HOME
順天堂医院の今昔

Story 5 スポーツと順天堂

ロンドン・オリンピック2012で日本は予想を上回る成績を残して、国中がよろこびに沸いている。順天堂の卒業生や在学生も今大会に参加してすばらしい成績を残した。実は順天堂とスポーツの縁は古い。

はじまりは順天堂の4代目堂主佐藤達次郎(1868-1959)であった。達次郎は若い頃から乗馬や柔道に親しみ、大学時代は花形スポーツであった東大のボート部の選手であった。1932(昭和7)年ロサンゼルス・オリンピックに後輩の東俊郎がボート競技の監督で参加すると、達次郎院長もオリンピック観戦に出かけたほどスポーツ好きであった。

そして翌1933(昭和8)年、達次郎院長は内科医で病理学者であった東俊郎を順天堂に招き、大震災以降、活動を停止していた研究所の復興を託した。東俊郎はここに第二内科を開き、総合内科とスポーツ健康相談部、臨床検査部をおいた。当時、スポーツ医学と健康相談の外来は他になかった。日本のスポーツ医学の草分けとなったのである。また、臨床検査部も他になかった。一般の開業医の臨床検査も行い、科学的診断の普及につとめた専門外来であった。これも日本で最初であった。なお、戦後、東俊郎は最初の文部省体育局長を務め、第一回国民体育大会から国体開催に尽力するなど日本体育界に大きな足跡を残した人である。

ところで1950(昭和25)年、学制改革によって新制大学順天堂大学が発足するにあたり、医学部に加えて体育学部をおいた。これは東俊郎の念願であった体育を医科学的研究でサポートする″体育学″を実現した学部であった。しかし、当時は医学部と体育学部を併設するのに違和感を抱く人も少なくなかった。東俊郎の医学と体育学をもつ健康大学を目指すという主張を、達次郎理事長が受け入れ、順天堂大学体育学部が発足したのであった。なお、達次郎理事長は体育学部でオリンピックの金メダリストを育てるのだと夢を語っていたが、それは1988(昭和63)年ソウル・オリンピックで金メダリスト鈴木大地によって実現した。

順天堂研究所の建物

順天堂研究所の建物
PAGETOP