HOME
順天堂医院の今昔

Story 19 初代院長 佐藤尚中

御茶の水の順天堂医院が現在地に開院したのは明治8年であった。しかし、順天堂はそれ以前にわずか2年であったが、下谷練塀町(現在の秋葉原駅構内)に当時は珍しかった私立病院を開院していた。院長は二代目堂主佐藤尚中であった。尚中は、明治2年に明治政府の要請で、佐倉から上京して、東京大学医学部の大学大博士(校長に相当する地位)に就任していた。ところが、明治4年、東京大学にドイツからお雇い教師が来日して、大学の一切の権限を握り、医学生の大半を退学させ、外来患者の数も限定した。そのため尚中が診ていた患者も、医学生も行く場を失った。それに心を痛めた尚中は、佐倉藩に戻る予定をやめて、下谷練塀町に病院を開院して患者の診察を行い、医学生を教育した。名医佐藤尚中の診察を求める患者で、練塀町の病院はたちまち満床となった。その上、練塀町は低地で水はけも悪く、土地も狭かったので、尚中はお茶の水の高台に土地を求めて、明治8年4月に順天堂医院の現在地に病院を開院して、塾生の教育を始めたのであった。

正面から見た順天堂

正面から見た順天堂
PAGETOP