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順天堂医院の今昔

Story 21 佐藤進とパスポート

順天堂は天保9年(1838)、江戸の薬研堀の医者の街で始まった。5年後に佐倉に移り、明治6年(1873)佐藤尚中(2代目)が佐倉藩を隠居して、東京下谷練塀町に病院を開いた。それが東京順天堂のはじまりである。それから2年後、現在の場所に移った。今年はそれから135年目である。
その間に実にいろいろなことがあったが、その筆頭が佐藤尚中に替わって佐藤進(3代目)が院長を継いだことである。佐藤進(1845-1921)は明治2年(1869)に単独独逸に留学して、ベルリン大学で医学を学び、1875年に医学博士を取得して帰国。日本人初のベルリン大学卒業生の進は直ちに佐藤尚中を継いで院長になった。進が留学のため旅券を申請した明治2年6月にはまだ外務省がなかった。外国官からパスポートと外国旅行の心得を貰って、明治2年12月2日に横浜港を出港した。外務省史料の「本官勘合帳外国官一号」に「旅券第1号 佐藤進」と記録がある。それには進が帰国した明治8年7月9日の翌日に旅券を外務省に返還したとある。残念ながら旅券そのものはなかった。外務省の記録には旅券を返還していない人も多い。進が律義に返還したことが恨めしく思われる。

出発前の進

出発前の進

ドイツ留学中の佐藤進

ドイツ留学中の佐藤進

「旅券(パスポート)第一号 佐藤進」の記録

「旅券(パスポート)第一号 佐藤進」の記録
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