順天堂グローバル教養論集第一巻20160325
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33現象の多面的理解を支援する「コンテクスト間の移動」に関する一試論1. 本論考の背景および目的 現代社会において要請されている国際(的な)教養の一要素として、個人の目の前に立ち現れる現象に関する多面的な理解がある。多様な人びとによって構成されるグローバル化した社会においては、「人と人を結びつける社会関係資本」(稲葉, 2011, p. iii )を構築するために、社会の構成員のさまざまな立場・観点から捉えられた現象の意味、そして、それらの間に生まれる複層的な関係性を理解する意識と能力が必要とされている。 しかしながら、現実には、多くの人びとが、現象を理解する際、ほぼ無意識のうちに、特定の限られたコンテクスト(物理的環境、社会・文化的な規則、規範、当事者間の共有知識や対人関係など)のなかで現象を単純化、矮小化して解釈してしまうことがある。場合によっては、否定的な解釈が前景化され、その結果、不信感、摩擦、対立、そして紛争につながっている。 もちろん、現象を単純化して捉える人びとがいる一方で、眼前に立ち上がる「他者」を含む現象を多様な観点から捉え、現象の多面的な理解を実践し、摩擦や対立を解消するために努力を続ける人びともいる。したがって、本稿は、人間全般について、常に現象を単純化、矮小化して捉える、という前提に立つものではなく、多様で異質な他者、不慣れな現象を目の前にした人びとが、無意識的に単純化した認知プロセスに陥ってしまうケースを想定している。本稿では、その認知プロセスから脱却し、達成される「現象の多面的理解」のあり様について論じ、さらに、そうした理解の実現にとって有効な一助になりうる「コンテクスト間の移動」という考え方を提示するものである。 多様な他者との関わりを端緒とする、現象の単純化と否定的解釈の前景化は日常的に観察される。たとえば、ある日本人が、たまたま電車で遭遇したアジア系の外国人観光客を見ながら、東京・秋葉原で大量の買い物をし、禁止区域で路上喫煙をするテレビで報じられる外国人観光客の様子を直ちに想起し、買い物が日本にもたらす経済的側面や、「マナー違反」といった道徳・文化の側面という2つの限定的なコンテクスト(共有知識)で、他者(外国人観光客)を理解し、どちらかといえば後者の否定的なイメージを喚起する存在として観光客を認識することがある。 こうした大手メディアによって供給される、理解のコンテクストと随伴する否定的なイメージは、その影響を受けた人びとの認識世界のなかでほぼ自動的に前景化され、実は潜在的には無数にあるはずのコンテクストは後景に埋もれ、本来多様な側面をもつ他者(観光客)のアイデンティティや現象(他者の行為)の意味が、矮小化された形で否定的に理解される。この否定的なイメージが認識者にとっては、「リアル」で実体的な説得力をもち、認識者の理解を高い割合で占有し、同時に、自身の単純化された認識過程を相対化する批判意識(self-reexivity)が失われ、単純化された現象理解に埋没する。結果、異なる別のコンテクストの適用によって立ち現れる新しい理解への思考経路が閉ざされる。 グローバル化する社会では、異質な他者を目にする機会が増え、その都度、上述のような認知プロセスを介して、限定的なコンテクストに依拠した無意識的な理解の発動パターンがより多く経験される可能性がある。そこで、本論考では、多様なコンテクスト間を意図的に移動することによって、単純化のプロセスを解きほぐし、現象の多面的理解の一助となる「コンテクスト間の移動」(context shifting, 以下、CSと表記)(石黒, 2013; Ishiguro, 2015)について詳説する。 本論では、まず、関心相関性(西條, 2005)や「論理科学モード/ 物語モード」(ブルーナー, 1998, 1999)を用い、本稿における「現象」の意味について論じる。次に、多文化関係学会(2004)によって示された4つの視点ならびにトランスカルチュラリティ(文化横断性)概念

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