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2025.09.09 (TUE)
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がん患者のY染色体が失われる?放射線治療とY染色体喪失の関連を初報告 ~順天堂大学とバイオバンク・ジャパンの大規模データから明らかに~
男性の血液中でY染色体の一部が失われる現象(mosaic loss of chromosome Y: mLOY)は、加齢や喫煙によって生じ、がんや心疾患のリスクとして知られています。しかしながら、がん患者の治療がmLOYにどのように影響を及ぼすかについては、これまでわかっていませんでした。順天堂大学 大学院医学研究科の小林拓郎非常勤助教(遺伝子疾患先端情報学講座) 、八谷剛史 客員准教授(創造長寿医学講座)、堀江重郎 主任教授(泌尿器科学、遺伝子疾患先端情報学講座、創造長寿医学講座)、岡崎康司 教授(難病の診断と治療研究センター)、及び理化学研究所、東京大学医科学研究所の森崎隆幸 客員教授(同大学大学院新領域創成科学研究科 クリニカルシークエンス分野 特任教授)、松田浩一 特任教授(同大学大学院新領域創成科学研究科 クリニカルシークエンス分野 教授)、鎌谷洋一郎 特任教授(同大学大学院新領域創成科学研究科 複数形質ゲノム解析分野 教授/理化学研究所 生命医科学研究センター 客員主管研究員)などとの共同研究チームは、順天堂大学医学部附属順天堂医院(以下、順天堂医院)とバイオバンク・ジャパン(BBJ)*1のデータを用いた大規模なゲノム解析を行い、放射線治療を受けた男性患者でmLOYの頻度が高いことを世界で初めて報告しました。本成果は、mLOYの新たな外的要因として放射線治療があることを示し、がん患者におけるmLOY測定の重要性を示すものです。
本論文はnpj Aging誌に2025年7月29日付で公開されました。
本研究成果のポイント
- 順天堂医院の前立腺がん患者のデータにおいて放射線治療とmLOYの関連が見い出されました
- バイオバンク・ジャパンに登録された前立腺、肺、大腸、胃がんの約3万人の大規模データでも同様の関連が確認されました
- 放射線治療により、がん患者のゲノム不安定性増加がもたらされる可能性が示唆されました
■背景
mLOYは、男性の血液中からY染色体が失われている細胞と正常な細胞が体の中で混在している状態を示します。加齢や喫煙に伴いmLOYの男性は増え、70代男性の約40%がmLOYであるとされています。近年、mLOYががんや心疾患、アルツハイマーのリスクとなることが報告され、mLOYの研究の重要性が増していました。特にがん患者では、診断後にmLOYが増加する傾向が報告されていますが、この変化ががん自体によるものなのか、治療による影響なのかは不明でした。
■内容
本研究では、順天堂医院の前立腺がん患者348名の唾液から抽出したDNAを用いて、がん治療法別にmLOYの頻度を調査しました。mLOYの判定には、DNAマイクロアレイ*2解析で得られるmLRR-Y*3という指標を用いてmLOYの判定を行いました(図1)。その結果、局所放射線治療を受けた患者のmLOY陽性率は13.7%で、治療を受けていない患者群と比較し、オッズ比*4が2.55(年齢と喫煙歴を調整したロジスティック回帰分析*5、P=0.04)と有意に高いことが明らかになりました。手術やホルモン療法では有意な差は認められませんでした(図2)。
図1. 順天堂データにおける年齢とmLOYの相関関係
順天堂医院で登録された348名の前立腺がん患者のmLOYを測定。既知の報告通り、加齢とともにY染色体の割合は低下していることを確認した。
図2. 順天堂データにおける治療法とmLOYとの関連
各治療法とmLOYとの関連を順天堂データで解析。放射線治療群ではmLOYの有病率が有意に高かった。
続いて、BBJプロジェクトの第一コホート(前立腺がん5,090名、肺がん2,637名、大腸がん4,303名、胃がん4,793名)および第二コホート(前立腺がん5,582名、肺がん1,800名、大腸がん3,910名、胃がん2,731名)の血液由来DNAデータを用いて大規模な検証を行いました。各コホートにおいてがん種ごとにmLOYと放射線の関連を解析し、全ての結果を統合したメタ解析*6を実施した結果、放射線治療を受けた患者群でmLOYの有意な増加が確認されました(オッズ比1.48、P=0.01,(図3))。特に、放射線治療から1年未満の患者でmLOY陽性率が約1.7倍高く(オッズ比1.66、P=0.0034)、1年以上経過した患者では有意差はみられませんでした。また、がん種間で共通した傾向であることも確認されました。
本研究で見出された放射線治療とmLOYの関連のメカニズムとして、放射線治療が骨髄の造血幹細胞にDNA損傷や細胞老化をもたらし、DNA損傷の修復が間に合わずにY染色体の喪失に至ると考えられます。
本研究は、がん患者における放射線治療とmLOY増加の関連を示した初の報告であり、放射線治療によりゲノム不安定性増加*7がもたらされる可能性を示唆する重要な成果です。
図3. BBJのがん患者における放射線とmLOYの関連
BBJに登録されている前立腺がん、肺がん、大腸がん、胃がんの患者約3万名を対象に、放射線とmLOYの関連についてメタ解析を実施。順天堂データと同様に、放射線治療群ではmLOYの有病率が有意に高いことを確認した。
■今後の展開
本研究成果を踏まえ、次のような発展的展開を見込んでいます。
