佐藤尚中【1827~1882】

蘭オランダ医学塾順天堂2代目堂主。外科に優れ、多くの訳著がある。長崎でオランダ軍医ポンペから近代医学を学び、ポンペから最も優秀な医師と評価された。佐倉の順天堂に戻りポンペに学んだ体系的な医学教育を行い全国から医学生が順天堂に集まった。明治政府は1869(明治2)年12月、大学東校の大学大博士(初代校長)に任命し、大学東校を主宰させた。佐倉の順天堂から弟子と共に就き近代医学教育の礎を築いた。1870(明治3)年、宮内省侍医(大典医)となり、天皇に医療制度の改革を建言し、東京府病院設立に寄与した。しかし1871(明治4)年に来日したドイツ人教師は、絶対的な権限を持って日本の実情を考慮せず、ドイツ式の医学教育を実施したため、官職を去り、市井の人のために最初の私立病院(博愛舎)を設置した。1873(明治6)年に東京下谷練塀町に順天堂を開くがすぐ手狭となり、1875(明治8)年に本郷湯島に順天堂医院(現在の順天堂大学本)を開き、治療と医学教育を実施した。