順天堂グローバル教養論集第一巻20160325
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40順天堂グローバル教養論集 第一巻(2016)をさらに深化させるための契機として読み替える可能性が示された。その前提として、コンテクスト間を移動し、当事者間に共通する関係性を見出すことを中心とする、より多面的・複層的な関係性への理解があった。現象を多面的に理解したうえで、多様な観点から、協働、共生のための新たな結節点、基準、理路を他者とコミュニケーションをとりながら、共同生成する主体性がそこでは求められている。3.4. コンテクストの所在 上述のような自他をつなげる結節点、理路を共同生成するために、「コンテクスト間の移動」を行うわけだが、この「コンテクスト間の移動」という表現は、あたかもコンテクストが、静態的な形でどこかにあって固定化されており、そこへ人びとが移動するような理解を誘発してしまう。しかしながら、本稿でいう「コンテクスト」は、CSの実践者が置かれた状況に潜在的に無数にあり、意識的もしくは無意識的に人びとが前景化させるもので、その理解も実践者が他者や環境との相互作用のなかでその都度生成していくような動的、過程的なものである。 CSの図式的フレームワークでは、現象理解に介在しうる潜在的な多様なコンテクストを意図的に捉えるためのトリガーとして、マクロ、メゾ、ミクロなコンテクストを図式として固定的に示している。van Dijk(2009)は、コンテクストを社会的状況に関する主観的なメンタルモデル(subjective mental models of social situa-tions)と位置づけ、そのメンタルモデルが社会構造(人種、民族、ジェンダー、年齢、社会的地位等)と我々の日々のコミュニケーション・パターンをつなぐものであると主張する。したがって、メンタルモデルとして人びとによって理解されるコンテクストは、社会的な構造の影響を受けたものであるが、同時に個人が主観的に解釈する対象である。たとえば、日本人同士で類似したコンテクスト(社会構造や価値観)を共有しているからといって、互いに「和を尊重し、同調性がある」といった憶測はできず、個々人が、そのような価値観をどのように捉えているかはそれぞれの主観的な理解による。そのため、コンテクストは、どこかに固定的にあって、静態的なものであるという理解ではなく、いま・ここの状況、出来事のなかで人びとの認識のなかで関心相関的かつ動的に生成される社会・文化的かつ個別的な側面が織りなすメンタル・モデルである、ということができる。 CSにおいては、以上のような動的な解釈を生み出すトリガーとしてのコンテクストを図式化して示す。その図式を利用するCS実践者は、図式化された多様なコンテクストを移動しながら、コンテクストを間主観的に解釈し、自身のバージョンを認識のなかで生成する。換言すれば、CSの図式で示されているトリガーとしてのコンテクストは、一定の共通性を持つが、誰にとっても常に同じ意味をもたらすものではない。このことから、CSの実践においては、図式的に示されたコンテクストから自身が引き出す意味が、他者が見い出すであろう意味と違う可能性を考慮する慎重さが不可欠である。3.5. グローバル市民とCS では、以上のような動的かつ慎重なコンテクストの理解を確認したうえで、グローバル市民性との関係に焦点を当て、CSの特徴についてさらに考察したい。CSにおいては、「グローバル・トピック」に象徴されるように、グローバルな視点から現象を捉える認知プロセスを前景化する。そのため、グローバル市民性(global citizenship)と高い親和性をもつ。ここで、グローバル市民(性)に関する2つの言説を示し、CSとの関連性について論じ、CSがグローバル市民性につながる国際的な教養を醸成するうえで果たす役割について考察したい。 まず、小池(2013)は、グローバル(市民)教育を定義するなかで、「自分がよければ、自分の町がよければ、自分の国がよければ・・・などの限定的考え方を払拭し、地球全体の視点

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