順天堂グローバル教養論集_第二巻_2017年3月(ISSN2424-0001)
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919世紀の「医学」と「芸術」の対話アンドレ・ブルイエ(André Brouillet)が描いた油彩画《シャルコーの臨床講義》(1887)(図7)を見てみよう。この絵は、シャルコーの「火曜講義」の様子を伝えており、1885年にサルペトリエール病院に留学したジークムント・フロイト(Sigmund Freud)が、この講義がきっかけで、最初の著作『ヒステリー研究(Studies on Hysteria)』を上梓した話は有名である(フロイト,1974 [1895])。 さらに、この絵の左端をよく見てほしい。「後弓反張」を描いたスケッチが掲げられており、90度回転させれば、右端の女性患者の立ち姿と対応させているのがわかる。図6のベルの「後弓反張」のスケッチが男性患者(負傷兵)だったのに対し、この絵の患者は女性に代わっている。 19世紀に女性の病気として「発見」されたヒステリーは、いまや死語となった歴史的概念として、現代の医学用語では「演技性人格障害」に変わっている。シャルコーがヒステリー女性患者を写真に記録し、定期刊行物『サルペトリエール写真図像集(Photographic Iconography of the Salpêtrière)』の出版を開始したのが1876年、そして、フロイトが『ヒステリー研究』を上梓したのが1895年である。本稿は、これらの出版よりも30–40年前の1851年前後の初期ミレイ作品を対象とするものであり、ミレイの女性像と、シャルコーが「狂気の可視的徴候についての疾病分類学(nosology)」(ディディ=ユベルマン,2014[1982],66頁)に還元したヒステ リー的身体を同列に扱うものではない。だが、神経衰弱、身体疲労やヒステリーが、女性特有の病気(狂気)の隠喩となっていた19世紀という時代性を広くとらえれば、女性の病気に対するミレイの関心は問題意識を共有していたともいえよう。ただし、ミレイの眼差しは好奇と偏見というよりも、救済に近いものを感じさせる。 《マリアナ》(図3)は、針仕事に勤しむ若い女性がつかの間の休息をしている姿が描かれ、青い衣裳を身に纏い、大天使ガブリエルを型取ったステンドグラスの格子窓の前で刺繍している図像から、「受胎告知」を踏襲している。だが、ミレイはこの作品で、シェイクスピアの戯曲『尺には尺を(Measure for Measure)』を元に詩人テニスン(Tennyson)が詠んだ詩「マリアナ」(1830)と「受胎告知」を対比させながらも、必ずしも文学的な主題に依拠することはなかった。図7. ブルイエ、《シャルコーの臨床講義》、1887、油彩画、パリ第5大学・医学史博物館にて筆者撮影(2011)

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