順天堂グローバル教養論集_第二巻_2017年3月(ISSN2424-0001)
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1119世紀の「医学」と「芸術」の対話(Alison Smith)は、ミレイをラファエロ前派における「近代心理学の先駆者」として位置づけ、「まるで絵の前の観者に気づかないかのように、物事に没頭している人物に焦点を当てる描写法」―「没入(absorption)」―にミレイの絵の特徴があることを指摘している (Smith, 2007, p. 16) 。 確かに、観者(あるいは画家)の存在など全く気にしていないかのように、無表情のまま「没入」している人物描写は、ミレイの絵の多くに共通して見られる特徴である。《オフィーリア》は、異様なまでに成長した木々や植物が迫っていることも知らず、虚空に目をやり、完全に「没入」している。絵の外の観者に「どんな(オフィーリアの)顔をかいたら成功するだろう(漱石,2016 [1906],91頁)」と不思議がらせ、絵の内へ観者も「没入」してしまうのである。 ここで、比較のために《オフィーリア》の習作(1852)(図9)を見てみよう。前章で取り上げたベルの『絵画における表情の解剖学試論』(第3版以降『表情の解剖学と哲学』に改題)には、この習作の劇的な表情と酷似したスケッチ(図10)が所収されており、ミレイが習作段階で逆立つ髪を描くにあたっては、ベルのこのスケッチの説明を手掛かりにしたと思われる。「血液が引くことから様相は青白く死体のようである。後頭―前頭筋の働きで皮膚にからみつく感じで毛が逆立つ。上記のスケッチでは、驚きと一緒になった恐れを表現しようと試みた」(ベル,2001 [1847],155頁)。 ベルは「驚きと一緒になった恐れ」を、逆立つ髪の毛と表情筋の働きの関係から「科学」的に説明しようとしているが、図10は大きく広げられた手の動きが描き加えられているため、不自然で、芝居がかったようにも見えてしまう。1844年の第3版以降の『表情と解剖学の哲学』では、大袈裟な手の動きを削除した「驚きと一緒になった恐れ」のスケッチに差し替えられており、ミレイはこの矛盾を意識したのかもしれない。結局、ミレイはベルのスケッチに似た習作を描いたものの、完成作の《オフィーリア》では「驚きと一緒になった恐れ」の劇的な表情ではなく、「没入」する表情に変更している。では、完成作の《オフィーリア》の表情の手掛かりになったものは、何だったのだろうか。  そこで比較する価値のある対象として浮かんでくるのが、医師ヒュー・ウェルチ・ダイアモンドが1850年代に撮影した精神障害のある女図9. ミレイ、《オフィーリアのための習作》、1852、プリマス市立博物館・美術館所蔵、出典:木島(2008)61頁

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