大学院 研究室紹介

麻酔科学・ペインクリニック講座では現在、以下のチームで研究活動を行っています。
それぞれのチームでは大学院生を中心に忙しい臨床の合間をぬって、積極的に研究活動を行っています。大学院生の短期国外留学も行っています。大学院生に加え中国からの留学生も研究室で研究活動に励んでいます。

麻酔科学

1.電気生理学チーム

  1. 大脳-線条体-視床 回路動態と吸入麻酔薬に関する研究
    当研究グループは,「大脳基底核-皮質-視床連関」の回路動態の研究を基に、麻酔臨床で使われる吸入麻酔薬を加えその作用メカニズムの解析を目的としています。すなわち、脳全体の活動の同期性あるいは非同期性振動(synchronous and asynchronous oscillations)を決定し、ひいては意識の生成に関与するのではないかと注目されているGABA性の抑制性インターニューロンが形成する脳内電気的ネットワークの生理学的性質を明らかにするとともに、吸入麻酔薬の作用がこのようなネットワークの働きにどのような影響を与えるのかについて実験を行っています。
    この解析実験にはマウスを用いています。エーテル麻酔下に脳を取り出し、200-300μの厚さの大脳皮質-線条体スライスを作製し、記録用のchamberに移し、顕微鏡下に線条体の細胞を同定しながら、whole-cellパッチクランプを行っています。
    吸入麻酔薬の投与は、濃度依存的に脳波(electroencephalogram, EEG)の振幅の減少と周波数の低下を来すことはわかっています。また、同様に体性感覚誘発電位(somatosensory evoked potential, SEP)も濃度依存的にその振幅と潜時の延長を生じますが、この変化はとりわけ大脳皮質において著明で、皮質下、脊髄、末梢では誘発電位の麻酔薬による変化は小さいことが知られています。また、GABA性の抑制性インターニューロンのネットワークは2種類のものが知られています。ひとつは、parvalbuminを含有し減衰することなく非常に早いスパイク発射と深い後過分極(afterhyperpolarization, AHP)を示すGABA性の抑制性インターニューロンでFS細胞(fast spiking cell)と呼ばれるものです。このニューロンは互いにgap junctionで電気的に結合しあっており、また相互に抑制性のシナプスを送りあっています。もうひとつは、somatostatinをもつニューロンでLTS細胞(low threshold spike cell)で、これもgap junctionによって電気的なネットワークを形成しています。極めて重要なことに、このFS細胞ネットワークが吸入麻酔薬によってgap junctionを阻害されることがわかっています。これらの実験結果をもとに、今臨床で使われているセボフルラン、イソフルランなどの吸入麻酔薬がどのような効果を持つかについて電気生理学的に明らかにすることは、全身麻酔薬の可能性と限界を明らかにすることに繋がると思われます。加えて、今日吸入麻酔薬には虚血耐性獲得現象(ischemic preconditioning)が期待されています。私たちはin vitroでの虚血環境を作成し、吸入麻酔薬の影響を検討しています。その結果、虚血に対する保護作用を期待できると思われる結果を得ました。今後を期待したいものです。
  2. 心筋細胞の電気生理に関する研究
    麻酔薬と主に心室筋のイオンチャネル電流の関係を、パッチクランプ法を用いて研究しています。現在は、カルシウム電流を中心にカテコラミンとの相互作用について検討しています。
  3. 単離心臓モデルを用いた研究
    ランゲンドルフ法による心臓の実験モデルを用い、心収縮力と心筋障害について研究しています。現在は、虚血再潅流傷害の予防における麻酔薬の関与について検討しています。
  4. 脊髄の痛覚伝達に関する研究
    現在のところ準備中ですが、近いうちに脊髄のスライス標本を用いて電気生理的手法による実験系が出来上がる予定です。世界の中でも、この実験が出来る施設は、あまり多くないので価値のあるものになるはずです。

2.受容体生化学チーム

麻酔科領域において、疼痛治療とそれにともなう炎症機序の解明は重要なテーマの一つです。米国議会は「痛みの10年」(Decade of Pain Control and Research)宣言を採択し、2001~2010年の10年間、痛みをめぐる様々な問題に国家的規模で取り組むことを表明しました。当部門では、疼痛伝達物質であるサブスタンスP(SP)およびサブスタンスP受容体(SPR) に焦点を当て、SPR を介した情報伝達機構や薬理学的・生理学的機能を分子生化学的・免疫組織学的手法を用いて解析し、慢性疼痛・炎症機構のメカニズムを解明することを目標としています。

