順天堂グローバル教養論集第一巻20160325
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92順天堂グローバル教養論集 第一巻(2016)ている。双方は共に教師主導の授業の一環にあり、実際に教師と生徒間での対話のみが展開されていた。導入時に、教師が犬の写真を用いた際には、塾での既習知を述べる生徒が見られ、約1ヵ月後の総括時には、19回「わからない」と呟いた生徒が見られた。また双方の授業において、生徒間対話が生起することはなく、予見不能な偶発性と参加者による変幻自在で対等な貢献は示唆されなかった。一方、2011年に教師は、自らによる従来の「文法用語を連ねる権威主義的手法に生徒が辟易していると感じていたこと」から、このことの脱却を志向して生徒主体の授業を企図し、事例ⅱ(表1)と事例ⅳ(表2) で示された指導方法を初めて試した。すると予測していなかった質問が生徒により発せられ、さらに総括の授業で、英語が苦手な生徒が関係代名詞の説明をこなし、得意な生徒が感謝のことばを綴るという、教師にとって忘れ難い経験を得た。双方の事例において、予見不能な偶発性が見られたことに加え、事例ⅳでは、参加者による変幻自在で対等な貢献も確認された。教師も、2015年9月現在における自らの授業実践が、生徒間対話のあり方と生徒主体の授業を追究する途上にあることを認めている。 4つの事例は、教師による生徒主体の授業追究以前と、以後の教室談話の様相を照射している。実際に教師によれば、「授業時間内での進行と収拾を図ろうと、長年教師が主導権を握ることに固執していたが、掌で生徒をころがすに留まらない生徒主体の授業の新たな可能性を感じていた」という。「主導権を握[らない]」という教師による認知変容は、例えば2009年には、「自身の飼い犬について話題にしていた」教師が、2011年には「生徒の認識に寄り添[う]」ことを志向して、既習事項をふまえ、実際の生徒名を用いて学校生活の一端を示す例文を提示するようになった経緯からも示唆される。そしてその結果、生徒による予期せぬ発問が生起し、画一的な教室談話の有り様が変化し、教師と生徒を含む全参加者の間で協働的な対話が構築され、新たな生徒理解の契機を得た教師による、さらなる授業実践の充実へ最終的には繋がっていくとも解釈できる。また2011年には、自らの発話量を減少させて、生徒間の対話を傍らで見守る教師の姿 (Sawyer, 2006, p. 187) も認められ(事例ⅳ)、より複雑で蓋然性の高い教室談話の中に身を置き、教師が「不確定な状況への敏感で主体的な関与」(佐藤・岩川・秋田, 1990, p. 196) を志向するようになったとみなし得る。なお、この過程は2009年~2011年の3年に亘り、生徒間対話の質を高めようとした教師が、試行錯誤を重ねる中で無意識のうちに辿った道程である。3年間の授業実践を介し、生徒間対話に関する教師の思考が深化し、教室談話についての知が構築されたと考えられる。 最後に、事例ⅰ ~ 事例ⅳ (表1, 2)の教室談話のあり方をふまえ、生徒による英文法理解の可能性についての示唆を得たい。全国調査(ベネッセ教育研究開発センター, 2009)によると、「英語学習でつまずきやすいポイント」(p. 9) として、中学生の78.6%が「文法が難しい」(ibid.)と回答している。そして2009年の総括時に松田くんが、19回「わからない」と述べたように(事例ⅲ)、関係代名詞を理解することは、中学生にとって容易ではないと考えられる。しかしその一方で、2011年の事例ⅳのやりとりからは、菅沼くんによる関係代名詞に関する理解の萌芽が示唆され、教師も生徒間対話の有用性を認めている。また本稿では、生徒主体の授業を志向して3年間に亘り葛藤を重ねてきた、教師の認知の一端を捉えている。しかしながら生徒間対話以外にも、生徒による文法理解を促進する方法は、多様に存在し得る。加えて、本研究では学級単位での協働的な対話の様相を捉えている一方で、グループ学習時の教室談話は分析されていない。したがって、より多くの英語教師による信条と認知を明らかにし、発話生成の文脈をふまえ、生徒による英文法の理解促進が可能となる実証的な[empirical]知見の導出が、今後は求められると言えよう。

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