本研究では放射線治療によってがん患者のゲノム不安定性が増加することが示されましたが、放射線治療によってもたらされるゲノム不安定性の増加が、がん治療の奏功や生存率と関連しているかは未だ解明されていません。今後は放射線治療によってもたらされるゲノム不安定性の増加が、がん治療の予後と関連しているかを調べることで、がんの精密医療に貢献していきます。
研究者のコメント
大学院生だった2020年から本研究に着手し、順天堂医院およびバイオバンク・ジャパンのデータについて丁寧に解析を続けてまいりました。膨大なデータ量に先が見えなくなる時もありましたが、Y染色体の喪失機構の解明をしたいという思いと周囲のサポートにより、共同研究チームで新たな知見を報告することができました。本研究をきっかけにY染色体をはじめとする老化研究が加速し、健康寿命の延伸に繋がれば幸いです。(小林拓郎)
■用語解説
*1 バイオバンク・ジャパン(BBJ): 東京大学医科学研究所内に設置されている日本人27万人を対象とした生体試料のバイオバンク。理化学研究所が実験して取得した約20万人のゲノムデータを保有する。順天堂大学も協力医療機関として参加しており、ゲノムDNAや血清サンプルを臨床情報とともに収集し、研究者への試料・情報の提供を行っている。
*2 DNAマイクロアレイ: 基板の上に、遺伝的多型(主にSNP)に相補的なプローブを搭載したビーズを高密度に配置し、数十万~数百万の遺伝的多型を検出するための分析器具。
*3 mLRR-Y: median of the log R ratio of probes in the male-specific region of chromosome Y の略。Y染色体特異的領域のDNA量を示す数値で、この値が低いほどY染色体の一部または全部を失っている細胞が多いことを意味する。今回の順天堂データの解析では、過去の研究でmLOY判定に広く使われている基準である「mLRR-Y ≤ -0.15」を採用した。
*4 オッズ比: 発症リスクの大きさの指標。基準とするものに対して、発症するリスクが何倍に上がるかを表す。
*5 ロジスティック回帰分析: 複数の説明変数から特定の目的変数を予想する多変量解析の一つ。今回の解析では2値(mLOYである/ない)を目的変数とした。
*6 メタ解析: 同一の科学的命題を検討している複数の研究結果を統合して解析を行う統計学的手法の一つ。ここでは、複数のがん種にわたるLOYと放射線の関連を統合した解析。
*7 ゲノム不安定性: 染色体の分配異常が高頻度で起こり、その結果、染色体数や染色体構造の異常を引き起こすこと。mLOYはゲノム不安定性の指標とも考えられている。
■論文情報
本研究はnpj Aging誌のオンライン版に2025年7月29日付で公開されました。
タイトル: Local radiotherapy for cancer patients is associated with mosaic loss of chromosome Y, a hallmark of male aging
タイトル(日本語訳): がん患者の局所放射線治療は、男性の老化の特徴であるY染色体モザイク喪失と関連している
著者: Takuro Kobayashi, Tsuyoshi Hachiya, Yan Lu1, Yoshihiro Ikehata1,2, Toshiyuki China1, Haruna Kawano1,2, Masayoshi Nagata1, Hisamitsu Ide1,4, Shuji Isotani1, Shuko Nojiri5, Takuro Iwami6, Shunsuke Uchiyama6, Yasushi Okazaki7, Hidewaki Nakagawa8, Takayuki Morisaki9,10, Koichi Matsuda9,10,11, Yoichiro Kamatani6,12,15, Chikashi Terao6,13,14, Shigeo Horie1,2,4†,*
著者(日本語表記): 小林拓郎1,2,3、八谷剛史2,4、陸彦1、池端嘉裕1,2、知名俊幸1、河野春奈1,2、永田政義1、井手久満1,4、磯谷周治1、野尻宗子5、岩見卓朗6、内山竣介6、岡崎康司7、中川英刀8、森崎隆幸9,10、松田浩一9,10,11、鎌谷洋一郎6,12,15、寺尾知可史6,13,14、堀江重郎1,2,4
著者所属: 1)順天堂大学大学院医学研究科 泌尿器科学、2)順天堂大学大学院医学研究科 遺伝子疾患先端情報学講座、3)バージニア大学医学部 心血管センター、4)順天堂大学大学院医学研究科 創造長寿医学講座、5)順天堂大学 革新的医療技術開発研究センター、6)理化学研究所 生命医科学研究センター ゲノム解析応用研究チーム、7)順天堂大学大学院医学研究科 難治性疾患診断・治療学 、8)理化学研究所 生命医科学研究センター がんゲノム研究チーム、9)東京大学医科学研究所バイオバンク・ジャパン、10)東京大学大学院新領域創成科学研究科 クリニカルシークエンス分野11)東京大学医科学研究所 附属ヒトゲノム解析センターシークエンス技術開発分野、12)東京大学大学院新領域創成科学研究科 複雑形質ゲノム解析分野、13)静岡県立総合病院 臨床研究部、14)静岡県立大学薬学部 ゲノム病態解析分野、15)東京大学医科学研究所所長オフィス
DOI: https://doi.org/10.1038/s41514-025-00261-w
本研究はJSPS科研費若手研究JP23K15794の支援を受け多施設との共同研究の基に実施されました。
なお、本研究にご協力いただいた皆様には深謝いたします。