあり、少しずつ自身のスタイルが形成されつつあります。幸いにも子ブタからの臓器摘出やマウス胎児からの肺検体採取など、外科的手技も必要とされ、外科医として新たな技術を習得する機会にも恵まれております。また、週1回の臨床カンファレンスにも参加を許可していただき、臨床に対する情熱も保つことができています。
 
現在は無給であるため貯金を切り崩しての粗末な生活ですが、申請中の奨学金やグラントの獲得が成功し、安定した(少し娯楽のある)生活を送れるようになることを夢見て精進して参ります。引き続き同門の先生方からのご支援、よろしくお願い申し上げます。
澁谷 聡一_2020
研究所前のBrunswick Squareにてラボの仲間たちと

トロント留学体験記/矢﨑 悠太 カナダ・トロント

トロント留学体験記

矢﨑 悠太
 
私は2019年5月よりカナダ・トロントにあります、The Hospital for Sick Children(トロント小児病院)のAgostino Pierro先生の研究室へ、瀬尾先生の後任という形でresearch fellowとして留学させていただいております。
 
こちらへ来た当初は私の英語の不勉強がたたり、住まいの確保や銀行口座の開設はもちろんのこと、ハンバーガーひとつ注文するのもひと苦労でした。それからおよそ3ヶ月が経ち、普段の生活にもようやく慣れて来たところです。トロントの街は非常に都会的で過ごしやすく、ほとんどのことが徒歩・自転車圏内で済んでしまいます。一方で中心地から少し離れると森や湖など雄大な自然が広がり、休日にはハイキングやキャンプなどを楽しむことができます。また、こちらは基本的に親切な人が多く(変な人や路上生活者も日本より多いですが)、ラボでも街中でも、困っていると声をかけてくれます。
 
さて、肝心の仕事(研究)の方はと言いますと、これまで基礎研究のきの字もやってこなかった私にとってこの3ヶ月は目新しいことの連続でした。幸い、同じラボに静岡県立こども病院からいらしている日本人の先生がおり、仕事・生活の両面で大変助けて頂いております。しかしPCRのマシンの使い方からマウスの解剖の仕方まで、何から何まで初めて見聞きするものばかりで慣れるまでとても苦労しました。自分でプロジェクトを立案し、カンファで何度もダメ出しを食らいながらもようやくGOサインをいただくことができ、今後はモデルマウスを用いたNECの病態解明、およびマウス/ヒト腸管オルガノイドの研究に取り組んでいく予定です。
 
私自身まだまだ未熟で何も実績を残せてはいませんが、このような海外への留学の機会をいただけたことは非常に貴重であり、人間的にも医師としても成長できるのではないかと考えています。快く送り出してくださった山髙教授はじめ医局の先生方に感謝しつつ、少しでも還元できるようにこれからの研究に励んで参りたいと思います。
矢﨑 悠太_2020

2018年

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留学報告/瀬尾 尚吾 カナダ・トロント

留学報告

瀬尾 尚吾
 
カナダ・トロントのThe Hospital for Sick childrenでの、2年半に渡る留学を無事に終えることが出来ましたので、ご報告させていただきます。
 
異国の地での新生活に期待と不安の入り混じった気持ちでカナダに到着した日を思い出します。トロントはカナダ最大の都市ですが、都会でありながら自然が身近にあるとても綺麗な街です。冬は体感温度でマイナス30度にも及ぶほど厳しいですが、その分、夏はとても過ごしやすく、美しい所です。
 
基礎研究の経験が全くなかったことに加え、言葉・文化の違いから、赴任当初は色々な苦労をしました。言いたいことも伝わらず、実験ではなかなか思うような結果が得られず、孤独感と無力感で落ち込んでいたこともありました。ただ、それでも周りの人たちに支えられながら続けていくうちに、徐々に自分のアイデアが形となり、カナダ小児外科学会(CAPS)、アメリカ小児外科学会(APSA)、ヨーロッパ小児外科学会(EUPSA)等といった舞台で発表の機会を得られるようになりました。壊死性腸炎のマウスモデルを用い、腸管神経叢と病態の関連性や、Vasoactive intestinal peptideの抗炎症効果とバリア保護効果、一酸化窒素と腸管運動などといった事を研究テーマとし、現在それを論文にする段階にまでたどり着くことが出来ました。
 
不慣れな環境で、今までと全く違った仕事をするなかで、ラボのメンバー、医局の皆様、家族、友人など、周囲からの支えを強く感じ、その感謝の気持ちを忘れることはありません。日本にいては感じ得なかったことを感じ、いろいろな刺激を受け、多少なりとも成長できたのではと思います。本当に素晴らしい留学生活でした。
 
最後になりますが、この素晴らしい機会を与えてくださった、山髙教授を始め、同門会の諸先輩方、支えて下さった医局の皆様に、この場をお借りして心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。
瀬尾 尚吾_2018

ダブリン留学記/中村 弘樹 アイルランド・ダブリン

ダブリン留学記

中村 弘樹
 
2016年9月から2018年12月まで、山髙教授にご尽力いただきダブリンへ留学をさせていただきました。ダブリンへは今まで多くの先輩方が留学され、かつ素晴らしい仕事をされており自分も努力をつづけなければならないぞ、結果を残さないといけないぞという気持ちで現地へ向かいました。ボスはかの有名なプレム教授。数多くの業績を残され世界の小児外科医で知らない人はいない方です。留学生に対してご理解がありとてもお優しい方ですが、その優しい笑顔の中にある眼光の鋭さは常人のそれではありませんでした。すべてを見透かされているような、そんな感覚をもちました。
 
初めての海外生活で戸惑うことも多々ありましたが、プレム先生は私たちをご自分の家族のように迎え入れて接して下さいました。家族と過ごす大切さと人への接し方について常日頃からご指導を受け、人生への考え方が一変しました。これはダブリンへ来た1番の収穫となりました。
 
仕事の方は、「やればやるだけ応えてくれる」環境で、充実した時間を過ごすことができました。プレム先生のご指導に必死についていくと、次のチャンスが巡ってくる。最初はプレム先生の発表スライドの簡単な作成を依頼されるだけでしたが、それを積み重ねることで少しずつ信頼を得ていけた感覚がありました。目標としていた先輩の業績にはとてもおよびませんでしたが、結果的に2年3ヶ月滞在させていただき、論文11本、教科書のチャプター8本、学会発表10回、ISPSRではプライズ受賞もさせていただきました。これはひとえに、プレム先生のご指導と、山髙先生に多くのご指導をいただいたおかげだと確信しております。山髙先生を始め、医局の先生方にこの場をお借りして御礼申し上げます。誠にありがとうございました。
中村 弘樹_2018

