山脇 東洋【1705~1762】

江戸中期の朝廷医。古方派の大家。1754(宝暦4)年 閏2月7日、京都西郊の刑場において日本ではじめて公許を得た人体解剖を主宰した人。この日の記録を1759(宝暦9)年に『蔵志』に著して出版。解剖されたのは38歳の刑死人屈嘉。東洋は刑死人に夢覚信士の戒名をつけて手厚く祭り葬った。戒名の夢覚は東洋らの大夢が解剖によって覚まされたことを意味する。いま全国の医学部では解剖慰霊祭を行い、献体された方々をまつるが、その始まりがここにある。