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順天堂医院の今昔

Story 6 順天堂医院のはじまり

湯島のこの地に順天堂醫院が始まったのは明治8年4月。それまでは明治6年2月に開院した病院が下谷練塀町にあった。

その病院は500坪の土地に50部屋の2階建ての病院であったが、たちまち満床になり増築に増築を重ねていた。慢性的な病室の不足に加え、1日に200人を超える外来患者のため新病院を建てる必要に迫られていた。そこで、湯島に江戸時代″火消し屋敷″であった3500坪の土地をみつけた。1坪1円であったが、建物の費用を入れて総工費2万円余が必要であった。まだ金融機関が発達していないこの時代、縁あって前田家から借用することとなったが、この交渉は難渋した。前田家は、返済は望めないものと思っていたからである。ところが、二代目医院長佐藤尚中は5年後の明治13年4月に、年3分の利子をつけて完済し前田家を驚かせた。本格的な私立病院、順天堂のはじまりである。

このころの順天堂は、ドイツから帰朝した佐藤進が先端医療で鳴らし、また明治10年の西南戦争で軍医として活躍したことから全国にその名を知らしめ、患者や塾生が各地から集まった。

江戸切絵図で見る湯島

江戸切絵図で見る湯島
矢印が順天堂医院の位置。
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