順天堂グローバル教養論集_第二巻_2017年3月(ISSN2424-0001)
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14順天堂グローバル教養論集 第二巻(2017)とどまっている(Bloore, 1980; Burrows & Schumacher, 1990 [1979])。今後、ダイアモンドやアーチャーが撮影した写真や1次資料が揃い、全体像がより鮮明になれば、ミレイの《オフィーリア》にも新たな解釈が吹き込まれることになるだろう。5. 結びにかえて 以上、これまで論じてきたことをまとめれば、ミレイ(画家)、ベル(解剖医・画家)、ダイアモンド(精神科医・写真家)の3者の間には、医学と芸術が交差する明らかに歴史的な連続性が存在しているということだ。本稿が考察を試みたことは、1851年前後のロンドンにおける医学と芸術の結節点として、《オフィーリア》が《両親の家のキリスト》と《マリアナ》とともに「3部作」を構成していく軌跡であり、その対話である。《両親の家のキリスト》の「誕生/死」と《オフィーリア》の「死/再生」は、確かに円環をなしているのである(巻末年表参照)。 最後に、冒頭で引用した、夏目漱石の『草枕』(1906)のセリフを再び想起してみよう。漱石は、『草枕』の主人公、西洋画家「余」を通して、ンドが撮影した写真《オフィーリア》とミレイの絵画《オフィーリア》が、軌を一にするかのように、1851年前後の同じ時空間(サリー州郊外)から誕生したという事実にある。 「精神障害」とは、自己を意識的に捉えられていないがゆえに、「無意識」の状態を体現させ、自然状態に「没入」したものとなる。ミレイの《オフィーリア》の「自然に忠実に」とは、無意識的で自然的状態をリアルに捉え、そこに「絵筆」で迫ろうとした試みであり、ダイアモンドが「精神障害」という究極のリアルに「写真」で迫ろうとした試みと表裏一体となっていたと解釈できるのではないだろうか。本稿で明らかにしたかったことは、ミレイが医学的志向性をもった画家だったのではないだろうかということである。 古物学協会のフェローとして、熱心な古物収集家・美術愛好家でもあったダイアモンドの実像は、いまだにわかっていないことの方が多い。彼の患者でコロディオン湿版写真を開発した彫刻家アーチャーに関する文献も極めて少なく(Gernsheim, 1988, p. 17)、ダイアモンドの業績や生涯をまとめた先行研究(文献)も、1970年代から1980年代にかけて出版された2冊に図12. 企業広告、全国紙(4紙)(2016年1月5日号)朝刊の見開き全面広告として掲載、筆者撮影

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