3.ヒューマンファクターエンジニアリングに関する研究チーム

当然のことながら、原子力産業や航空機業界をはじめ、私たちが働く医療現場では『事故』は深刻な問題であり、日々大きく報道されます。これらの『事故』はそれぞれ異なった部門で生じているため、一見、関連性がないように思われますが、多くの場合「人間のミス」で共通しているものです。飛行機事故で言えばパイロット、管制官、整備士、設計者による「ミス」であり、医療現場では医師、看護師、薬剤師、臨床工学技士の「ミス」となります。このようにそこで働く人の不注意、取り違え、思い違い、聞き違い、勘違い、連絡不足、手抜きなどから由来するミスが背景となっている場合が少なくありません。このほんのわずかの注意不足が生命にかかわる重大な事故を生じさせるため社会的・経済的にも大きな損失を伴います。それならば『人(当事者)がもっと注意深く、慎重に行動すれば事故は防げる!』かというと、もちろんある程度「ミス」軽減に寄与するかも知れませんが、人間個々の注意力には限界があります。ご存じのように今日の医療はひとり医師の技量によって施されているものではありません。様々な職種からなる「人」と、医薬品や医療機器をはじめとする「物」、そして組織をシステムとして運用するための「ソフト」、更にこれらシステムや人、物が存在するための「環境」が存在し、そして整ったうえではじめて医療というサービスが提供されます。そして、これら要素いずれかが不十分でも適切に進まないことは容易に理解出来ます。今、実際にある医療器械を患者に臨床応用する場合、基本的に(当たり前ですが)医療者はこの器械の特性や構造を理解し、スイッチ操作など操作手順を学ぶことが要求されます。このためには、取り扱い説明書や時に講習会などで教育訓練を受け、操作方法を学ぶ必要が生じます。更にその器械が複雑になればなるほど、高度な能力と技術体得が課せられます。このため、安全な患者管理のためには『操作方法を間違えない人のみが使用するべき』ということになり、使う側に制約がかかって来ます。しかし、過去の事例からも明らかなように、どんなに教育、訓練を重ねた人でも人間である以上「ミス」を起こします。ミスをなくすようにそれぞれが努力をしてもやはり人のミスをゼロにすることが出来ません。そこで発想を逆転させ、『人間がミスを起こし難くなるように器械を設計し、誤操作・ミスを減らす。』と考えるのです。操作パネルの文字サイズや配置を解りやすくしたり、重要なスイッチの色に配慮を加えるなど、人間が犯しやすい間違いやミスの特性をよく理解し、設計段階から安全性確保に努めることを重要なポイントとしたのです。これがいわゆるヒューマンファクターエンジニアリング(Human Factor  Engineering:HFE)です。すなわち『人間を取り巻く環境の中で安全に快適に効率よく働けるようにするために、人間の特性、能力、限界に関する知見を総合的に応用し、人間と機械やシステムとの調和のとれた共存について探求する学問体系』と言えます。また、システム上の防御機構をはじめ集団,器械,環境でこれら人間の注意力の限界という不完全さを補いつつ、人間とそれを取り巻く環境からなるシステムが全体としてうまく作動するためには人間を中心とした様々な要因がしっかりとかみ合うことが必要条件となります。この意味でも器械の操作性など人間工学の成果とともに、職場環境・人間関係とその関連する学術的守備範囲は広いですが、 HFEへの理解は安全を追求しつづけるためにも重要である、と考えられています。医療者も人である以上、何らかのミスや誤りを犯すことは避けられません。しかし、その数を減らすことは人のもつ能力により可能です。この医療事故予防にヒューマンファクターに基づく改善が寄与することは明かであり、このためにもHFE(Human Factor Engineering)の重要性を認識し,その知識を習得することは極めて意義深いものと考えられます。産業のあらゆる分野に共通した問題だけにHFEという共通言語を介して部門を越えた取り組みが安全向上をもたらすものと信じています。

疼痛制御学

1.難治性疼痛制御物質研究チーム

新しい難治性の痛みを制御する内因性物質の役割を研究しています。麻酔科医局の先輩と都立臨床研究所の先生方が1993年に発見したウシ脊髄に高濃度存在していたプロテアーゼインヒビターspinorphin(スパイノルフィン)は、発痛物質ブラジキニン(BK)を用いた薬理試験で、強力な鎮痛活性を有し、モルヒネ等のオピオイド化合物と異なる新たな情報伝達機構で発現している可能性を明らかにしました。一方、カラゲニンを用いた急性炎症モデル系では、本ペプタイドは好中球集積を有意に抑制することも分かってきました。
以上のような基礎の研究背景より、スパイノルフィンが難治性の痛みの制御機構にどのように関与していのるか、この3~4年間アプローチされてきています。 私たちは、スパイノルフィンが生体内でどのような役割を果たしているかを解明することを目標としており、将来、非ペプチド性の特異的プロテアーゼ阻害物質を見つけ出せば、新しい鎮痛薬の可能性も拓けると思っています。