インタビュー

2021年05月06日

答えのない時代に「問い」を見出す力を養う教育コンテンツ「おしゃべり病理医のMEdit Lab」

経済産業省は子どもたち一人ひとりが未来を創る当事者(チェンジメーカー)に育つ学習環境を構築するために、2020年8月、「学びのSTEAM化」実現に向けたSTEAMライブラリー事業の公募を実施。順天堂大学医学部人体病理病態学講座(順天堂大学医学部附属練馬病院病理診断科)の小倉加奈子先任准教授の教育コンテンツ「おしゃべり病理医のMEdit Lab -医学Medicine×編集Editで世界を読む」が、医学分野で唯一採択され、2021年3月よりSTEAMライブラリーのWEBサイトで公開中です。現役の医師でありながら、若い世代の教育に力を注ぐ小倉先任准教授に、教育コンテンツの意図や若い世代への想いをお聞きしました。

STEAMライブラリー事業で中高生が楽しみながら学べる医学教材を提案

STEAM」とは、Science, Technology, Engineering, Art(s), Mathematicsの頭文字をとった名称で、課題発見から解決まで、協働に重きを置きつつ教科横断的な探究学習の意味で使われる言葉です。以前より欧米ではSTEAM教育が盛んに行われており、近年、日本でも学際的な学びを新学習指導要領に盛り込むようになりました。経済産業省は2018年度より①学びのSTEAM化、学びの自立化・個別最適化、新しい学習基盤づくりを3つの柱にした「未来の教室」ビジョンを推進しており、20208月、その一環であるSTEAMライブラリー事業の公募を開始しました。

もともと私はNPO法人の活動などを通じて中高生の教育現場に関わっており、公募の情報を耳にして「中高生が楽しみながら学べる教材を作ってみたい」と思いました。そこで、縁あって10年前から情報編集を学ばせていただいていた編集工学研究所に協力を依頼し、STEAMMathematicsMedicineに読み替えた教育コンテンツ「おしゃべり病理医のMEdit Lab」を開発しました。そして、医学分野として唯一、STEAMライブラリー事業に採択していただくことができました。

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編集工学研究所「本楼」での収録風景

「バイオ」「歴史」「読書」3つのテーマを医学と重ねて考える

「おしゃべり病理医のMEdit Labのテーマは「バイオ」「歴史」「読書」の3つから構成されています。いずれも中高生が学校で学んでいる内容と医学を関連づけて、コンテンツを制作しています。

「バイオ」は私の専門である医学に最も近しい分野ですが、開発がCOVID-19の感染拡大と時期を同じくしたということもあり、感染症を取り上げることが大切であると考え、高校の「生物」で習う人体の免疫機能についても触れながら、パンデミックが社会にもたらした様々な影響についても考察していくワークを盛り込みました。

「歴史」はリベラル・アーツの観点からも医学と関係づけながら人文科学を学んだほうがよいと考えて採り入れました。感染症ひとつ取り上げても、ペストやスペインかぜのパンデミック、医学の発展に寄与した道具の発明、あるいは偏見や差別というテーマを考察するうえでの病院の歴史など、トピックは盛りだくさんです。

「読書」は、医師の読み書き術として、カルテの書き方を紹介しながら医療面接を体験してもらうワークを通し、情報のインプットとアウトプットをトレーニングすることを目指しています。また、Twitter140字にどれだけの情報を盛り込めるかを試す作文ワークや、本文を読まずに目次だけで本の内容を把握する読書ワークなど、「どんなふうに読んで、どう書いていくか」を考えてもらいます。

上記の3つのテーマを12コマの授業ごとに割り振りコンテンツを作成しました。そのすべてに動画、ワークブック、指導要領、ルーブリック(評価基準)を用意しています。生徒さんは動画を視聴し、ワークブックも活用しながら様々なワークに挑戦してもらいます。担当する先生方も一緒に楽しみながら、中学校や高校の授業で活用していただければと考えています。最近の子どもたちは動画を見る目が肥えているため、企画・立案・撮影・編集・グラフィック制作など、さまざまな面で編集工学研究所のプロフェッショナルの力をお借りました。そのおかげもあって、今までにないような医学教材もができたのではないかと自負しています。

おしゃべり病理医のMEdit Labダイジェストー経産省STEAMライブラリー教材

医学を身近に感じながら、学び方を学ぶ

「おしゃべり病理医のMEdit Labには大きく2つの目的があります。

ひとつは、中高生に医学を身近に感じてもらうこと。医学は専門的で難しいという先入観を取り払い、普段の勉強や日常生活と医学がどのように関連しているのかを体感していただくことを目指します。

実は大学の医学部でも、この30年ほどの医学の進歩により学ばなければならない専門的内容が増大し、医療全体のあり方や将来像を多角的に考察する機会がほとんどありません。とはいえ中学高校の教育現場では「医学教育は医学部で行うもの」という固定観念が強く、医療や医学をテーマにして何かを教えるという試みはあまり見られません。

しかし、医療は社会の中にあるものです。医療の在り方は、社会の在り方と無関係ではありませんし、むしろ医学部に入学する前の中高生にこそ、ニュートラルな感覚で医療の在り方を考える機会があった方がいいのではないかと考えます。

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カードゲーム形式で楽しく学べるワークも

ふたつめは、学び方を学ぶこと。学び方とは「情報の扱い方」と言い換えることもできます。この教材により、情報の理解、記憶、発想、伝達といった情報編集の「型」を学んでいただきたいのです。できれば医学だけに捉われず、学際的にひとつの情報をさまざまな角度から見て考えること。例えば、ウイルスについて生物学的、医学的な観点で調べてみたり考えてみたりすることと同時に、ウイルス感染症がもたらした社会に対する影響もともに考える、というようなことです。ひとつのテーマ、ひとつの情報から様々な考察を自ら広げられるよう、ワークにおいても、正解であるかどうかよりも、そのプロセスを重視しています。

