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医学塾「順天堂」の創立
1838 天保9年
佐藤泰然 蘭方医学塾を開学
江戸薬研堀(現:中央区東日本橋2-6-8 薬研堀不動院境内)に蘭方医学塾「和田塾」を創設する。
この年をもって順天堂開学の年とする。
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学祖 佐藤泰然【1804~1872】
順天堂の創立者、初代堂主
1838年(天保9)~1859年(安政6)
順天堂は、3年間の長崎留学を終えた佐藤泰然が、1838年(天保9)江戸日本橋薬研堀に居を構え、蘭医学塾「和田塾」を開いた時に始まる。佐藤泰然を学祖とする由縁である。泰然は、のち下総佐倉に移って蘭医学塾「順天堂」を開設し、西洋外科に重点をおいた教育を行い、多数の優秀な医師を育てた。順天堂の名声は天下に広まり、西洋医学を学ぶために全国から百数十名を超える俊英が参集し、「日新の医学、佐倉の林中より生ず」と語り継がれた。泰然は佐倉藩医として藩校でも蘭学を教え、佐倉藩主老中堀田正睦(まさよし)に西洋事情を伝えた。

マルチン(麻爾珍)の『蘭々字彙』と和田塾の蔵書印(右)

マルチン(麻爾珍)の『蘭々字彙』と和田塾の蔵書印(右)
オランダ語の辞書。1829年第2版。「和田文庫」の印のほか、「象先堂図書記」「冲斎書記」「佐倉順天堂蔵書印」が押され、表紙には林洞海蔵書印「又新斎蔵」の墨書がある。当時、この本が便利な辞書として使われ、所有者が転々としたことがわかる。マルチンはオランダの本屋の名前らしい。
千葉大学附属図書館亥鼻分館蔵
社会の動向
1810年Humboldt(ベルリン)大学開学
1828年シーボルト事件
1831年New York 大学開学
1839年蛮社の獄
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医学塾「順天堂」の創立
1843 天保14年
医学塾を「順天堂」と命名
「和田塾」江戸より佐倉に移り、医学塾「順天堂」を開設する。「日新の医学、佐倉の林中より生ず」と謳われる。
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医学塾順天堂
江戸時代の順天堂は全国各地から医学生が集まった。教育方針はオランダ語の習得のみに専念するのではなく、蘭書を読み、西洋医術を実践することであった。明治時代に入り、新政府に招聘された佐藤尚中が門人を率いて東京に戻り、順天堂の本流を継承する。一方、佐倉順天堂は千葉県の拠点病院として発展した。

順天堂方叢

『順天堂方叢』
順天堂で用いた処方集。西洋外科である順天堂では、変質薬之部で腺病、慢性梅毒に水銀、リウマチに吐酒石など化学薬品が用いられている。
佐倉市教育委員会蔵 国立歴史民俗博物館寄託
順天堂の治療代
順天堂の治療代
1850年代(嘉永・安政年間)に順天堂の診療室に掲げられていた治療の料金表。39種の治療、料金をあげている。すべて外科。出産200疋、出張1両、乳癌摘出術1000疋、卵巣水腫開腹術10両、割腹出胎児術(帝王切開)10両、造鼻術10両など、高価な手術が行われた。江戸時代の貨幣の金1両は金400疋、また銀60匁にあたり、金1両は米約1石の価値があった。
療治定 1854年(安政元)
成田山霊光館蔵
社会の動向
1853年ペリー提督 浦賀沖に来航
1855年安静の大地震
1858年神田お玉ヶ池種痘所(現:東京大学医学部附属病院)開設
福澤諭吉の一小家塾(現:慶應義塾大学)開塾  
    
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近大西洋医学の受容と普及
1873 明治6年
下谷練塀町に開院
佐倉より下谷練塀町九番地(現:JR秋葉原駅付近)に「順天堂医院」を開院し、順天堂医学塾を継承する。
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順天堂で使用した医学書

『設里烏私(セリウス)図』

『設里烏私(セリウス)図』
順天堂においてセリウスの外科書から、手術道具や包帯の方法などの付図を写したもの。佐倉順天堂で行われた実地の手術の際、指導の参考にされたと考えられる。
佐倉順天堂旧蔵 千葉大学医学図書館

