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世界で活躍する「ヘルスプロモーター」の育成へ

国際教養学部国際教養学科
フランソワ・ニヨンサバ 教授

今回は国際教養学部の小澤 舞里子さん(以下O)が、国際教養学部のニヨンサバ先生(以下N、併任:大学院医学研究科アトピー疾患研究センター 准教授)にインタビューしました。

専門について/良い薬を創りたい

O:まず、先生のご専門について教えてください。
N:順天堂大学アトピー疾患研究センターでは主に『皮膚の免疫と感染症』の研究をしています。国際教養学部ではGlobal health serviceの講義や、Translational research に関するセミナーを担当しています。

O:何がきっかけでその研究分野を選択されたのでしょうか。
N:まず、私は順天堂大学大学院医学研究科で生化学を学びました。幅広い生化学の研究 内容の中には感染症もあります。私達の身体の中には「抗生物質」と同じような作用を持つ「抗菌タンパク」があり、抗菌タンパクには①感染症の原因菌を殺す、②身体の免疫機能を向上させる、③活性化させる等の機能があることに興味を持ちました。

私はアフリカの貧しい国に生まれました。アフリカにはいろんな感染症や病気がたくさんあるので、良い薬や薬の基となるような物を発見するのが私の夢で、抗菌タンパクの作用、抗菌タンパクの研究をしています。

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ルワンダで進学するということ

N:故郷ルワンダではルワンダ語を常用しますが、小学校からフランス語を習います。中学校以上の学歴のある人なら流暢にフランス語を話せますよ。私は地方にある中高一貫、全寮制のインターナショナルスクールに通い、授業は全てフランス語でした。

アフリカには学校に通えない人もたくさんいます。そしてルワンダには中学校の数が少ないことから、進学できるのは全国統一テストで全国上位10%未満の小学生だけでした。私は田舎出身ですが、田舎の小学校教師はレベルが低いこともあって、田舎からはほとんど進学できないので、私が中学校に合格した時は村中の人が集まってパーティーを開いてお祝いしてくれました。

O:小学校の時はかなり勉強なさったんですか?
N:あまりしていませんでした。電気も水もなく、子供は重要な労働力として水汲みや家畜の世話、森で牛のエサ探しなどをするので先生もあまり宿題を出しませんでしたが、宿題が出た時は日没までに終わらせるため、ノートを片手に仕事をしました。
ルワンダでは公職のポストが少なく、中学校はエリート選抜機関でもあり、テストは学生数を減らすための手段だったので、教科書から60%、残り40%は習っていない問題で毎回非常に難しかったです。中高6年間、勉強と試験というのはそういうものだと思っていたので、教科書を覚えればそのまま試験に出る大学の方が簡単で楽しかったですね。

O:習っていないことはどうやって回答するんですか?
N:知恵を絞るしかありません。全く教科書に載っていない事しかテストに出さない先生もいましたが、その科目を落とすと即退学になるので必死に答えを考えました。私の学年は中学入学時は45人、6年後の高校卒業時には12人、そのうち2人が海外の大学に進学しました。中国医科大学には私を含めルワンダから4人が入学し、全員医学部を卒業しましたが、大学院修士課程に進んだのは私を含め2人でした。
国が必要な人材数と予算から「医者が必要なので成績上位何人は医学部へ、次の何人はこの学部へ」と決めたので、私には留学先の国、大学、学部を選ぶ自由はありませんでした。自分で学びたい学問や職業を選べるあなたは幸せですよ。

O:そうですね。自分で選べなくても、勉強のモチベーションは保てたんですか?
N:医者はどの国でも尊敬される憧れの職業です。私は物理と数学が得意だったので、大学でコンピューター関係を学びたいと思っていましたが、中国医科大学に留学できると決まった時は「良かった」と思いましたし、全く後悔はしていません。国に感謝しています。

