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順天堂医院の今昔

Story 4 佐藤 進と韓国

現在のソウル大学医学部に、古い風格のある煉瓦作りの建物がある。これは日韓併合前の明治41年(1908)年に竣工した大韓医院である(図1)。この建設委員長を務めたのが順天堂第3代堂主の佐藤進であった。「なぜ佐藤進が!」と思うだろう。当時、佐藤進は平和時には順天堂医院長を務め、戦時には陸軍軍医総監として働いた。日本で最初にベルリン大学医学部を卒業した佐藤進は、西南戦争のときから傷病兵救済にきわめて重要な役目をおわされていた。日清、日露戦争では広島陸軍予備病院医院長を務めていた。

日韓併合後、韓国の総監となった伊藤博文は、韓国の医事衛生の統括責任者に佐藤進を指名した。進は固辞したが、「余人をもって代えがたし」と勅令をもって韓国の医事衛生行政責任者に任命された。合わせて韓国政府から「大韓医院」の建設委員長に任命され建設にとりかかった。高台の土地を選び当初の予算を大幅に超えて木造を鉄筋とするなど、雨や湿気の多い寒冷地での建設は苦労の連続であった。しかし、その結果生まれた「大韓医院」は勇壮な姿を今に伝えている。

図1:竣工当時の大韓医院

図1:竣工当時の大韓医院

図2:1908(明治41)年10月24日

図2:1908(明治41)年10 月24 日
大韓医院開院式の佐藤進と職員たち。
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