青山胤通【1859~1917】
1882(明治15)年東京大学医学部卒業。ベルツの助手となり、1883(明治16)年ドイツに留学、ベルリン大学で学び、1887(明治20)年に帰国。直ちに帝国大学医科大学第三内科の初代教授となる。附属病院長、医学部長を歴任。1914(大正3)年、内務省の伝染病研究所が文部省に移管され、所長北里柴三郎が退官。青山胤通が所長となった。