未知なる国、中国の医学部へ留学

O:初めて中国に行った時、どんなことに驚きましたか?
N:国は知っていましたが、漢字は知らず、授業はフランス語だと思っていたので、最初の中国語の授業で先生が「ニーハオ!」と言いながら黒板に「你好」「Ni hao」と書いた時、「こんな文字があるんだ!」と本当に驚きました。
2番目に、北京は当時から観光地でとても綺麗でしたが、少し道を入ると貧民街があり、大きく立派な建物との落差が激しいことに非常に驚きました。

kokusaikyouyou_Prof.Francois_031994年、中国医科大学 臨床医学部を卒業した年

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1998年7月、中国医科大学大学院修士課程
整形外科修了

3番目は、社会的な物の考え方です。アフリカはヨーロッパの植民地だったので習慣やマナー、ファッションはヨーロッパ流です。でも中国は独自の文化で、初めてお箸を見た時は持ち方も使い方も解りませんでした。18歳の私にとって中国で見聞きする全てが新しい発見で面白く、たとえ辛くても「これも経験だ」と思えたので中国で上手く過ごせたのかもしれません。

命を救ってくれた順天堂大学

O:中国医科大学を卒業し、なぜ順天堂大学で学ぶことになったんですか?
N:整形外科医になり、大学院修士課程を修了し、博士課程入学試験に合格して進学する矢先に母国の内戦でルワンダ政府が無くなりました。国費留学生だったので奨学金が途絶え、学費を納めることも学生ビザの更新もできず、不法滞在者になる窮地に立たされました。大学の知人に紹介された日本人を頼って1998年9月に来日し、その伝手で順天堂大学のある先生にお会いし、「本学の博士課程で勉強しませんか?」と誘っていただいたのがきっかけです。この時、初めて順天堂大学を知りました。

O:その時が初めての来日ですか?
N: 1995年、96年に観光で来日したことがありましたが、日本語は話せませんでした。

O:順天堂大学に入ることを勧めてくれた先生は恩師ですね。
N:そうです、本当に有り難かったです。もしあの時、その先生に声をかけていただかなかったら、私は今頃ホームレスになっていたかもしれません。私のビザは残り3ヶ月で、ビザの更新のためにルワンダに帰れば命の危険があったので、言葉の通じるフランスへの亡命を考えていました。でも、亡命者は難民と同様、フランス政府が受理してくれる保障はなく、社会的な存在価値もありません。亡命したら中国で10年以上も勉強した医学の知識を役立てることはできません。総合的に考えて、順天堂に来ることができて本当に良かったと思っています。

順天堂の大学院生として

O:日本語はどうやって習得しましたか?
N:英語で受験した博士課程の入学試験に合格し、翌年4月から大学院生として英語で研究できると思ったらほぼ全てが日本語で、「日本語を勉強しなければ」と思いました。でも当時30歳、早く医学博士の学位を取って研究者になりたいと思っていましたし、日本語学校に通うお金もなかったので、日中は研究、夜はテープや本で日本語を学び、ひらがな・カタカナの練習をしました。漢字は中国のと似ていて簡単でしたが、カタカナは難しくて大変でした。

O:新しい環境で、大学院の研究をしながら日本語を独学する毎日は大変でしたね。ストレス発散には何をされていたんですか?
N:大好きなレゲエを聞くのが唯一の楽しみでした。最初は清瀬市の友人宅にホームステイしていましたが、研究で遅くなり、終電を逃してタクシーに乗るお金もなくて途方に暮れたことも何度もあって。でも当時の医学部長が大学に近い千駄木寮を留学生も利用できるように整備してくださったので、半年後から寮に入れることになりました。寮は自分だけのスペースで、自転車や徒歩で大学に通えるようになったので本当に有り難かったです。

O:寮にはどのくらい住んでいたんですか?
N:博士号の学位を取るまでの約4年間お世話になりました。在学中は日本の国費留学生として奨学金をいただきました。日本語もできず、アルバイトの時間もなかったので助かりました。そして2013年に医学博士号を取得し、「アトピー疾患研究センター」の研究者として採用が決まり、ホームステイしていた家の近所に引っ越しました。

O:順天堂にこういう風に貢献したい、というような思いはありますか?
N:順天堂は私の命の恩人ですからこの仕事以外でもっと大きな恩返しがしたいと思っています。できればこれからもずっと順天堂で働いて、もっと貢献したいです。具体的にはまだ判りませんが、できるだけ順天堂のために頑張りたいと思っています。

