順天堂グローバル教養論集_第二巻_2017年3月(ISSN2424-0001)
7/156

519世紀の「医学」と「芸術」の対話術と医学の接点を模索する、新たな試みに挑戦しようとした。その実験とは、「聖家族」の「理想化された身体」ではなく、市井の人々をモデルに「病者の身体」を描こうとしたのである。 ミレイの逝去後、彼の息子ジョンによって書かれた『回想録(The Life and Letters of Sir John Everett Millais)』(1899)を読むと、ミレイは「あらゆる細部まで正確を期す」との決意でもって、《両親の家のキリスト》の制作に臨んだのだという。さらに、次のように回想されている。「大工職人の仕事場にカンバスを持ち込み、仕事場で見たありのままを写し、『筋肉の発達具合を正しく理解するための唯一の方法』だと言って、父ヨセフの身体は等身大の大工職人を観察して描き、頭部はミレイの父親から描いた」(Millais, 1899, p. 78)。 だが、ミレイの努力とは裏腹に、1850年のロイヤル・アカデミー展覧会に《両親の家のキリスト》が出品・展示された際、チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens)に酷評され、新聞・雑誌の各紙の展覧会評で物議を醸したが、逆にミレイの名が知られるようになった。具体的にその状況を、当時を代表する新聞『イラストレイティッド・ロンドン・ニュース(Illustrated London News)』誌と、雑誌『パンチ(Punch)』誌に見てみよう。 図4は、『イラストレイティッド・ロンドン・ニュース』誌(1850年5月11日号)に掲載された、《両親の家のキリスト》の油彩画を下絵に彫られた木口木版画である。ミレイのオリジナルの油彩画を展覧会で見ることができない大衆の多くが、代わりにこの複製図版を目にしていたはずである。 さらに、よく見てほしい。十字架を模した作業台の中心(心臓部)に位置する少年イエスのあどけない頬は腫れて見え、手と足には釘が打たれた傷(聖痕)がある。イエスに寄り添う痩せ身の聖母マリアの額には太い皺が1本引かれ、父ヨセフの右隣で水を運んでいる洗礼者ヨハネの足は曲がっているように映る。「細部まで正確を期す」とのミレイの決意が、この木口木版画から伝わるものの、人体の歪みが、簡略化された輪郭線によって誇張されているようにも見える。 だが、『イラストレイティッド・ロンドン・ニュース』誌は、「ヨセフの凍傷にかかった足先と聖母マリアの炎症を起こした踵といった身体障害(deformities)」まで故意に描くミレイ図4. 『イラストレイティッド・ロンドン・ニュース』(1850年5月11日号)、筆者所蔵・撮影

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です