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「好き」だからこそ強い意志が持てる ―

医学部小児外科学講座
山髙 篤行 教授

今回は医学部小児外科学の山髙篤行先生にインタビューさせていただきました。

外科医になる!

父親が外科医だったからかもしれないけれど、小学校に上がる前には「外科医になる」と決めていた。でも、父からは「好きなことをやれ」と言われていて、「勉強しろとか、医者になれとか、跡を継げ」と言われたことは一度もなかった。

小学校までは勉強も運動も得意だったけれど、麻布中学校に入学すると、そこには凄く頭が良く才能も私とはけた違いの同級生がいて、一気に勉強する気が失せてね。当時は、今も変わっていないと思うけど、出席を取ることもなかったから、好きな授業にしか出なかった。そうして高校2年生になって「そろそろ大学受験の勉強を」と参考書を開いたら、基礎問題すら解けない。それから慌てて勉強したけれど、当然の如く浪人。2浪目で順天堂に拾ってもらった。

医学って面白い!/乾ききった夏の砂

念願の医学部に入学して、医学、生理学や解剖学が面白くて仕方なかった。医学への好奇心に溢れていたから、まるで“夏の砂浜に水がギューッと滲み込む”ように、知識がどんどん頭に入ってきた。新しいことを次々に知りたくて、医学を学ぶのが本当に楽しかった。

体育学部生のストイックさに衝撃!

大学1年生の時は、習志野キャンパスの啓心寮で寮生活を経験したけれど、その時の1年間は本当に貴重で、僕の財産になった。これが、順天堂に入学して本当に良かったことの一つ目。

例えば、今、青森県の高校で教頭先生をしている木村君がこの間、学生を連れて順天堂医院の見学に来てくれたのだけれど、寮で同室だった彼は、当時から強豪の順天堂大学体育学部の陸上部に入っていて、毎朝5時頃に起きてトレーニング、寮に戻ったら今度は授業を受けるというのが日課だった。彼は、そんなストイックで規則正しい生活を毎日続けていて、僕は「凄い。だから順天堂の陸上部は強いのか」と納得しながら、そんな彼がとても眩しく見えた。僕ら医学部生は、寮では自由気ままな生活をしていたから物凄い衝撃を受けてね。

僕自身もラグビーに出会ってからは、毎日練習に打ち込んで、規則正しい生活を送るようになった。監督からは、“お前、親の金で大学に入ったんだ。仕事と思ってラグビーをやりなさい”と言われた。そんな僕を、部屋員の体育学部生も「同志」として接してくれて。それがとても嬉しかったし、そんな関係性を築くことができる「この寮の制度は画期的だ」と思ったよ。

ラグビーとの出会い/一番最初にレギュラーになってやる!

入学直後に「見に来い」と医学部の先輩に誘われて行ったラグビーの試合で、物凄く感動したことを今でも覚えている。衝撃的で鳥肌がたつほどで、20歳にして初めて“熱くなれるもの、燃えられるもの”に出会った。その感動のままラグビー部に入部したけれど、2浪で体力もなし、体重も58kgほどしかなかったから全く期待されていなくて。「お前はすぐ辞めると思っていた」と後になって監督から言われたけれど、その時の僕は、運動神経には自信があったから、「同級生で一番最初にレギュラーになってやる」と思って練習に打ち込んだ。

練習はハードだったけれど、苦ではなかったし、辞めたいと思ったことは一度もなかった。大学2年生の春には体重も72kgほどにまでなって、1年ぶりに帰宅した時には、家族がとても驚いていた。そして、ハードな練習を続けていたら、2年生から公式戦に出れるようになり、3年でレギュラーになれた。

igakubu_Dr.Yamataka_02ラグビー部時代(左)

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前列右が山髙教授
隣は監督であり小児外科の師宮野武特任教授

しかし、 本当に強くなったのは4年生から。3年かかった。ローマは一日にして成らず、を実感した、ジーッと耐えると力がつくことを学んだ。ラグビーを介して男は頭や才能じゃないんだと心底思えるようになった。ラグビーに出会えたことが順天堂に入って本当に良かったことの二つ目。

このままじゃ国家試験に落ちる

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4年生で力がついたから練習後に朝まで遊びにいけるようになった。3年生までは成績が良かったのに、すっかり油断して、4年生で成績が落ちた。その時に、浪人時代を思い出して、「このままじゃ医師国家試験に落ちるな」と心を入れ替え、練習後、毎晩勉強を開始。遊びは、3時間は勉強してから出かけた。過去問を解くような勉強はしなかった。

僕の勉強法は、臨床問題をやりその疾患について朝倉内科書を読んだ後に、英語の教科書でも読んで、外科の本でその病気をどう手術するのか読んで、その疾患のポイントをA4紙に1-2頁にまとめるという方法。これが楽しくてね。20時半頃に練習が終わって21時半頃に帰宅、食事、入浴してすぐに机に向かって、午前1時半まで勉強。これを毎日続けた。そうやってコツコツ「自分のノート」を作っていたら、6年生の夏休み前にはマイナーな科を除いて一通り終えることができた。あとは復習とノートの改良の繰り返し。そうすると、成績もまた良くなってきて、国家試験は、外科医になるための通過点にしか考えなかった。

