順天堂グローバル教養論集_第二巻_2017年3月(ISSN2424-0001)
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12順天堂グローバル教養論集 第二巻(2017)性患者の写真である。一体、ダイアモンドはどのような人物で、ミレイとダイアモンドの間に接点はあるのだろうか。4.2. ダイアモンドとコロディオン湿版写真 ダイアモンドは、サリー州立アサイラムの女性病棟の管理監督者(1848–1858)を務めた精神科医である。10年の在任期間に、世界で初めて女性の精神障害者の写真撮影に成功したことから、医学史の分野では、「精神医学写真の父」として位置づけられている (Gilman, 1976, p. 5)。 アサイラムとは、ヴィクトリア朝時代の精神障害者の保護施設を示し、サリー州立アサイラムは、1841年にウィンブルドン・パークの東に位置するトゥーティング地区に設立され、奇しくも、ミレイが《オフィーリア》の制作のために長期滞在したユーウェルからは数マイルしか離れていない。イギリスでは1845年に「精神障害者法」という、公立のアサイラムの設置を各州に義務づける法律が施行されたこともあり、サリー州立アサイラムの『年間報告書(An-nual Report of the Committee of Visitors of the Sur-rey Lunatic Asylum)』(Diamond et al., 1852)で詳細をたどる労をとってみると、《オフィーリア》の構想が練られた1851年には、「お針子」などの入院患者が急増していたことがわかる。だが、このアサイラムは世間から「隔絶」しているわけではなく、文人墨客が集う「クラブ」や「サロン」が隆盛だったヴィクトリア朝時代、いわば社交の場としての「クラブ」の役割も果たしていた。このクラブに集った写真家や芸術家たちが中心となり、世界初の写真協会となる「ロンドン写真協会(のちの王立写真協会)」が1853年に結成された事実は、特筆すべきであろう。現在は、スプリングフィールド大学病院に改名しており、現存するテューダー朝様式の城のような病院建築が、その歴史的重みを物語っている(蛭川久康ほか,2002)。 いっぽう、写真史の分野では、ダイアモンドは、彼の患者でもあった彫刻家フレデリック・スコット・アーチャー(Frederick Scott Archer)が開発したコロディオン湿版写真(感光剤を塗ったガラス板をネガとするガラス写真)の実験に協力したアマチュア写真家として、その名を残している。1851年、アーチャーが『ケミスト(The Chemist)』誌でコロディオン湿版写真の方法を発表し (Archer, 1851, March)、第1回ロンドン万国博覧会を通して写真術が紹介されたことで、写真ブームが起こったことは、写真史の多くの文献が紹介しているところである。こうした1850年代の写真の黎明期の状況証拠から推察しても、ミレイが絵画の競合相手として意識していた最先端の技術は、ダゲレオタイプ(銀板写真)やカロタイプ(自然の鉛筆)よりも感度が良く、細部まで肌理細かく再現可能なコロディオン湿版写真(ガラス写真)だったと考えられる。4.3. ダイアモンドが撮影した《オフィーリア》 ダイアモンドが撮影した写真は、メトロポリタン美術館やオルセー美術館をはじめとする主要な美術館でも所蔵されているが、現在、ダイアモンドが撮影した患者の写真を多数(22枚)保管しているのは、ロンドンにある王立医学協図10. 「驚きと一緒になった恐れ」の表情出典:Bell (1806) p.142© Wellcome Trust (Photo: Wellcome images)

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