順天堂グローバル教養論集_第二巻_2017年3月(ISSN2424-0001)
22/156

20順天堂グローバル教養論集 第二巻(2017)あった人々との関係を歴史学的に検証することが必要である。 さらに通史では、現在のカンボジア王国の領域内における個別の地域性はほとんど考慮されないが、1885年反乱には中心的指導者はおらず、各地域の官人など有力者が長となり、地の利を生かしてゲリラ戦を展開し、武器で優るはずのフランス側を翻弄した。先に「一応の平穏」と表現した通り、指導者の逮捕や処刑によって終止符が打たれたのではなく、現地に反徒の勢力が残ったまま、戦闘が終息していったのである。これは1990年代末以降のクメール・ルージュのあり方とも似通っている。したがって地域史の視点から、地域における反乱の具体的な様相、誰が反徒であったのか、反徒団がどのように構成されていたのかなどの点を明らかにすることもまた、カンボジア近現代史を理解するために有用であると思われる。 筆者は先論において、メコン沿岸地域の1885年反乱に関わる同時代史料を分析した。その結果この地域では、主要な反徒の長たちが地方の知事を称し、その権威によって住民に税を課し、反乱に動員していたこと、彼らの任命者は王、第2王、反乱した王弟シーヴァッターSi Votha、さらには同じ反徒の長など多岐にわたっていたこと、反徒は組織的なまとまりを構成しているわけではなく、個別の集団が割拠して、それぞれ反乱を継続しており、フランス側の軍事力ではそれらを全て殲滅し、全域を制圧するのは不可能であったこと、新たにノロドム王によって任名された知事たちが、王が授与した信任状を住民たちに呈示し、正統性を認めさせ、反徒から離脱させていくことで、反乱が徐々に終息していったことを明らかにした。すなわち反乱の鎮静化に際して、現地の住民たちは植民地権力に服属したのではなく、ノロドムを自分たちの王として再承認していったと理解すべきではないかと思われる(北川, 2014)。 続く本論では、タイ湾岸地域を取り上げる。メコン沿岸がラオス-カンボジア-ベトナムを図1. タイ湾岸地域

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です