2016年

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留学報告 アイルランド・ダブリン/高橋 俊明 アイルランド・ダブリン

留学報告:アイルランド・ダブリン

平成17年卒 高橋 俊明(2013.7〜2016.6)
 
2013年7月より2016年6月までの3年間、Prem Puri教授の指導のもと、アイルランドのダブリンにある研究施設で働かせて頂きました。CDHの発症機序、特に横隔膜の欠損の成因について研究して参りました。
 
まず何より、今回このような機会を与えて頂けたことに対しまして、山髙教授、宮野名誉教授をはじめとした同門会の諸先生、また自分の留学不在中、各病院で診療を支えて下さっていた同僚の先輩、後輩の皆様に感謝を申し上げます。
 
留学中の3年間は、朝から晩まで、休日も関係なく、Puri教授と共に仕事をさせて頂きました。学会準備、論文査読、教科書の執筆、講演スライドの作成など、ありとあらゆるPuri教授の抱える膨大な仕事を、共に取り組ませて頂き、大変勉強になりました。特に、2014年EUPSAや2015年ISPSRのように2度の大きな学会をダブリンで主催させて頂いたことは、その準備、運営には苦労はしましたが、自分の成長のために、とても貴重な経験をさせて頂いたと思っております。
 
アイルランドでの研究留学の環境があらゆる面で劇的に厳しくなり、加えて当施設での研究予算が大幅に縮小されるという逆境の中、最終的には3年間で22本の筆頭著者での抄録と、そのうち現在のところ16本の論文執筆、さらにはヨーロッパでの学位取得まで達成出来たことは、Puri教授の愛のこもった指導、そしてラボのチームメンバーとの苦楽を共にした友情を抜きにしては語れません。そして仕事の外でも、ダブリンの語学学校やサッカーチームで出会った、南米、ヨーロッパ、アフリカなど世界中あらゆるフィールドで活躍するたくさんの仲間達からの応援を受け、彼らとは一生の絆が出来ました。
 
今後は、この3年間で得た経験を生かしつつ、『信頼される外科医』を目指して、臨床・手術に精進して参りたいと思います。これからも皆様の御指導を宜しく御願い致します。

(2016.6 記)
高橋 俊明_2016

留学報告 ミシガンより/越智 崇徳 アメリカ・ミシガン

留学報告 ミシガンより

平成20年卒  越智 崇徳(2014.10~2016.9)
 
2014年10月よりミシガン大学で研究留学をさせていただいており、帰国まで残すところ1ヵ月となりました。ミシガン大学のあるアナーバーという街は、冬が長く寒さが厳しい分、夏の緑や空がとても美しい自然豊かなところです。様々な文化の違いを肌で感じながら、妻と2人の娘と共に充実した毎日を送っています。
 
ミシガン大学ではTeitelbaum教授の元、"TPN投与マウスにおける腸管免疫の変化" に関する研究をさせていただきました。最初の数ヵ月は実験手技を身につけることに必死でしたが、少しずつ結果が出始めてからはメカニズムを追求していく研究の面白さに惹かれていきました。そんな矢先の昨年7月の事、Teitelbaum教授が突如体調を崩され、ラボの継続が難しい状況になりました。しかし、体調を崩されてからも研究に対する情熱は変わることなく、自宅や病室に伺ってミーティングをする日々がしばらく続きました。Teitelbaum教授の強い信念と責任感、いつでも周りを気遣う優しさには感銘を受けました。今年1月にラボが閉鎖してからは、主任教授のHirschl教授の御厚意で、約2ヵ月半臨床現場を見学させていただきました。その後は、共同研究者として当初よりお世話になっていた消化器内科の鎌田信彦先生のラボで受け入れていただき、研究成果も論文として仕上げることができました。この2年間を振り返ると、本当に沢山の方々に支えられてきたことを改めて感じております。ラボの閉鎖が決まった時、山髙教授からは多大なるサポートと共に、2年間は残って自分の好きなようにしたらよいと励ましの言葉を頂き、その言葉が私にとって大きな支えとなり、その後も多くのことを学ぶ機会に恵まれました。
 
最後になりますが、私にこのような貴重な留学の機会を与えてくださった山髙教授を始め、同門会の諸先輩方、医局員の皆様に、この場をお借りして心より感謝申し上げます。留学で得た経験を順天堂に戻ってから生かせるよう、精進して参りたいと思います。
(2016.6記)
越智 崇徳_2016

2012年

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アイルランドより/藤原 なほ アイルランド・ダブリン

アイルランドより

平成16年卒  藤原 なほ(2011.5~2013.6)
 
アイルランドは暗く長い冬を越え、緑眩しく美しい季節を迎えています。こちらに来て、やっと1年、もう1年というのが正直な感想です。前任の土井先生の偉大な業績を前に、不安と迷いの中で研究をスタートした時のことを昨日のことのように覚えています。新しい扉を次々に開くように新しい知見を得る日々は、新鮮であり、臨床医学とはまた違うものでした。
 
現在、2つの研究プロジェクトに携わっています。一つは、アイルランド国立ダブリン大学にて、重金属カドミウム投与による鶏の臍帯ヘルニアモデルを利用し、責任遺伝子と蛋白解明のための研究をしています。また、Prem教授とともに、ナイトロフェン投与によるラットのCDHモデルを利用した病態解明と、それに関連しておこる肺低形成に注目し、その分子学的なメカニズムと将来的な臨床治療への応用を研究しています。昨年9月のオーストリア・グラーツでのPSRで初めて研究結果を発表できるチャンスをいただき、自分が苦手とするプレゼンテーションを鍛錬できる貴重な場だと再認識しました。
 
基礎研究を勉強したいという自分の想いを叶えていただいた宮野名誉教授・山髙教授をはじめ、あたたかく送りだしてくださった同門会の沢山の先輩方、ならびに医局員の皆様にこの場を借りて心から感謝申し上げます。
 
臨床で鍛えられたタフな精神と身体で、結果を残し帰国できるよう、1日1日を邁進するだけです。
(2012.12記)
藤原 なほ_2012

留学体験記 ミシガン州アナーバーより/末吉 亮 アメリカ・ミシガン

留学体験記:ミシガン州アナーバーより

平成17年卒  末吉 亮(2011.3~2013.5)
 
