奥羽追討陸軍病院(白河口)の病院旗
戊辰戦争時、政府の奥羽追討陸軍野戦病院(白河口)に掲げられた病院旗。この頃から「病院」という言葉が使われた。順天堂3代目堂主佐藤進は、24歳の若さで奥羽追討陸軍野戦病院の頭取に任命され尽力したが、 この戦争で実践力不足を自覚し、ドイツ留学を決意した。明治政府発行旅券第1号を得て渡欧し、アジア人初のベルリン大学医学部卒業、。医学博士となり帰国した進は、日本近代(西洋)医学普及の中核的役割を果たした。