『謨私篤(モスト)内科書』表紙

『謨私篤(モスト)内科書』紙面

『謨私篤(モスト)内科書』
順天堂塾で使われた教科書。モスト(1794 ~ 1832)はドイツ北部のロストック生まれで、ゲッティンゲンで医学を修めた。一般的な著作が多く、蘭訳本が日本にもたらされ、なかでも『医事百科全書』は蘭学者の間で広く読まれた。この内科書も『医事百科全書』の一部を訳したものと思われる。
佐倉市教育委員会蔵 国立歴史民俗博物館寄託
社会の動向
1863年薩英戦争
松本良順 西洋医学所 頭取
1869年佐藤尚中 大学東校(現:東京大学医学部) 初代校長
佐藤 進 明治政府海外渡航免許第1号を取得してドイツ留学  
1873年松本(良)順 初代陸軍軍医総監
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近大西洋医学の受容と普及
1875 明治8年
湯島・本郷に移転
下谷練塀町より湯島・本郷(現在地)に移転し、順天堂医学塾を継承する。
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順天堂医院の始まり
日本橋に開院した私立病院博愛舎は予想を超える盛況であり、1873年(明治6)2月尚中は、自宅に面した場所、下谷練塀町9番地に病院(50床)を開設し、同時に私塾を開き、診療と医学教育を行った(順天堂医院の始まり)。常時200名を超える外来患者が詰めかけ、病院はたちまち満床となり、500坪の地に相次ぐ増築を重ねたが、追いつかず、限界に達したために、1874年、湯島の高台に3200坪の地を求めて移転を決意。そのときドイツ留学中の進が帰国後、東京順天堂を継承する約束を取り交わし、佐倉順天堂を高弟岡本道庵に譲ることを決定した。1875年(明治8)4月湯島の新病院を開院したが、その日、尚中は病(肺結核)に倒れ、あとを門人に委ねて療養生活に入り、進の帰国を待った。熱海で療養中、ドイツのニーマイエルの内科書の翻訳に没頭し、1879年に『済衆録』と題して出版した。

1875年(明治8)湯島に新設された順天堂

1875年(明治8)湯島に新設された順天堂
湯島は当時桑畑であり、練塀町より高燥の土地で、病院に適していた。門柱の表札が「順天堂医院」となっている。門の隣に塾生の宿舎があった。

明治初期の順天堂入院規則

明治初期の順天堂入院規則
1875年(明治8)の入院規則であるが、入院にあたり本籍、引請人の証書を必要とすること、病室に上下2等あること、入院料は上等45銭、下等40銭、1室借切りは75銭。看護婦は病室付きであるが、専任看護婦付きは1日15銭を加算することなどを記す。4年後の改訂では部屋代が4段階に増え、1等55銭、2等45銭、3等40銭、4等が30銭となった。
社会の動向
1877年西南戦争
東京大学創設  
1881年明治法律学校(現:明治大学)開校
1882年東京専門学校(現:早稲田大学)開校
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順天堂医院・医学塾の興隆
1885 明治18年
順天堂医事研究会の発足
ドイツから帰国した佐藤進を中心に門下生が集まり、順天堂医事研究会が発足する。
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順天堂医院で学んだ人々
明治初期から順天堂医院では塾生と通学生に講義が行われていた。1884年(明治17)、通学生の発議で順天堂医事研究会が発足、続いて「順天堂医事研究会雑誌」を発刊。1887年に全国組織に発展した順天堂医事研究会は地方支部で講習会を開催した。

順天堂医事研究会講習会

順天堂医事研究会講習会
1898年(明治31)順天堂で開かれた順天堂医事研究会の講習会記念写真。
前列左より菅野徹三、山口翁助、佐藤佐、佐藤進、佐藤恒久、八田宏吉、野口英世、田中義雄、岸駒蔵。
社会の動向
1885年内閣制度発足
1889年大日本帝国憲法発布
1890年第1回総選挙
第1回帝国議会
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順天堂医院・医学塾の興隆
1896 明治29年
看護婦講習所の開設
明治26年より始めていた看護教育だが、改めて看護婦教育の重要性を説き正式に開設する。日本一優しい、心技共に優れた看護婦の育成が始まる。
この年をもって順天堂の看護学創設の年とする。
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順天堂医院看護婦講習所
1915年(大正4)看護婦規則が制定され、1916年から養成所を看護婦講習所と改める。
入学資格は高等女学校2年修了、もしくは高等小学校卒業程度。修業年限は3年。卒後の義務年限は3年。生徒の定員は定めず、毎年20~50名を採用。厳格な体格検査をへて学力・品性考査のうえ入学が許可された。