2011年3月から渡米し、早1年が経過しました。 お陰さまで3週間、岡和田先生との引き継ぎの期間を頂き、生活のセットアップを早い時期に整えられ、充実した留学生活を送っております 。しかし、日本では経験のなかった基礎研究を英語の環境で始めることは、想像以上の大きな課題でした。留学当初は、実験でつまずいた時も、英語でわからない点を説明すること自体が難しく、暗中模索の日々が続きました。最近になり、Teitelbaum教授の配慮により、指導役の研究者と共に仕事を進めることができるようになり、少し道が開けてきたような印象があります。
 
自分の研究テーマは、IL10ノックアウトモデルを用いた炎症性腸疾患に対するアンギオテンシン変換酵素阻害薬の効能、そして マウス短腸症候群手術モデルのメカニズム解明、ブタに腸管拡張デバイスを埋め込むことでの腸管拡張モデルです。 これらは古賀先生、岡和田先生と脈々と引き継がれてきた研究テーマであり、自分一人の研究ではなく、研究会社との共同研究や、ミシガン大学工学部との共同研究もあるため、常にプロとしての結果が求められます。 ミーティングもTeitelbaum教授とマンツーマンのdiscussionではなく、アメリカ人のいつでもお互いの質問が繰り返される状況の中、少しでも自分の意見を伝えられるよう心がけておりますが、実行することはなかなか難しいです。
 
そのような中、印象深い体験をしました。初めてブタの手術を執刀した時、英語のコミュニケーションでわからないことが多々ある中、手術手技のコミュニケーションはとてもスムーズに感じました。手術も言葉の壁を越えられるのかと実感しました。
 
また、留学のもう一つの目的は、異文化交流し、自分の見識を広げることでもあります。欧米人の宗教に対する思想、家族生活をとても重視する点、食生活の違い等、日本では感じられなかったことを肌で感じ、少しでも人間性を豊かにできればと思います 。
 
そんな留学生活の基盤は、家族のサポートにより支えられています。4ヶ月で渡米してきた息子も、日々成長しており、自分も負けていられないと感じております。
 
今年は、この1年間やってきた研究を多くの学会で発表し、できるだけインパクトファクターの高い論文で報告できるよう励みたいと思っております。
 
最後になりましたが、このような海外留学の機会を与えてくださった山髙教授、及び同門会の諸先輩方に、この場を借りまして感謝を申し上げます。そして、順天堂代表として、このアメリカで、諸先生方に恥じないような良い仕事ができるよう日々精進してまいります。
(2012.12記)
末吉 亮_2012

2009年

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アイルランド留学記2010/土井 崇 アイルランド・ダブリン

アイルランド留学記2010

(平成14年卒)土井 崇
National Children's Research Centre Our Lady's Children's Hospital Dublin, Ireland
 
アイルランドに来てから約2年半が経過しました。今年の夏は例年に無い穏やかな気候に恵まれ、大変有意義な生活を送らせて頂いております。
現在研究させていただいている2つのプロジェクトは、お陰様でどちらも順調に経過しております。アイルランド国立ダブリン大学にてPhDコースとして研究させて頂いている、カドミウム投与による鶏の臍帯ヘルニアモデルは、その責任遺伝子と蛋白の解明に力を注いで参りましたが、次第にその全容が少しずつ明らかになってきており、今年度末にはこちらでの学位論文を纏められるのではないかと思っています。これまでの大学での研究成果は、昨年の大阪での日本小児外科学会学術集会、グラーツで開かれたヨーロッパ小児外科学会及び英国小児外科学会(EUPSA&BAPS)で発表させて頂き、また基礎系学会としてフランスのアルルで開かれた、ヨーロッパ奇形学会(ETS)に初めて参加し、ここでは様々な分野の研究者との意見交換の中で、大変多くの貴重な刺激を受けて参りました。その後イタリアで開かれた国際小児外科研究会(PSR)に続き、カナダ小児外科学会(CAPS)、米国小児科学会(AAP)と大学での研究成果を発表させて頂き、今年に入ってマレーシアで開かれたアジア小児外科学会(AAPS)でも発表する機会を頂きました。また、ここダブリンのNational Children's Research CentreにてPrem教授とともに取り組ませて頂いている、ナイトロフェン投与によるラットのCDHモデルを用いた研究プロジェクトでは、主にCDHに関連して起こる肺低形成の病態解明と、レチノイン酸投与による肺成熟の促進の有効性に注目し、その研究を引き続き続けており、その成果は昨年のEUPSA&BAPSでPeter Paul Rickham賞の部門で発表する機会を得てから、続いてPSR、AAPSと発表させて頂く事ができ、今年のマレーシアでのAAPSでは幸運にも賞を授くことができました。今年の5月には米国小児外科学会(APSA)で発表する機会を頂き、このことが恐らくこの1年振り返って私にとって一番の収穫だったかもしれません。昨年のAPSAでは私のまだ未熟であった抄録が採択されなかったという苦い経験がありました。今年はそのリベンジ、という意味合いが個人的に強かったので、同じ内容の研究に取り組み、質を上げた抄録で採択された時にはとても嬉しかったのを覚えています。こうした貴重な経験を集中してさせて頂いていることによって、どういった内容の抄録が採択され、またどういった内容(質)では採択されないのかの見極めが少しずつ出来るようになってきたのでは、と思います。
また、私がここアイルランドに来てから一貫して心掛けている「論文を書くこと」に関しては、今年もその数を地道に増やすことができました。現在のところアイルランドに来てから、筆頭著者として12論文が出版され、現在3論文が採択済み出版待ちの状態です。私がここアイルランドで研究する31人目の日本人医師となりますが、これまでの優秀な先輩方に負けないよう、頑張っていきたいと考えております。
最後になりますが、この貴重な留学の機会を与えて下さった宮野名誉教授・山高教授を始め、同門会の諸先輩方、ならびに現在順天堂で私を支えてくださっている医局員の皆様に、あらためてこの場をお借りし、心からお礼を申し上げます。今後も引き続き、順天堂大学小児外科の代表として研究に励んで参りたいと思います。
ミシガンだより/岡和田 学 アメリカ・ミシガン