小児外科/これはなんか面白そうだぞ

小児外科と他の診療科との違いは、まず「胎児から大人まで」ということ。大人までと言ったのは、小児期に手術するが大人まで経過観察し、かつ大人になってからも追加手術が必要となることが少なくないからだ。手術する対象の大きさも様々。体重がたった400グラムの新生児から15歳までの手術を担当して、患者さんの健康状態を一生診ていくのが小児外科なんだ。

そして、もう1つの違いは対象とする臓器で、成人外科は臓器別。でも小児の外科は、小児眼科、小児耳鼻科、小児心臓外科、小児脳外科、それ以外はほぼ全て小児外科がカバーしている。すなわち、体表(皮膚)、頸部、気管、肺、食道・胃・小腸・大腸、肝臓、腎臓、泌尿生殖器を手術する。だから、様々な臓器を執刀できるような小児外科医になるには長い修業が必要で、一人前になるまでとても時間がかかるんだ。

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僕が医学部6年生の時に、病院外科実習で最初に回ったのが、小児外科だった。今でも「小児外科」を知らない人はいるけれど、当時はもっと知られていなくて。その時の僕も、外科医になるとは決めていたけど、小児外科がどういうものか分かっていなかった。でも実習を通して、様々な臓器を手術する「小児外科」という学問に非常に惹かれた。

そして、医学部を卒業してすぐに外科のレジデント(研修医)になったら、研修で最初に回ったのが、また小児外科だった。不思議な縁だね。レジデントになって、学生の時よりももっと手術が見られるようになって、改めて「僕がやりたいのは小児外科だ。小児外科に進もう」と心に決めたんだ。小児外科に心を奪われた。学問で初めて燃えられるものに出会った時だった。これが、順天堂に入って、本当に良かったことの三つ目。

患者さんのためにならない手術はやるな ~万全を尽くして手術に臨む~

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スポーツにルールがあるように、外科にも「患者さんのためにならない手術はやってはならない」というルールがある。患者さんの状態を良くできる、またはその可能性があるという判断の下で執刀すべき。その判断能力と手術の実力が無いのなら、手術すべきではない。チャレンジは良いことだけれど、患者さんのためになる、あるいはその可能性があるというものでなければならない。でも、人によってそのレベルは違うよね。修行と経験を積んだ医師と、経験の浅い若手医師では、そのレベルは違ってくる。

医療事故の多くは、自分に実力がないのに新しい手術方法を試したい、発表したいと見栄をはって焦って執刀したことによって起こっているのだと思うんだ。焦る必要などない、焦らず地道な努力をしていれば必ず力はつく。そして、小児だからこそ、良質な手術を提供してあげることが一番大切なんだ。

医学部を目指す高校生の皆さんへのメッセージ

英会話のすすめ

外科医は、「こういう手術をした」ということを論文にまとめて世界に発信していく必要があるし、でないと世界から信用されない。そのためには、論文は英語で書かれていなければならないんだ。どんなに素晴らしい論文でも日本語では読んでもらえないからね。英論文が出版されていくと、周りから徐々に評価されて、有名な国際誌からも原稿依頼が来るようになり、世界に認められるようになる。

もちろん、国際学会で口頭発表も並行して行う必要がある。でもその時に、英会話がある程度できないと、論文についての質問にきちんと答えることができない。答えられないと、全く相手にされない。私が最初そうだった。せっかくの素晴らしい内容も、きちんと伝えられなければ意味がないんだ。

そう思うから、僕自身、今でも英語を通勤時に勉強しているし、高校生の皆さんにも受験用の英語だけでなく、世界を知りたければ、世界と闘いたければ、英会話を勉強することを強く勧める。英語は武器だよ、武器がないと世界では闘えないんだ。世界には途轍もなく凄い奴がいるんだ。そいつらが待っているんだから行かなくちゃ。

igakubu_Dr.Yamataka_07国際学会にて
好きなことをやろう!

「外科医になろうかな~」という程度では、小児外科に限らず、一人前になれないと僕は思っている。「絶対に外科医になってやる」という強い意志・覚悟がないと、技術をマスターするのは難しいんじゃないかな。外科医は厳しい修行の連続だから。

僕自身については、何よりも小児外科という学問が好きで、小児外科手術をしたいと思ったんだ。難しいことも多くて大変だけれど、手術をビシッと決めて、患者さんのためになる手術ができた時の喜びは大きくて、楽しいと思った。好きじゃなかったら辛くて続かない。僕の受験勉強みたいにね。だから高校生の皆さんにも、好きな学問を選んで学んでほしい。学びたいことを自分で選んで、自分の責任で頑張れば、必ず光が射してくると思いますよ。

医学部小児外科学講座 山髙 篤行  先生 経歴
1985年 順天堂大学医学部 卒業
海外ではイギリス、オーストラリア、ニュージーランド、国内では獨協医科大学で研鑚を積み、1997年順天堂大学医学部小児外科学講座講師、1999年同助教授、2006年より同教授。