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順天堂医院の今昔

Story 8 佐藤志津と女子美術大学

女子美術大学と順天堂大学は、関係の深い大学である。女子美術学校が創立されたのは明治33年(1900)。創立発起人は横井玉子、藤田文蔵(東京美術学校校長)らであった。女子高等教育の珍しい時代である。しかも美術学校ということで、入学生も少なく、様々な事情からたちまち経営困難に陥った。翌34年、創立者に依頼されて、経営を引き受けたのが、順天堂医院の医院長佐藤進夫人の佐藤志津であった。佐藤志津は順天堂二代目堂主佐藤尚中の長女である。文学を学び、多くの技芸を身につけ、武道は長刀を得意とした才女であった。当時の新聞に女子美の校主が「才色兼備、玲瓏玉(れいろうぎょく)の如き人格者として世の信望厚き」佐藤志津にかわったと報じている。

女子美術大学

女子美術大学

佐藤志津

佐藤志津
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