順天堂グローバル教養論集_第二巻_2017年3月(ISSN2424-0001)
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1519世紀の「医学」と「芸術」の対話ミレイの《オフィーリア》に重ね合わせられた謎の女性、那美の表情に何かが足りないことに気づき、物語の最後の最後で、「憐れ」という日本的な「人情」の一筆を加えた。以降、21世紀の今日に至るまで、ミレイの《オフィーリア》は何度となくメディアを変えて換骨奪胎され、日本の大衆文化でも復活/再生を繰り返している。 例えば、CGを使わず「手描き」のアニメーションにこだわって制作された映画《崖の上のポニョ》(2008)は、『草枕』を読んだ宮崎駿監督が、2006年にテート・ブリテンを訪れたことがきっかけで誕生したことでも知られている。キリスト教色を払拭したこの冒険譚に登場する「母なる海」グランマンマーレがミレイの《オフィーリア》に重ね合わされていることは、今や、子供たちも知っている逸話として、《オフィーリア》を未来につないでいる。  さらに、2016年1月には、女優の樹木希林さんが、大きな見開き全面広告のためにミレイの《オフィーリア》に扮し、全国紙(4紙)に掲載されたことで話題になった(図12)。「死ぬときぐらい、好きにさせてよ」という広告コピーは、「高齢化社会」を超えて「多死社会」とも言われる現代の死生観を問うメッセージを投げかけている。 ミレイの《オフィーリア》は「瀕死」の状態ではあるが、「瀕死」は「死」ではなく、まだ生きた状態である。《オフィーリア》は「死」を選択しているが、「瀕死」の瞬間を生きている。美しくも謎に満ちたミレイの《オフィーリア》は、《両親の家のキリスト》と《マリアナ》とともに円環をなしながら、「生と死」「健康と病気」をめぐる根源的な問い(To be, or not to be)を、将来に向かって問い続けていくことであろう。引用文献Anonymous. (1850a, 11 May).Exhibition of the 【参考年表】1844年医師チャールズ・ベル:『表情の解剖学と哲学』(第3版)を出版1848年医師ダイアモンド:サリー州立アサイラムに赴任、1850年頃より患者の写真撮影開始1848年9月 ミレイ:W・H・ハントらと共にラファエロ前派兄弟団(PRB)を結成1850年5月ミレイ:《両親の家のキリスト》をロイヤル・アカデミー展覧会に出品・展示1851年3月F・S・アーチャー:『ケミスト』誌に「湿版写真術」の方法を発表、ダイアモンドが実験に協力1851年5月   第1回ロンドン万国博覧会、開催1851年5月ミレイ:《マリアナ》をロイヤル・アカデミー展覧会に出品・展示1851年7月〜12月ミレイ:サリー州ユーウェルに滞在、《オフィーリア》を構想1852年5月ミレイ:《オフィーリア》をロイヤル・アカデミー展覧会に出品・展示1852年12月医師ダイアモンド:自ら撮影した写真をロンドンの王立技芸協会の写真展覧会で一般公開1856年医師ダイアモンド:王立協会で「精神障害の観相学的および心理的現象への写真の応用について」を講演1882年医師シャルコー:パリ・サルペトリエール病院で世界初の神経学講座を開設1895年医師フロイト:『ヒステリー研究』を出版1896年ミレイ:ロイヤル・アカデミー会長に就任のち、咽頭癌により逝去1900年(明治33年)夏目漱石:ロンドン留学(2年間)1906年(明治39年)夏目漱石:『草枕』を発表

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