実は、私の長男の名前は順天堂から取って「順」です。「順天堂があるから私の息子がいる」という気持ちで名づけました。

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日本では日本人として/狭くて忙しすぎるけれど大好きな日本

O:順天堂の先生たちと関わっていて楽しいと思うことはありますか?
N:普段は研究の話ばかりですが、忘年会等で仕事から離れた会話も楽しいですよ。
中国に留学した時は社会的にも学問的にも色々な面で辛い経験をしましたが「ここで生き残らなければ」と覚悟しました。中国語の先生には「早く中国人の友達を作り、早く環境に慣れることだ」と言われました。その国の文化や、相手の好きなことや嫌いなことを理解しなければ、言葉だけ上達しても何もできません。日本語では「郷に入れば郷に従え」、中国語でも英語でもフランス語でもルワンダ語でも同じような諺がありますね。日本では日本人の考え方や習慣を理解しなければ一緒に生活したり働いたりすることはできないと思います。

O:その国のルールに自分を合わせていくんですね。
N:そうです。外見は変えられませんけどね。(笑)今は日本国民として日本人のパスポートを持っています。

O:では、来日した時はどんなことに驚きましたか?
N:まずは狭さ​、特に住宅と道路が狭くて驚きました。次に、日本人の仕事に対する責任感、真面目さ、正確さと速さ。それから銀行、レストラン、店などのサービスの良さ。本当に素晴らしいです。そして最後に温泉や銭湯で裸になって知らない人とでも一緒に集団で入ることに驚きましたね。

O:日本は住みやすいですか?
N:どちらかと言うと住みにくいですね。狭いし、日本人は働き過ぎです。ヨーロッパでも残業する人はいますが、決められた期間内で1~2ヶ月バカンスを取るルールがあって休暇を強制されますし、結婚式や葬儀などの人生の大事な時には1週間ほど休みます。海外では家庭が1番、仕事が2番、でも日本では仕事が1番。良く言えば勤勉ですよね。日本人は結婚式ですら仕事のスケジュールを優先したりしますし、もう少し休みが取りやすい社会だとなお良いと思います。家族のことを考えるとなおさらですね。
あとは個人的にはルワンダの家族や甥、姪を海外留学させたいと思っていますが、費用と言葉の面で日本にはなかなか呼べません。とても治安が良いし、日本人は優しいし、日本には良いところがたくさんあって、大好きだから皆にも日本を見せたいんですけれどね。

キリスト教徒として

N: 私はキリスト教徒で、私達にとって一番重要な日はクリスマスです。残念ながら中国と日本に来てからもう28年間、一度もクリスマスを休暇として過ごしたことがありません。中国留学中はクリスマスは必ずテストの日でした。日本のクリスマスは商業イベントで、宗教的なイベントもほとんど無いですし、皆、教会の礼拝にも行かないので残念に思っています。

「抗菌物質の免疫調節機能」の研究のためにカナダのバンクーバーに1年間留学させていただいた時は現地の教会に通いました。友人たちも大勢通っていて、とても楽しかったです。カナダでは日曜日は子供をベビーシッターに預けて親だけでデートしたりする日でしたが、我が家は家族4人でドライブしたり、週末を過ごしていました。子供たちには教会に行った後の外食が嬉しかったようです。

kokusaikyouyou_Prof.Francois_06 2010~2011年カナダ British Columbia大学へ留学

勉強とは/人としてのduty

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O:先生にとって勉強とは
N:勉強とは大変だけどしなければいけないもの。人生はそういうものです。
勉強は楽しいですか?

O:夢に向かって勉強するのは楽しいと思います。
N: スポーツ選手も同じでしょう?一流選手は皆、毎日トレーニングしていて、トレーニング無しに第一線で活躍できる人はいないと思います。何時間も辛く単調なトレーニングや練習をして、食べ物にも気を使って、友人とのんびり遊ぶ暇もないでしょう。優勝して賞金が出ると皆「いいなぁ」と言うでしょうが、その選手がどれだけ苦しい時間と努力を積み重ねてきたか皆は知りません。医師も同じ、国際教養学部の学生も同じです。勉強は楽しくなくても自分のゴールのためにするもので、人間としてのdutyです。ヒトとして生まれ、学び、仕事をして、自立すればOKですよ。親が子供に望むのは、経済的な自立と健康、その2つだけです。そして健康的に自立するためにはやはり勉強は必要です。

