「解剖図 剥胸腹図(はくきょうふくず)」(複製)
朝廷医山脇東洋が、西洋解剖図と五臓図との違いに疑問を持って、1754(宝暦4)年に日本ではじめて腑分けの見学をした。そのときに弟子が写生した九蔵(解剖)図の一枚。
西洋解剖図と中国古来の五臓図と違いに疑問を持った山脇東洋が、1754(宝暦4)年に行った日本最初の腑分けを見学した。このとき弟子が写生した九蔵(内臓)図。「九蔵図」とは、「五臓六腑図」との違いを明記するために古代の「九臓」から名称をとった。東洋は大腸と小腸の違いをみるために解剖見学したが、この図には違いが描かれていない。