ミシガンだより

(2002年入局) 岡和田 学
 
時の経つのは早もので、私がミシガン大学へ留学させて頂き2年が経ちました。生活のセットアップに悪戦苦闘した1年目、基礎研究の面白さ・難しさを教えられた2年目と1年毎に感じるものは違いますが、充実した生活を家族ともども送らせて頂いております。
私はミシガンでの研究では1)潰瘍性大腸炎・クローン病のメカニズム解明、2)短腸症候群の新たな治療法開発という2大テーマを頂きました。特に1)のメカニズム解明は同じ研究室に同様の研究を行っているものがなく、ほぼこちらのボス(Teitelbaum教授)と2人3脚で研究に取り組んでいます。世界の多くの研究者が挑んでいる自己感免疫性腸疾患の解明に私も微力ながら参戦中と行ったところです。そして、今は自己感免疫性腸疾患とTNFαを取り巻くADAM17、TIMP3、NFkB…etcなどの関連性を調べ始めて1年半が経過しました。TNFαとは単なる腫瘍マーカーとしか発想出来なかった昔の自分とはまったく大違いで、1つ1つのたんぱく質・サイトカインがどのような関連性を持ち、つながって作用しているのかをひも解いていく作業に魅せられています。2つ目のテーマ2)短腸症候群の新たな治療法開発は、ブタの腸に遠隔操作可能な装置を埋め込み、腸がいかにして成長し、どのようなシグナルが関連しているのかを研究しています。ブタに手術をするので、何となく臨床の雰囲気を味わえ、とても楽しい研究です。また、自分の研究テーマではありませんが、時間のある時には同僚の行っている研究の手伝いとして、ミシガン州で脳死患者から臓器提供が行われる際に、その病院へ駆けつけて小腸や大腸の一部を研究の検体として採取し、最後には閉腹をすることも行っています。アメリカでは臓器移植が進んでいるため、多い時には週2-3回検体採取に夜な夜な出かけて行くことも珍しくありません。ブタの研究と同様に臨床の雰囲気を味わえるとともに、アメリカの移植医療の現場を実際に経験できる貴重な体験をさせて頂いています。
残された期間、家族と過ごす時間を大切にし、研究にもさらに精進したいと考えています。
この度の貴重な海外留学の機会を与えて頂きました山高教授にこの場をお借りし、心より感謝申し上げます。

2008年

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Michiganより/岡和田 学 アメリカ・ミシガン

Michiganより

岡和田 学
 
2008年4月よりアメリカ・ミシガン大学小児外科Teitelbaum研究室へ腸炎・短腸症候群に対する研究目的に留学させて頂き、早いもので1年が経過しました。
赴任当初はなかなか英語も通じず、基礎研究の経験もそれほどなかったため毎日が辛く、厳しいものでした。しかし、幸いにも前任者の古賀先生と3週間ほど滞在期間が重なることができ、古賀先生にすべての面でサポートして頂いたことは本当に助かりました。古賀先生本当に有難うございました。
さて、こちらに赴任して1年が経過した今は、基礎研究の面白さにすっかり魅了され、これまで臨床医学の世界しか知らなかった私にとっては、すべてが新鮮で面白く、刺激的に感じています。また、数多くの論文を読み、様々な分野の研究者と意見交換を行うことで、多角的な物の考え方を覚え、徐々にではありますが英語に対する自信もついてきました。今年は、多くの基礎系の学会発表に挑戦し、さらに、論文作成にも力を入れていきたいと考えています。
そして、今回の留学は家族にとっても大きな転機となりました。今のところ家族3人楽しく元気に生活しております。特に4歳になった息子は、すでに私よりも流暢に英語を話し、プリスクールでは多くの友達ができたようです。
残された期間、家族と過ごす時間を大切にし、研究にもさらに精進したいと考えています。
最後に、海外留学の貴重な機会を与えて頂きました山髙教授にこの場をお借りし、心より感謝申し上げます。
アイルランド留学記その2/土井 崇 アイルランド・ダブリン

アイルランド留学記その2

(平成14年卒)土井 崇
The Children's Research Centre Our Lady's Children's Hospital Dublin, Ireland
 
こちらに来て早や約1年半が経過しました。今この留学記を書いている4月は、長い冬を越したあとの、とても良い季節です。アイルランドの緑がより一層際立ち、日が伸び、暖かく天気の良い日が増えます。私はダブリン市内でも少し外れの田舎町に住んでいるので、家のすぐ隣には牛や馬がたくさん居る牧場があり、大自然の中、大変有意義な生活をさせて頂いております。
現在、2つの研究プロジェクトを同時進行させており、一つの研究は、アイルランド国立ダブリン大学にて、重金属のカドミウム投与による鶏の臍帯ヘルニアモデルを利用し、責任遺伝子と蛋白の解明のための研究をしています。ダブリン大学での研究は、昨年ドイツのライプツィッヒで開かれた学会(PSR)で発表し、幸運にも賞を受賞することができました。また、プレム教授とともに、以前は田中(旧姓中澤)先生らが取り組まれていた、ナイトロフェン投与によるラットのCDHモデルを引き続き利用させて頂き、その病態解明と、特にCDHに関連して起こる肺低形成に注目し、その分子学的な機構と将来的な臨床治療への応用を追究しています。この研究所は長い歴史を持つ古い建物でしたが、今年初めに改装され、これまでの実験室が3倍以上にも拡張されたことで、実験設備も大変充実しました。この研究所での仕事は昨年のトルコのイスタンブールでの学会(EUPSA)で発表し、ここでも幸運にも賞を受賞できたのを始め、スペインのサラマンカでの学会(BAPS)とアメリカはボストンでの学会(AAP)でも発表させて頂きました。昨年の1年間を振り返りますと、合計5つの学会発表の機会を得ることができ、2つの賞を受賞し、5つの論文投稿(筆頭4つ)もできました。本当に運が良かったんだな、と思います。今年は運だけではなく、昨年得られた貴重な経験を確実に活かし、年間6~7回の学会発表と同じ数の論文投稿ができることを目標にしています。現在のところ、この5月と6月で4つの学会発表での口演が決定しており、2つの論文を既に投稿し、残り2つの論文は現在作成中ですので、今のところはまずまずのペースで来ていると思っています。人それぞれ何に重点を置いて研究するかは違うと思いますが、留学中の私にとって一番大切なことは、何よりも「論文を書く」ことだと思っているので、なるべく多くの論文を書くことをまず第一に心掛けて、今後も研究により一層励んでいきたいと考えています。
最後になりましたが、私にこのような留学の機会を与えて下さっている同門会の先輩方、大学の教授を始め医局員の皆様に、この場をお借りしまして心から感謝申し上げます。引き続き、順天堂大学小児外科の代表として恥じない研究をしていくとともに、帰国後いずれかの形で医局に貢献できるよう、色々な経験を積んでいきたいと思います。

