晴天のなか、雨天順延

宮野 剛

「お前は外科医だろ?外科医のお前がなんでここに来たんだ?」
私の海外留学はボスのこんな言葉から始まりました。"腹腔鏡を使用しての動物実験"を夢見て渡米した私が所属したのは医学部の無いアイオワ州立大学の工学部。用意されたオフィスはメインの研究室から50m程離れて位置し、掃除のおばさん達の控え室の並び、眺めの良い文字通り窓際の個室でした。仕事も無く、誰もいないオフィスで一日を過ごしているうちに頭がおかしくなってきた私は、研究を諦め手術見学の為に病院に向いました。"世界一の腕"を期待しての初日、包茎一件。二日目、皮下腫瘤摘出一件。三日目にいたっては手術室を訪れても患者さんどころかスタッフすら一人もいません。順天堂で毎日の様に繰り広げられていたドラマティックな日常はそこにはありませんでした。
仕事は無くとも、ここはアメリカ、英語の勉強だけは誰からも制限されません。昼夜を問わず、様々な英語教室に通うとともに、「日本語教えます」の張り紙を街中に張り、集まったアメリカ人学生に無料で日本語を教えることで私自身の英語を訓練。週末は必ず教会に通い聖書の勉強と英語の練習、いつからか、英語の練習が私の仕事になっていました。
そして、ルームメイトPaulosとの出会い。「家賃不要」の張り紙に飛び付いて来た彼は、農業を専攻するエチオピア人で背は私と同じだが横は私の3倍ある大男。英語の為だけに始めた彼との共同生活も、時間を経て言葉・文化の壁を越えた不思議な友情を感じ取るまでになり、2歳になる私の娘も彼にはよくなついていました。8ヶ月の留学期間を終えた彼はエチオピアへ帰国、彼を空港で見送ったときに私が胸の奥にしまい込んだ疑問、「今後、彼ともう一度会う日は訪れるのだろうか?」。私の妻が泣き出した。そして、彼も泣き、私も泣いた。「life is always like this」彼の最後の言葉が今でも私の心から離れません。

山高教授の寛大なる御配慮を受け、6月からCincinnati Children's Hospitalへ移籍させて頂きました。そろそろ医者に戻ります。