1923年(大正12)の修業証書

1923年(大正12)の修業証書
順天堂医院院長は佐藤達次郎。

1934年(昭和9)の卒業生

1934年(昭和9)の卒業生
社会の動向
1894年日清戦争
佐藤 進 陸軍軍医総監
1895年李鴻章狙撃事件(佐藤進が治療)
1904年日露戦争
佐藤 進 陸軍軍医総監
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病院・医事研究会から大学へ
1912 大正元年
順天堂赤坂分院の開院
1929(昭和4)年まで開業する。(現:港区赤坂四丁目)その後、湯島・本郷に移築され順天堂産院、分館として精神科病棟となる。そして昭和47年に越谷に移築。順天堂精神医学研究所としてリニューアルされる。
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順天堂産院

赤坂分院から移築された産院

赤坂分院から移築された産院
1912 年(明治45)赤坂表町2 丁目の市中病院を購入し、同年暮れに順天堂赤坂分院として開院した。1929 年(昭和4)順天堂赤坂分院を閉鎖し、その一部を本郷に移して、産院として開業した。赤坂分院が活躍したのは関東大震災の時で、本院が全焼したため医局員がここで診療を行った。
1960 年(昭和35)卒業アルバムより

順天堂産院の玄関前で退院者と

順天堂産院の玄関前で退院者と
中央が秋山瑞来医局長。中産階級向けの産院として繁栄した。

1944年(昭和19)の第43・44・45回看護婦講習所卒業記念

1944年(昭和19)の第43・44・45回看護婦講習所卒業記念
社会の動向
1914年第一次世界大戦
1918年東京医学専門学校(現:東京医科大学)開校
佐藤達次郎 東京医学専門学校初代校長
1920年国際連盟成立
第1回箱根駅伝
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病院・医事研究会から大学へ
1923 大正12年
順天堂関東大震災に被災
9月1日午前11時57分突然の大地震に見舞われた。午後3時頃、順天堂に火の手が迫り、まず隣接の女子高等師範学校へ、ついで上野の精養軒に避難。順天堂は午後3時過ぎに全焼していた。
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関東大震災と順天堂
1923年(大正12)9月1日午前11時57分大地震が起こった。当時の順天堂医院本館は木造モルタル造りの洋風建築で、地震の被害はあまりなかったが、地震の揺れで屋根瓦が滑り落ちたあと、水道橋方面から広がった火災の火の粉が屋根に燃え移り、午後3時頃、ほぼ全焼した。震災後、類焼を免れた研究所と赤坂分院、駒込の佐藤邸を使って診療を再開した。

関東大震災直後の順天堂医院前庭で患者を避難誘導する職員たち

関東大震災直後の順天堂医院前庭で患者を避難誘導する職員たち
医員の松本本松、押川公介、小池徳造が指揮して入院患者200余名を上野精養軒に避難させて、難を逃れることができた。全員無事であった。当時の順天堂では患者の数と看護婦の数がほぼ同数で、患者には担当の看護婦が決まっていたのが幸いした。
順天堂医院の再興
関東大震災で全焼した順天堂医院は、1926年(大正15)から再建築が始まり、1927年(昭和2)年11月24日に竣工。翌年1月から診療が再開された。建物は鉄骨・鉄筋3階建の耐震・耐火建築で、総工費は76万円余。建築は大林組、佐竹工業所が担当した。病室は3階までの各階にあり、最新の患者用輸送用エレベーターが付設されていた。ついで伝染病室、浴室、炊事場、講堂、看護婦講習所などが順次整備された。