2007年

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開かないメジャーへの扉/宮野 剛 アメリカ・オハイオ

開かないメジャーへの扉 ~ベンチからでもなく、スタンドから眺める公式戦~

宮野 剛
 
アイオワからシンシナティーへの移籍後九ヶ月、球春の到来したアメリカから最後の留学記を綴っています。基礎研究とは無縁の臨床研究に携わっている私のここでの仕事は純粋に論文を書くことですが、順天堂において受けた訓練のお陰で、全く不自由を感じることなく仕事をさせて頂いております。しかし論文を何本書く、大きな学会で発表するなどということは、今の自分にとって重要ではありません。留学における最大の目標は英語力の向上です。学生時代、アカデミックな舞台への興味が著しく欠如していた私は英語の勉強などした記憶が無く、小、中、高校、大学を通じて野球にのみ情熱を注ぎ続けてきました。ところが現役最後の試合での敗戦がきっかけで世界を目指すことに。そんな私にとって英語、特に会話力を向上させる為に唯一残された選択肢が海外留学でした。
二年の時を経て英語力に一定の成果を得たことは私にとって極めて幸運なことであり、今回の様な素晴らしい留学の機会に恵まれたことにつき、順天堂大学小児外科の歴史と同門会の全ての先生方に改めて厚く御礼を申し上げる次第です。しかし一方、外科医にとって手術の機会を失うということは予想を遥かに超えて辛く厳しいものです。アイオワの小さな病院から世界最大の小児外科施設へ移籍した影響で、手術中の私の守備範囲も大幅に減少致しました。臨床、手術のフィールドに立てない外科医は首輪で繋がれた闘犬と同じです。渡米後抱き続けてきた外科医としての葛藤を一人で胸の奥に仕舞い込まずに済んだのは、全て妻と二人の娘の力であったようにも思います。
 
そして今、私の心を占める一つの思い、帰国後一日でも早く「鼠径ヘルニア根治術を自分一人で完遂させられる小児外科医」になる。そんなたった一つの思いで前を向いています。
愛蘭土(アイルランド)/土井 崇 アイルランド・ダブリン

愛蘭土(アイルランド)

土井 崇
 
昨年の秋に、田中(旧姓:中澤)奈々と入れ替えで愛蘭土に来てから、早や半年が過ぎました。今振り返ると本当に月日が過ぎるのが早く感じられます。奈々はこちらで本当に良い仕事をして帰っていったので、当然のことながら後を引き継ぐ者には同様の結果を期待され、またそれをしなくてはいけないプレッシャーを感じながらの半年でした。
こちらへ来て、私は2つの大きな研究プロジェクトを任されることになりました。1つはPrem教授の指導のもと、ここChildren's Research Centreでのnitrofenを用いたラットのCDHモデルの研究です。これは奈々だけでなく、先代の留学生がこれまでやってきた研究の継続という意味でも非常に重要なものです。これまで臨床しか経験のない私にとっては、もちろん「基礎研究とは何ぞや?」からのスタートとなりましたが、初めの約2ヶ月間で何とかreal-time RT-PCRの技術を習得し、3ヶ月目にはBAPSとEUPSAの2つの学会への抄録を作るところまで辿りつきました。6ヶ月目にはAAPへの抄録を作り・・・と、何だかんだでバタバタでしたが、振り返ってみればこの6ヶ月間で合計3つの抄録を作ることができ、順調に国際舞台での発表の機会を得ていることを、大変嬉しく思います。
もう1つの研究プロジェクトはUCD(国立ダブリン大学)にて、cadmiumを用いた鶏の臍帯ヘルニアモデルの研究です。発生学的に、腹壁に異常を来たす機序を様々な角度から検討しています。腹壁欠損に関する基礎研究はまだまだ少ないので、良い研究と発表ができるよう頑張ります。
愛蘭土は国の色(緑)に代表されるように、本当に緑に溢れた素敵なところです。その高い緯度の割には、冬でも日本ほどは寒くはありません。人々は温厚で優しい人が多く、治安も非常に良い国です。電車はほとんど無いに等しいので、車またはバスが基本的な交通手段になっています。私が住んでいる首都ダブリンは、ここ10数年ほどで急激な経済成長と人口の増加を経験し、恐らくはその情勢の速さに環境整備が追いつけないのでしょう、特に朝と夕の交通渋滞はかなりひどいです。また、ほとんどのアイルランド人は時間に対してルーズ、というか全く気にしないのが通例なので、きっと毎日の交通渋滞にもイライラすることはないのだと思います。ダブリンはヨーロッパの中でも異常に物価と地価が高すぎるところなので、日本円に換算したりすると少々嫌になりそうなこともありますが、何より家族が安心して住める治安の良さと引き換えと思うと、しょうがないかな、という気にも最近はなってきています。
もともとフランスへの留学希望が強かった私ですが、今となってはここ(愛蘭土)に来れて本当に良かったと実感しています。今私がここで研究できているのも、先代の留学生の先生方が努力された結果の賜物と考えています。そして、私がまたここで結果を残すことによって、また後輩達に良い道が作れるのだと考え、これからの留学期間の日々をより一層大切にしていきたいと思っています。一つの思い、帰国後一日でも早く「鼠径ヘルニア根治術を自分一人で完遂させられる小児外科医」になる。そんなたった一つの思いで前を向いています。
ミシガン留学記/古賀 寛之 アメリカ・ミシガン

