順天堂グローバル教養論集_第二巻_2017年3月(ISSN2424-0001)
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93修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチにおける「厚い記述」への近接を浮かび上がらせ、社会指標的側面を分析するうえで有用であると考えられる分析概念(①フレーム、②フッティング、③コンテクスト化の合図、④メタ・メッセージ)がある。フレーム(frame)は、ミクロ社会学者Goffman(1981)が提示し、「各人の経験に基づいて構築されるもので、相手の意図を推論したり、解釈していく際に使われる社会的・文化的知識の枠組み(構造)」(高木, 2008a, p. 222)を指し、談話分析や言語人類学でしばしば用いられる。フレームは「期待の構造(structure of expectation)」(Kramsch, 1998, p. 128)といわれ、ある場所(e.g., 職場)、場面(e.g., 会議)における参与者(e.g., 上司や部下)の役割(e.g., 評価する側、評価される側)を伴う。 フッティング(footing)は、フレームと同様Goffman(1981)によって提示された概念である。Goffmanによれば、人びとはコミュニケーションにおいてさまざまな言語・非言語行為を用い、自分と相手との関係を示し、変化させている。この関係づけをフッティングと呼ぶ(cf. 梅本, 2008)。 コンテクスト化の合図(contextualization cues)(Gumperz, 1982)は「場面における話し手の発話を聞き手が解釈するうえで手がかりとする言語・非言語的伝達記号」(井出, 2003, p. 223)のことであり、通例、複数の言語、非言語記号が共起して解釈の土台となる。たとえば、窓が閉まっている教室で花子さんが①衣服の袖をまくり(非言語記号)、②汗をぬぐうしぐさをし(非言語記号)、③「暑いね」と窓際の太郎さんを見て話しかけた場合(言語記号)、太郎さんは①から③の共起関係にある記号を土台にし、花子さんの「窓を開けて」という言外の暗示的メッセージを読み取るのである。 メタ・メッセージ(meta-message)は、Bate-son(1972)が示したmeta-communicationに由来するもので、「言葉の命題的情報ではなく、言外に伝え合う、会話の参与者・状況・内容に対する態度、立場、視点などについての社会的意味を指す」(高木, 2008b, p. 237)。たとえば、日本人が週末映画に誘われ、「ちょっと今週末は難しい」といえば、日本の言語文化フレームに依拠して考えると、その社会的意味は「行けない」「断る」といった内容を暗示する。 では、以下に分析ワークシートを示し、まず、通常の分析を行い、その後、社会指標性を射程とする分析概念を援用し深い解釈を試みる。表2では、多様な国の部下と働く日本人上司がインタビューで述べたバリエーションが示されている。この具体例の内容を整理して「定義」を考えると、たとえば、「外国人に対しては明示的な形で指示をする必要性があること」と定義でき、概念名を「外国人に対する明示的指示の必要性」とし、日本人上司の思考の特徴を外在化して示すことができる。その際、「理論的メモ」として、「外国人とひとまとめにして述べているが、外国人でも明示的指示が必要ない者はいないのか?」といった対極例の可能性を理論的に考え、それを確認するデータ収集・分析の方向性を示すこともできる。 ではまず、「フレーム」を援用してみよう。この分析概念を用いて上記の具体例を読むと、たとえば、「外国人には明示的な指示をしなければならない」と考える日本人上司が実は前提としている文化的フレーム(期待の構造)が浮かび上がる。それは、「上司はすべてを言わなくてもよく、部下が上司の意図を察して期待通りもしくは期待以上の仕事をする」という日本社会にある1つのフレームである。より一般的にいえば、語り手の認識世界で機能している「察しの文化」がこのフレームの背景に見てとれる。これは、データに「察しの文化」というフレームをかぶせる演繹的な営みではなく、既述のとおりデータから帰納的に証拠立てていえることである。この「察しの文化」とは異なる文化をバックグラウンドにもっている人間に対して「明示的な指示をする必要がある」という異文化コミュニケーションのためのフレームも同時に機能している。さらに、察しの文化を背景と

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