1928年(昭和3)に開院した順天堂医院、病棟

1928年(昭和3)に開院した順天堂医院、病棟
社会の動向
1923年関東大震災 
1931年満州事変
1939年第二次世界大戦
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病院・医事研究会から大学へ
1941 昭和16年
(財)順天堂医事研究会へ
医事研究会が改組、法人化される。順天堂再隆盛の基盤となる。
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順天堂医事研究会、財団法人として再発足
順天堂医事研究会は、明治時代に全国から会員が入会して、活発に活動を展開していたが、関東大震災後、会誌の発刊も途絶えがちであった。達次郎は1940年に順天堂医事研究会を財団法人化することを決断。1933年(昭和8)に発足した東俊郎の第二内科を中心に計画を遂行し、1941年3月20日に財団法人順天堂医事研究会の設立が認可された。役員は理事長佐藤達次郎、常任理事東俊郎、理事は佐藤清一郎、佐藤亨、松本本松、監事は大滝潤ますえ家、佐藤恒二であった。

財団法人順天堂医事研究会 設立趣意書

財団法人順天堂医事研究会 設立趣意書
1940年(昭和15)11月
社会の動向
1941年真珠湾攻撃
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病院・医事研究会から大学へ
1943 昭和18年
(財)順天堂医学専門学校の開設
順天堂医院(湯島。本郷)と順天堂医事研究会を母体に順天堂医学専門学校を開設。戦時中各地に医専が開設されたが私立は、順天堂ただ一校のみ。
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財団法人順天堂医学専門学校の開校
1942年(昭和17)7月達次郎は財団法人順天堂医事研究会をもとに順天堂医科大学の創立を決意し、佐藤亨と相談し、二人は東京大学の坂本嶋嶺を訪ねた。8月半ばに計画書を作りあげて、文部省の有光秘書課長に持参して相談した。その結果、医学部校舎2000坪、予科校舎160坪以上、書籍、備品代30万円以上、基本金100万円以上等の意見と条件が示された。協議を重ねて、同年9月27日財団の役員会で、寄附行為の目的変更と医科大学設立が決議された。3日後の9月30日に文部省に順天堂医科大学設立申請書が提出された。しかし、文部省は大戦の最中であり、医学専門学校であれば認可するという。申請期限ぎりぎりであったために申請書の医科大学の文字をすべて医学専門学校と改めて即日申請して、1943年(昭和18)12月8日に認可された。発足時の役員は、理事長佐藤達次郎、常務理事東俊郎、理事に佐藤清一郎、佐藤亨、松本本松、監事佐藤恒二、大滝潤家、庶務(総務)武長英三、大野大である。

医専第1回生と教職員 病院屋上にて

医専第1回生と教職員 病院屋上にて
前列中央の椅子にすわっているのが佐藤達次郎。

女子美術専門学校の杉並校舎での医専の学生たち1946年(昭和21)

女子美術専門学校の杉並校舎での医専の学生たち1946年(昭和21)
前列右から3人目の、両手を組んでいるのが有山登(のちの医科大学学長)。
社会の動向
1945年第二次世界大戦終戦
国際連合設立
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病院・医事研究会から大学へ
1946 昭和21年
(財)順天堂医科大学に昇格
戦後の医学教育制度大改革の中、医学専門学校は順天堂医科大学に昇格される。
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財団法人順天堂医科大学の開設
戦後の医学教育制度大改革のなか、占領軍SCAP(連合国最高司令官)は、医学専門学校制度廃止を命令し、既存の医学専門学校をA、Bグループに分けて、Aグループには最終学年卒業まで存続させ、Bグループを廃校することを決定した。順天堂はAグループとなり、1946年(昭和21)5月15日に財団法人順天堂医科大学(理事長・学長佐藤達次郎)が認可された。この日を学校法人順天堂の創立記念日とする。翌1947年、順天堂医科大学予科校地を千葉県津田沼町習志野の旧陸軍用地を借用して、2月25日に文部省に順天堂医科大学予科を申請、4月19日に開設認可された。6月9日に第1回入学式が行われた。なお、専門課程の医学部は1950年(昭和25)3月30日に認可された。財団法人順天堂医科大学は1947年3月28日の理事会で役員が交代し、理事長に佐藤達次郎、学長に有山登、院長に東俊郎が就任したが、東俊郎が同年10月1日に文部省に体育局長として転出したため、有山登が院長を兼任した。