ミシガン留学記

古賀 寛之
 
宮野・山高教授の御配慮により、2005年7月からミシガン大学CS.Mott Children Hospital, Session of Pediatric Surgery, Teitelbaum教授の下に留学の機会を頂き、2年9ヶ月間ひたすら勉強に没頭できるという素晴らしい時間を過ごす事が出来ました。
学生の頃から異国文化の中で生活するという漠然とした希望をもっていた私は、いま思えば他力本願で恥ずかしい事ですが、その夢なら順天堂小児外科教室でなら実現可能かもしれないと思って入局しました。夢にまでみた留学でしたが、いざ渡米してみると想像以上の言葉の壁にぶつかり、最初は一日一日を過ごすのに精一杯といった地獄のような毎日を過ごしました。夜、仕事終了後にアパートに戻り眠りに就くのが唯一の楽しみでしたが、「数時間経てば、また激動の明日がくる。しかし、結果をださない限りは生きて日本の地を踏むことは許されない。やるしかないぞ」と自分を奮い立たせながら毎日をひたすらがむしゃらに過ごしました。
私の仕事はTeitelbaum教授の研究室で腸管免疫におけRennin-angiotensin-system系の役割と腸管上皮細胞のenterogenesisの作用機序を解明するというものでした。実験といったものをまともにやったことがなく、RNAと蛋白の違いもよくわからないレベルから始めたので結果をまともに得ることができるまではとても大変でした。当時は毎日が???な事の連続でごく簡単なことですら何一つスムーズに行えないでストレスフルな毎日でしたが、今となってはこの大変な思いこそが良い経験・勉強であり、留学する事の真意なのだろうなと思えます。仕事で初めて満足のゆく結果が得られたときの事、その結果をもとに抄録を書いてアメリカ外科学会(ACS)に投稿して採択されたことがとてもうれしくて、興奮したのを今でも鮮明に覚えています。また、ACSに参加してみて日本では想像することすらできなかったレベルの高さに驚き、ボコボコにされましたが、「またいつかここにきてやるぞ」の思いで、それ以降はより一層気合いを入れて仕事に取り組むことが出来ました。その後、いくつかの結果を得ることができて数多くの学会で発表する機会に恵まれることができましたが、アメリカの仕事はあくまでもアメリカのものなので、日本に戻ってからも継続して自分の血肉にしていかなくてはならないと思っています。
アメリカ留学で学んだことの一つに「厳しさ」があります。「仕事のポジションをとるため」、「仕事を遂行するため」等、彼らが全ての事に対して高いプロ意識をもって取り組んでいることにはとても刺激されました。「結果」を示した者にはさらにより良い環境が提供され、「結果」を示すことのできない者はポジションを失うといった熾烈な競争が医者だけではなく、医学生や研究者にも日常的に行われていました。このような厳しさは「平等を好み、競争を好まない日本」で育った私にはショッキングでした。彼らの主戦場である世界と戦うためにはそのような「厳しさ」を見習わないといけないと強く感じました。しかし、そのような厳しさの中に寛容さを兼ね備えている一面を見ることもできます。学会などでは妥協することなく、論議していても終われば紳士的にお互いを讃えて情報交換、共同研究のプランを立てている姿などはまさに彼らの「学問に対する懐の深さ」を感じさせられる時でした。
海外留学は私にとって一大イベントでしたが、お金では得ることのできない多くのことを学ばせてもらいました。最後にこのような貴重な経験をさせてくださった、宮野・山高教授に心から感謝するとともに、私が留学から学んだ事・体験した事をできる限り医局に還元することが私の責務の一つだと考え、今後もより一層の努力精進をしていきたいと思っています。

2006年

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ドイツ・ハノーバーより/下高原 昭廣 ドイツ・ハノーバー

ドイツ・ハノーバーより

下高原 昭廣
 
ドイツ・ハノーバーのハノーバー医科大学小児外科・Benno Ure教授の下へ留学させて頂いて2年余りが過ぎました。ハノーバーでの現況を報告させて頂きます。
まずは本務である研究についてですが、いざ実験を始めてみると、当然のことながらなかなか上手くいきませんでした。基礎研究の難しさ・厳しさは予想していましたし、ある程度覚悟はしていましたが、やはり全くいい結果が出ず時間だけが過ぎていった時期には、辛くて逃げ出したくなりました。アイデア自体が悪かったのか、技術的な問題なのか、このまま進めるべきか諦めて次に進むべきか・・・、いろいろと考えさせられました。しかし、研究室の仲間や家族に支えられ、いずれの試練も何とか乗り切ることが出来ました。とっつきにくいイメージのあるドイツ人ですが、比較的小さな研究室だからでしょうか、研究室のメンバーはとても親切に指導してくれます。
シェフであるUre教授は、仕事に関しては順天堂並みの?プレッシャーをかけてこられますが、理不尽な要求をすることはなく、医局員の家族やその生活にも目を配られる良きリーダーです。学術的なアドバイスだけでなく私と家族の生活を手厚くサポートして下さり、大変感謝しております。学術研究のとりまとめを任されているKuebler医師は、頭脳明晰で若手のホープですが、とても優しく細かな心配りをしてくれます。最も一緒に働く時間の長いバイオロジストのVieten博士、技術員のTeichmann氏は、私のドイツの母といった感じです。
ハノーバーについては以前ご紹介致しましたが、緑が多くとても気に入っています。休みの日には、家族みんなで動物園に行ったり、湖の周りをサイクリングしたり、ヨットセーリングを楽しんだり、サッカーや凧揚げをしたりして過ごしています。
ドイツと言えば昨年開催されたサッカーのワールドカップが記憶に新しいところですが、私達も初戦の対オーストラリア戦を観戦してきました。試合は残念ながら負けてしまいましたが、腹の底に響き渡る歓声と独特の高揚感、周囲のサポーターとの一体感は忘れられない思い出となりました。当時二歳だったわが息子も、そのときの印象が強かったのかサッカーが大好きで、家の中でも外でもボールを蹴りまくっています。このワールドカップに際しては、同門会の河野先生ご夫妻がドイツまで来られ、ハノーバーにも滞在されました。私達の家をお訪ねくださったり、近郊の観光を御一緒させてもらったりして、とても楽しい時間を過ごすことができました。その後も美味しい静岡の味を何度もドイツまで送って頂きまして、妻といつも大変感謝しております。
今回の留学で得たものは数え切れないほどありますが、最も大切に思えるのは、たくさんの人達が自分を支えてくれているということを心から感じ、素直に感謝できるようになったことです。医師として日常業務をこなしてきたなかで少しずつ積み重なってきた過剰な自信や傲慢さを、今回の留学で拭い去ることが出来たように思います。山高先生・宮野先生・河野先生をはじめとする順天堂同門の皆さん、現地で公私にわたり面倒をみてくださったMHHのスタッフ、不自由な生活にもかかわらず私を懸命に支えてくれた妻、泣きながらも頑張って現地の幼稚園に通った子供達、物心両面から援助して頂いた両親・親戚、時にはドイツまで足を運んでくれた友人達、そして奨学金を出して頂いた財団等、本当に多くの人に支えられてここまで来ました。日本に帰国後も、今のこの気持ちを忘れることのないよう肝に銘じて日々を過ごしていこうと思います。
このような貴重な機会を与えてくださった皆様に改めて深くお礼申し上げます。どうもありがとうございました。
ミシガン便り/古賀 寛之 アメリカ・ミシガン

