順天堂グローバル教養論集_第二巻_2017年3月(ISSN2424-0001)
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10順天堂グローバル教養論集 第二巻(2017) ベルは『表情の解剖学と哲学』の中で、「もし画家(ラファエロ)が(後弓反張の)あらゆる状態を忠実に表現したら、それはあまりに痛々しい結果となるため、画家の趣味や想像に一部委ねられたにちがいない」として、「後弓反張(ヒステリー性癲癇)」の絵には画家のセンスが求められると書いている(ベル,2001 [1847],150頁)。《マリアナ》の後ろに反り返って捩れる身体のポーズは、ラファエロの「後弓反張」を起こした少年の「大袈裟」で不自然な表情や手ぶりをミレイのセンスで排し、自然な女性のポーズに改めた試作の結果であったと解釈できるのではないだろうか。  この点を確かめるべく、ヴィクトリア&アルバート美術館に保管されている《マリアナ》の習作のスケッチ(1850)(図8)を実際に確認したところ、後ろに反って、ぎこちなく体を捩る緊張と弛緩の全身の動きを、ミレイが「線」で描出することにこだわり、試行錯誤していたことがわかる。 図8の下絵では、「針」が「釘」のように大きく描かれているように、《両親の家のキリスト》の水平の作業台に打たれた「釘」は、次作《マリアナ》では、刺繍台に垂直に刺さる「針」へと連鎖している。《マリアナ》の針仕事(刺繍布)は、さらに《オフィーリア》が纏う刺繍があしらわれた衣裳に結びつき、彼女は水を含んだ衣裳の重みで殉教者のように沈んでいくのである。ここで《両親の家のキリスト》から《マリアナ》を経由して、ようやく《オフィーリア》にたどり着くことができる。4. 《オフィーリア》(1851-52)4.1. 「驚きと一緒になった恐れ」のスケッチ ミレイは、ウィリアム・ホルマン・ハントとともに、1851年の7月から12月初旬まで、ロンドン郊外のサリー州の州都キングストン・アポン・テムズ近郊の村ユーウェルに長期滞在した。ミレイが《オフィーリア》の背景に選んだ場所は、ユーウェルを流れるホグスミル川(テムズ川の水源にあたる)の自然であったと考えられている(Millais, 1899, pp. 115-116)‬。 興味深いことに、夏目漱石は『草枕』の中で、この場所を「不愉快な場所」と書いているが、このセリフは「浴室」を舞台に《オフィーリア》が仕上げられたことにも無関係ではない。ミレイの『回想録』によれば、ユーウェルでの長期滞在後、ミレイはロンドンの自宅に帰り、病弱な女性(シダル)に衣裳を着せ、水の入った浴槽に寝かせて絵を完成させたのだという。「水治療」を示唆するような逸話であるが、注目すべきは『回想録』にある次の記述である。「画家(ミレイ)が完全に絵に没・入・(absorb)したため忘我の境に入り、病弱な女性(シダル)は寒さで麻痺するまで、冷たい水の上を浮かび続けた(筆者、強調)」(Millais,1899, p. 144)。 ミレイの初の大回顧展を2007年秋に企画したテート・ブリテンの学芸員アリソン・スミス図8. ミレイ、《マリアナのための習作》、1850、ヴィクトリア&アルバート美術館所蔵、筆者撮影(2010)© Victoria and Albert Museum, London

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