佐藤達次郎から新潟在住の有山登宛の年賀状

佐藤達次郎から新潟在住の有山登宛の年賀状
1946年(昭和21)正月
順天堂医科大学設立を申請した理由と経緯、将来への期待などが述べられている。

「順天堂医科大学」表札

「順天堂医科大学」表札
佐藤達次郎の揮毫による。
社会の動向
1946年日本国憲法公布
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病院・医事研究会から大学へ
1947 昭和22年
習志野キャンパスの開設
千葉県習志野の元騎兵砲兵学校あとの建物を大改造する。予科校舎・学生寮「啓心寮」を併設する。
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習志野キャンパス
1947年(昭和22)5月千葉県津田沼町習志野の旧陸軍騎砲兵連隊のあとを大蔵省から借用し、順天堂医科大学予科校舎と啓心寮用に改造して開設。1988年に体育学部が印旛村のさくらキャンパスに移転するまで41年の間、予科、体育学部、医学部進学課程の多くの学生が苦楽を共に生活した。

習志野での入学式の集まり

習志野での入学式の集まり
1955年(昭和30)
佐藤達次郎、有山登、東俊郎の顔が見える。

習志野キャンパス校舎

習志野キャンパス校舎
兵舎跡の建物を改修して使用されていた。1階手前は学生ホール、左側は大きな実験実習室。2階は100名以上収容できる大教室が3室配置されている。

1975年(昭和50)の習志野キャンパス全景

1975年(昭和50)の習志野キャンパス全景
社会の動向
1947年教育基本法・学校教育法公布(6・3・3制教育開始)
東俊郎文部省体育局長
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順天堂医科大学から順天堂大学へ
1951 昭和26年
新制・順天堂大学の開学
体育学部(Ⅰ類・Ⅱ類)の開設
教育基本法制定に伴い、順天堂医科大学を改組し順天堂大学体育学部を開設。体育学部Ⅱ類を医学進学課程とする。また医学知識の豊富な体育指導者を育成し、心身共に強健な人物育成を目的として体育学部Ⅰ類を設置し、健康総合大学として歩み始める。この年をもってスポーツ健康科学部創設の年とする。
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本郷キャンパスの整備
第2次大戦後、物資不足、疲弊した経済状況の中、医学部開設に向けて校地拡充、校舎建設が進められた。1949年(昭和24)父兄後援会による隣接地買収後、1・2・3・4号館が竣工して教室、実習室が整った。ついで1953年最初の鉄筋コンクリート造5号館第1期工事が竣工。はじめて学長室が設けられ、教授室、講堂、学生ホールが整備された。

1950年(昭和25)頃の本郷キャンパス

1950年(昭和25)頃の本郷キャンパス
新たに建設された1・2号館が写っている。
外堀南側から写す
社会の動向
1951年サンフランシスコ講和条約・日米安全保障条約締結
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順天堂医科大学から順天堂大学へ
1952 昭和27年
医学部医学科を開設
医学部専門課程の開設認可を受ける。
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順天堂大学医学部の開設
順天堂大学体育学部が開設した1951年(昭和26)の10月10日、順天堂大学医学部設置認可を文部省に申請。翌1952年2月20日付で認可された。ここに医学部と体育学部からなる健康大学、新制順天堂大学が開学した。27年度の医学部入学者が医学部卒業第1回生である。

新制順天堂大学医学部医学科(4年制)増設認可書

新制順天堂大学医学部医学科(4年制)増設認可書
1952年(昭和27)2月20日付。定員40名。医学部長有山登。4月1日開校。ここに医学部と体育学部とからなる新制順天堂大学が開学した。文部省管理局長から学校法人順天堂医科大学へ1951年10月10日付の申請書に対しての認可書。5項目からなる認可条件が示された。
医学部医学進学課程開設
1954年(昭和29)、長年、医科大学が念願としてきた医学部内の医学進学課程の設置が許可された。順天堂大学体育学部はⅠ・Ⅱ類制を廃止し、医学進学課程を設置。1963年からさらに医学部4年制から6年制の一貫教育が認可されて、医学進学課程は廃止され、医学部2年から本郷キャンパスで授業を受けるようになった。