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「むしろ医学部に入学する前の中高生にこそ、ニュートラルな感覚で医療の在り方を考える機会があった方がいい」

正解のないワークを通し、問いを生み出す力をはぐくむ

私は順天堂大学医学部附属練馬病院で病理医を務めていますが、病理医不足が深刻な状況のため、7年前よりNPO法人「病理診断の総合力を向上させる会」の活動に参加し、医学に興味を持つ高校生対象の病理診断体験セミナーを開催してきました。

セミナーでは中高生の意見に思わずハッとさせられることが少なくありませんでした。ある私立高校で実施した乳がん診断セミナーでは、超音波診断装置を学校に持ち込み、鶏肉にオリーブの実を差し込んだものを乳がんの患部に見立てて、実際に高校生に生検の手技を体験してもらったり、ガラススライド標本を観察して病理診断を行ってもらったりしました。さらに患者の年齢・家族構成・経済状況などのバックグラウンド情報も渡し、グループごとにその患者さんにとってベストな診療はどうあるべきか、ということも議論してもらいました。「この患者さんが一人暮らしだったら、治療をどう進めていけばいいのか」「認知症が進んだら、今後服薬をどうすればいいのか」など、研修医が青くなるほど患者さんひとりひとりに寄り添った課題発見があり、感動することもしばしばでした。

このセミナーは病理医になる人材を増やすことが目的ですが、この活動を継続していく中で、病理学だけで医学について語ることは足りないのではないかと思うようになりました。これからの医療はいったいどうなるのか。医療はAIや遺伝子研究によってどう変わっていくのか。そういった生徒さんたちの真摯でひたむきな問いに対して、専門家として上から意見を言うのではなく、一緒に考えていく場も育てていかなければならないと考えるようになりました。

今回の教材は、そういった今までの体験を踏まえ、何かを正しく理解するということより、何かに疑問を持つ、ということを重視しました。これからの社会を生きる子どもたちは、自ら課題を発見し、解決方法を探っていかなければなりません。そのために、この教材では、動画だけではなく、ワークブックにも随所に「多様な問いを生み出し、学びを膨らませていく」ための工夫を盛り込みました。参考図書の紹介などもただ書名を羅列するのではなく、本同士の関係性が見えるような変わった見せ方を心掛けたり、情報編集の型の多様な説明を盛り込んだりしながら、子どもたちの連想が広がるような工夫を凝らしました。こうした教材を利用して、正解のない時代を生き抜くための自ら問いを生み出していく力を養ってほしいと思います。問いを生み出す力こそが学びの原動力になると考えます。

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「問いを生み出す力こそが学びの原動力に」

10年後医師になる若い世代へ― 楽しみながら学び続けてほしい

病理診断の件数はこの数年で年間100万件近く増えているにもかかわらず、病理医の数は全国でわずか2,600名ほど(202011月時点)、平均年齢は54.6歳にもなり(20188月時点)、危機的な状況です。「このままでは患者さんの病理診断が遅れて大変なことになる」と、病理診断体験セミナーや一般向けの書籍の執筆をはじめ、一般の方に病理学を知ってもらう活動を継続してきました。

病理医は、検査や手術などで摘出された臓器や組織を顕微鏡で観察し、その病気が何かを診断する医師のことです。全身の疾患を診ることができ、患者さんの病気が果たして何なのか、真相究明できることが魅力です。そして何よりも、患者さんにとっての「もうひとりの主治医」として、一人一人の患者さんのこれからの将来を担う専門医としてもとても責任のある仕事ですから、ぜひ医学を志すみなさんに病理医を目指していただけたら嬉しいです。

今、医師を目指そうと考えている高校生のみなさんが実際に医師になられるのは、10年先でしょう。10年先の医療や医学がどうなっているのか、誰も答えを持っていません。しかし、答えのないものに向かっていく好奇心や勇気こそが大切ですし、わからないことを楽しめる心が何よりも大切です。悩んだり迷ったり自信をなくしたり、これからいろいろなことがあるでしょうが、それは逆にいえば「答えを知る余地がたくさんある」ということ。ぜひ楽しんで学び続けてください。

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≪関連リンク≫
プレスリリース「経済産業省「未来の教室」STEAMライブラリー 一般公開 ~順天堂大学医学部人体病理病態学講座 小倉加奈子先任准教授の「おしゃべり病理医のMEdit Lab -医学Medicine×編集Editで世界を読む」も公開へ~」はこちら

小倉 加奈子(おぐら・かなこ)
順天堂大学医学部 人体病理病態学講座 先任准教授
順天堂大学医学部附属練馬病院 病理診断科・臨床検査科科長


2002年、順天堂大学医学部卒業。2006年、同大学院博士課程修了。
医学博士、病理専門医、臨床検査専門医。
NPO法人「病理診断の総合力を向上させる会」理事。
順天堂大学練馬病院 臨床研修副センター長。
順天堂大学練馬病院病理診断科において10年以上、外科病理診断全般を担当し、研修医、医学生の指導にあたっている。
イシス編集学校の指導陣として、社会人に対しての情報編集工学の指導経験も豊富である。
NPO法人の活動や執筆活動を通して、中高生への医学教育や一般の方々の医療リテラシー向上に向けて活動を展開している。
大学1年と中学3年の二児の母。