順天堂大学国際教養学部の特徴について

O:他大学の国際教養学部とはどんな違いがありますか
N:他大学の国際教養学部の多くは「異文化コミュニケー ション」と「言語」が中心になっていますが、本学の国際教養学部の大きなポイントは「グローバルヘルス」です。「グローバルヘルス」を「異文化コミュニ ケーション」と「グローバル社会」で支えており、「グローバルヘルス」には現役の医師である加藤先生、田村先生、そして私も教員として関わっています。

O:他の大学の国際教養学部とは全く違い、ヘルスに重点を置いて、ゴールにしているんですね。
N:そうですね。医学部で学ぶ医学とは違い、国際教養学部の医学系の授業では、文系の学生にも解り易い授業をする予定です。

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世界で活躍するヘルスプロモーターを育成したい

O:最後になりますが、順天堂の国際教養学部を受ける受験生に向けたメッセージをお願いします。
N:全人類共通で最大の悩みは「健康」だと思います。お金があっても病気では幸せとは言えません。人類共通の悩みである健康問題を解決するには医者と看護師だけでなく、医療従事者とは違うアプローチで健康問題を解決し貢献できる「ヘルスプロモーター」という職種のニーズが世界的に高まっています。

国際教養学部の目標の1つに「ヘルスプロモーターの育成」があります。ヘルスプロモーターは医療の専門家である医師や看護師と協力して、人々の命を助ける仕事です。

現代は感染症もグローバルで、エイズ、結核、マラリア、エボラ、ジカ熱の広がりが話題になりました。これを医師と看護師だけで解決するのは無理 です。世界で活躍するヘルスプロモーターを目指して国際教養学部に学びに来る学生が増えてほしいと思っています。本学国際教養学部でグローバルヘルスや各国の言語や異文化について学び、更に同じキャンパス内にある医学部を活用して健康について学ぶことで、ヘルスプロモーターとして国際社会で活躍できる存在 になって欲しいですね。

kokusaikyouyou_Prof.Francois_092011年、故郷の村でスピーチ

O:国際教養学部から他にはどのような職種が考えられますか
N:本当に多様な職種が考えられます。医者目線になってしまいますが、例えば病院なら病院のマネージメントや医療通訳。医療通訳は製薬会社や医療機器メーカーでも必要とされています。またWHOやJICAなどでも、ヘルスプロモーターの活躍の場があります。最近は海外で最先端の医療を受ける医療ツーリズムが流行し、受診目的で来日する人も増えてきていますし、外国人観光客も増加していますので、日本国内でもヘルスプロモーターの必要性が高まっています。他にも、グローバルヘルスの知識を持つ人が重宝され、すぐにでも活躍する場が次々に増えていると感じています。

国際教養学部国際教養学科 フランソワ・ニヨンサバ先生 経歴
1994年 中国医科大学 臨床医学部卒業、1998年 同大学院修士課程 整形外科修了
2003年 順天堂大学大学院博士課程 生化学第二講座修了
2003年 順天堂大学大学院医学研究科アトピー疾患研究センター助手、2006年 講師、2007年 准教授(現在に至る)
2010年~2011年 カナダ・ブリティッシュコロンビア大学 微生物・免疫学教室客員准教授
2015年 順天堂大学国際教養学部 先任准教授、2017年より同教授。

インタビューを終えて(国際教養学部 小澤 舞里子)

フランソワ先生は、私の順天堂大学受験時の面接官の先生でした。そのため今回の取材が決まった時はふと受験時代のことを思い出しました。

フランソワ先生の学歴や学びの目標、意識を聞かせていただいていると、自分の意識も奮い立たされるような気がしました。私も同じ順天堂大学で学ぶものとして、今後の学びの糧になるお話ばかりを伺うことができました。そのお話を皆様にお届けできていればと思います。

今回初の学生キャスターとしてやらせていただいたことを、とても光栄に感じています。今後もやらせていただく機会がありましたら、読んでくださる皆様に向けて、精一杯取り組ませていただきたいと思っています。

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