ミシガン便り

古賀 寛之
 
ミシガンに留学させていただいてから早いものでこの夏で2年が経とうとしています。この期間に日本では決して学ぶことの出来なかった多くの事に実際に肌で感じる機会に恵まれ、たくさんのことを学ばせて頂いています。ここではその中の幾つかの事を述べたいと思います。
 
時間について:まずここに来て驚いたのはなんといっても時間の流れ方です。順天堂の時間と比べ物にならない程にゆっくりしています。この街の時計は止まってしまったのか??と錯覚するほどです。私の住んでいる町がUniversity of Michiganを中心とした学園都市という事も影響していて、ワシントンDCやニューヨークの人達の時計とは違うのかも知れません。ここの街の人達は言葉も大して上手くない外国人に対してとても寛容で親切な人達ばかりでJapanese Englishの私にとってはとてもありがたいのですが、あまりのマイペースぶりに「この人達このままでも本当に大丈夫かな?」と感じることさえあります。なんと病院で働いている人達も例外ではありません。何故、日本とアメリカでこんなに時間の流れが違うのか理由は未だにわかりませんが、彼らは自分の生活をとても大事にしているように思えます。しかしながら順天堂で「仕事はこうやるのだ!」と訓練された私は未だに馴染むことが出来ずに、ストレスを毎日感じています。順天堂のペースで仕事をしている私は同僚からは???といった目で見られています。でもここの生活にどっぷりと完全に浸ってしまったら、帰国後、浦島太郎のようになってしまい、社会復帰は困難になってしまうのだろうなーと注意しながら毎日を過ごしています。
 
街について:東京で生まれ育った私にとって、この街で生活することはとても新鮮です。この街はいたるところに公園があり、夏になると鮮やかな緑の木々が生茂り、緑の絨毯の芝生、五大湖へ流れていく美しい川、ここにはリスやうさぎや鹿といった動物もいます。冬はとても厳しいのですが、厳しい冬があるからこそ、夏の緑が映えるのでしょう。University of Michiganの高いレベルを保つ秘訣はこのように素晴らしい自然の中で生活することにより浮かんでくるさまざまな研究のアイデアなのかなとすら感じています。(University of Michiganは、医学部はもちろんのこと他学部でも常に全米の上位にランクし、アイビーリーグに匹敵する程の全米で1,2を競い合う州立大学だそうです)ここは勉強するのは最高の環境です。留学先が大都会でなくてよかった!もし、都会に留学していたら、一人身の私はいろんな事に誘惑されて仕事や勉強どころではなかったなと思います。
 
仕事について:さて肝心な仕事についてですが、University of Michigan, Section of Pediatric SurgeryのTeitelbaum教授の下で腸管免疫について勉強させて頂いています。Teitelbaum教授の専門は外科栄養、腸免疫、短腸症候群で、私は主に短腸症候群について研究しています。Teitelbaum教授の研究室は決して大きいとは言えませんが、その分ボスとの距離がとても近く、とてもよく面倒を見て下さいます。Teitelbaum教授からは臨床での問題点をどのように解決していき、それをScienceとして研究室に落とし込んでどのように考え研究し、最終的にはどうやって得られた結果を臨床にフィードバックしていくかということを学ばせて頂いています。この考え方を学ばせて頂いている事がこの留学の最大の魅力であり、最大の目的であると思っています。この考え方は基礎研究だけの事ではなく、今後、臨床医をやっていく上でも大いに役立つと感じ、この考え方を絶対習得して自分のモノにしてやろうと思っています。また幸いにもここでの仕事で幾つかの結果を得ることができ、APSAやDDWなどの大舞台で発表する機会にも恵まれました。
 
ここでの生活もだんだんと残りが少なくなってきました。あと、どれくらいの時間がここで残されているかはまだはっきりとは解りませんが、先輩方が築いた順天堂の名前を汚さないように毎日気合を入れて勝負していますので、今後とも何卒宜しくお願い致します。
 
Jun-2007
晴天のなか、雨天順延/宮野 剛 アメリカ・アイオワ

晴天のなか、雨天順延

宮野 剛
 
「お前は外科医だろ?外科医のお前がなんでここに来たんだ?」
私の海外留学はボスのこんな言葉から始まりました。"腹腔鏡を使用しての動物実験"を夢見て渡米した私が所属したのは医学部の無いアイオワ州立大学の工学部。用意されたオフィスはメインの研究室から50m程離れて位置し、掃除のおばさん達の控え室の並び、眺めの良い文字通り窓際の個室でした。仕事も無く、誰もいないオフィスで一日を過ごしているうちに頭がおかしくなってきた私は、研究を諦め手術見学の為に病院に向いました。"世界一の腕"を期待しての初日、包茎一件。二日目、皮下腫瘤摘出一件。三日目にいたっては手術室を訪れても患者さんどころかスタッフすら一人もいません。順天堂で毎日の様に繰り広げられていたドラマティックな日常はそこにはありませんでした。
仕事は無くとも、ここはアメリカ、英語の勉強だけは誰からも制限されません。昼夜を問わず、様々な英語教室に通うとともに、「日本語教えます」の張り紙を街中に張り、集まったアメリカ人学生に無料で日本語を教えることで私自身の英語を訓練。週末は必ず教会に通い聖書の勉強と英語の練習、いつからか、英語の練習が私の仕事になっていました。
そして、ルームメイトPaulosとの出会い。「家賃不要」の張り紙に飛び付いて来た彼は、農業を専攻するエチオピア人で背は私と同じだが横は私の3倍ある大男。英語の為だけに始めた彼との共同生活も、時間を経て言葉・文化の壁を越えた不思議な友情を感じ取るまでになり、2歳になる私の娘も彼にはよくなついていました。8ヶ月の留学期間を終えた彼はエチオピアへ帰国、彼を空港で見送ったときに私が胸の奥にしまい込んだ疑問、「今後、彼ともう一度会う日は訪れるのだろうか?」。私の妻が泣き出した。そして、彼も泣き、私も泣いた。「life is always like this」彼の最後の言葉が今でも私の心から離れません。
 
山高教授の寛大なる御配慮を受け、6月からCincinnati Children's Hospitalへ移籍させて頂きました。そろそろ医者に戻ります。
ダブリンより Vol. 2/中澤 奈々 アイルランド・ダブリン

ダブリンより Vol. 2

中澤 奈々
 
留学記の依頼を受け、以前留学記なるものを書いてからもう2年の歳月が経ったことに驚きを隠せなかった。そのとき書いた文章を読み返す。ダブリンに来て間もないころ、ゆっくり流れる"アイルランド時間"に初めはいらだち、戸惑いながらもそれに順応し、そしてその新しい生活を楽しみ始めた自分を思い出した。さて今回は、帰国を目前にして、その後の2年間で自分が経験したことを振り返り、"ダブリンよりVolume 2"と題してここに記したいと思う。以前ダブリンに留学されていた先生方にはアイルランドの相変わらずな面と最近の変化を、アイルランドに来たことがない方、もしくはこれからダブリン留学を希望されている先生方にはアイルランドの現状(あくまで私の目からみた)を、少しでも伝えられたら幸いである。

《天気》

ダブリンは相変わらず天気が悪い。だからその分、天気のいい日はみんな一日中Lovely weather ! Gorgeous !! を連発している。いつしか自分も天気のいい日をとてもありがたく思うようになり、快晴の続く週末にラボにこもって実験をしているとなんだかとてももったいないような気分になって、いっそのこと雨降れ!と心の狭いことを密かに思ったりしているのである。

《物価》

物価は高い!私個人的にはユーロ高、円安が影響していて、最近は特に高く感じる。ちなみに私がこの国へ来たとき1ユーロ=136円であったのが、2007年6月現在1ユーロ=165円。これは大きな違いである。売店の3ユーロのサンドイッチが、400円だと思っていたらいつの間にか500円になっているということだ。それに加えてガス代、電気代がここ1年で20~30%も値上がりした。生活は決して楽ではないです・・・。

《英語》

アイルランド訛りの英語は初めは聞き取りにくいと思っていたが、いつしか自分もその訛りが身についてしまっていたらしい。アイルランド訛り、と一言に言ってもアイルランドの中でも地域が異なれば訛りもさまざまである。一部の地域ではゲール語(アイルランド語)を話しているが、これは英語とは全く異なる言語であり、未だに全く理解できない。また訛りだけでなく、他の英語圏の人が首をかしげるようなアイルランド特有の英語表現も沢山ある。2年も経つとアイリッシュ・イングリッシュにはかなり愛着がわいてきて、「あなたの英語はアイリッシュアクセントがあるね」と言われると驚く反面、自分がここで生活していた証だとちょっとだけうれしかったりもする。

《お酒》

世界で最も酒税が高い国のひとつであるアイルランドでは、お酒は高い。アイルランド産のウイスキーなどもアイルランド以外で買うほうがずっと安く手に入る。でもアイリッシュはひたすら飲む。ビールの国民一人当たりの消費量はチェコに続いて世界第2位だそうだ。しかも日本の居酒屋のようにおつまみを食べながら飲むのではなく、何も食べずにひたすら飲み続ける。ラグビーやサッカーのマッチのある日はパブで観戦しながら昼間からず~っと飲み続けている。(明らかに肝臓に悪そうなので、そこはマネしないようにしています。)

《リサーチ、学会(ようやく本題)》

私の研究内容は先天性横隔膜ヘルニア。特に横隔膜ヘルニアとビタミンAとの関係について、ラットモデルを使って研究している。順天堂からも多くの諸先輩方が今私が勤務しているリサーチセンターでCDHの研究を行っており、その軌跡を追うのも興味深いことのひとつである。Professor Prem Puriが'第二の家族'と呼ぶ歴代のリサーチャーの顔写真は彼のオフィスの壁一面に立て掛けられており、Prof. Puriはその一枚一枚を眺めながらそのリサーチャーのエピソードを語るのが特に好きで、いろいろな話を聞かせてくれた。(中でも小林先生エピソードは数知れず・・・。)
Professor Puriの丁寧なご指導のお陰で、多くの学会で発表する機会がもてた。一番最初の発表では、質問の意味が分からず悔しい思いもしたが、場数を踏ませていただいた甲斐あって英語も含めプレゼンテーションの仕方も少しは成長したかなと思える。学会は私にとってまさにモチベーションの源となる場であって、いろいろな意味で刺激を受ける。英語はもちろん重要だが、堂々と発言できる知識と経験をもつことのほうがずっと重要なのだということを思い知らされる場でもある。

《臨床》

今年1月から、研究に加え病院にも足を運び始めた。Professor Puriがダブリンにある3つの小児病院すべてをかけてもっているため、私も彼についてそのすべての病院で手術見学をしている。オペ室で驚かされる点は、まず回転が速い。特にマイナーオペや日帰りオペが中心の国立小児病院では'麻酔室'なる部屋がオペ室の手前にあって、オペ室での進行具合を見計らって麻酔室で麻酔がかけられ、ひとつのオペが終わると退室と同時に次の患児がもう麻酔にかかった状態で入室となる。そのため外科医はもちろん休む暇がないのだが、とにかく回転は眼が回るほど速く、午前中だけで十件以上のオペをたったひとつのオペ室で終わらせることが可能なのである。外来や病棟回診で感心するのは、スペシャリストナースと呼ばれる、各分野に精通した特別な資格を持ったナースの存在である。日本でもそうであるが、数多く訪れる外来患者ひとりひとりにたっぷりと時間をかけるのは難しいのが現状だ。特に長い間フォローアップが必要な患者にはまずスペシャリストナースが対応して、問題点を医師に報告し診療が始まる。その後医師の方針にそって補足的な説明などはまたスペシャリストナースが行う。診療が終わった後わいた質問なども、スペシャリストナースが丁寧に対応し、帰宅後も患者は直接このナースとコンタクトを取っているようだ。スペシャリストナースから学ぶことは多い。患者の生の声を医師に知らせ、カンファレンスなどでも堂々と意見する。医師もナースも同じチームとして、対等なディスカッションが繰り広げられる。
その他違いをあげたらきりがないが、当然ながら日本(私は順天堂小児外科しか知らないが)のほうが優れていると思うところも多々あって、単純にどちらがいいとはもちろんいえない。ただ違いを知る機会を持てたということに感謝して、今後の順天堂での生活にいい形で反映できればと思う。
 
というわけで、思いつくままに書いてしまったが、これが私の経験している"アイルランド"である。また数年後にこれを見返して懐かしく想うのだろう。末筆ながら、この機会を与えて下さった順天堂小児外科に表現しきれないほどの感謝の気持ちを込めつつ、筆をおきたいと思う。