順天堂大学医学部医学進学課程設置申請書

順天堂大学医学部医学進学課程設置申請書
1954年(昭和29)9月30日提出。順天堂大学は体育学部Ⅱ類を医学部医学進学課程と改め、体育学部に併設することを申請した。1964年から医学進学課程修了後の医学専門課程の入学試験は廃止された。
社会の動向
1952年日米安全保障条約発効
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順天堂医科大学から順天堂大学へ
1953 昭和28年
順天堂滝野川分院の開院
1958(昭和33)年に閉鎖し、看護婦の寮に改造する。(現:北区西ヶ原)
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順天堂医院の改革
1947年(昭和22)有山登が順天堂医院の院長に就任して、病床数を増床し、病院改革を実施した。1949年、原沢美智を招聘して,栄養課を新設して、入院患者の完全給食を実施。東京第一病院から守屋博病院管理学教授を招聘して病院の組織改革を実施。小酒井望教授を招き、臨床検査の中央化を行った。1953年、北区西ヶ原に滝野川分院を開院、人間ドックを実施した。

有山登院長時代(1947 〜56年)

有山登院長時代(1947 ~56年)
1950年(昭和25)卒業アルバムより

福田保院長時代(1956 〜1969)

福田保院長時代(1956 ~1969)
1952年(昭和27)東京大学を定年退官し、順天堂大学第一外科学教授として伝統的な順天堂外科の名声を高めていく。順天堂医院長、准看護婦学院長を務めた。
1959年(昭和34)卒業アルバムより

栄養課の設置

栄養課の設置
1949年(昭和24)栄養課を設置。初代栄養課長原沢美智。前列着物姿。
社会の動向
1953年テレビ放送開始(日本)
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順天堂医科大学から順天堂大学へ
1954 昭和29年
順天堂准看護婦学院に改組
看護婦講習所を改組し、順天堂准看護婦学院を開設する。
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基礎・臨床共同研究施設
1955年(昭和30)5号館の2期工事が完成。図書館、研究室が整備された。大学紛争後、前生化学教授であった有山登学長の求めで、関根隆光生化学教授らが中心になり、共同研究室の始まりとなる臨床共同生化学研究室、臨床共同病理学研究室、臨床共同機械室などが開設された。浪久利彦、小出輝、森松弘、大塚親哉、平井慶徳、小川秀興、橋本倶男、佐藤潔らが各グループのリーダーとなり、臨床研究の発展に努めた。

共同生化研究室

共同生化研究室
1976年(昭和51)
前列中央が浪久利彦室長。浪久利彦、小出輝、小川秀興らが歴代室長となり、臨床共同研究室、中央機器分析室等の室長会議の世話人となった。

ガスクロマトグラフィー質量分析

ガスクロマトグラフィー質量分析
(GC-MS 4560)の横に立つ村山季美枝室長(左)。
村山室長は中央器機分析室の基礎を築いた。

共同病理研究室

共同病理研究室
1974年(昭和49)
前列右が福田芳郎室長。
社会の動向
1956年国際連合加入(日本)
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順天堂医科大学から順天堂大学へ
1959 昭和34年
大学院医学研究科(博士課程)の開設
大学院医学研究科(博士課程)が認可され、学位審査権を得る。
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順天堂大学大学院医学研究科の開設
順天堂大学は1943年(昭和18)に医学専門学校、1950年に医科大学学部、1952年に医学部が開設され、卒業生は1955年までは他大学に学位申請をしていた。1959年、順天堂大学大学院医学研究科設置が認可され、大学院大学へスタートを切った。
学位記
1963年(昭和38)から甲種(大学院博士課程修了者)と乙種(論文提出者)の医学博士号の授与が行われた。

順天堂大学大学院設置認可申請書

順天堂大学大学院設置認可申請書
1958年(昭和33)11月30日文部省に順天堂大学大学院設置認可申請書を提出。申請者は学校法人順天堂医科大学、理事長有山登。翌1959年3月20日付で認可された。1951年(昭和26)に開設された順天堂大学は、学位論文の審査権は与えられなかったため、他大学に学位申請をしていたが、このときから順天堂大学に学位請求ができることになった。

順天堂大学院甲第13号 竹内久彌

順天堂大学院甲第13号 竹内久彌
昭和39年3月21日受領

順天堂大学院乙第1号 吉井恒雄

順天堂大学院乙第1号 吉井恒雄
昭和38年3月20日受領
社会の動向
1959年キューバ革命
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順天堂医科大学から順天堂大学へ
1961 昭和36年
医学部付属高等看護婦学校に改組
順天堂准看護婦学院を医学部附属高等看護婦学校に改組・改称する。
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先駆的活躍をした医学部の教授たち
佐藤 勉
佐藤 勉
眼科学
近視の研究と眼科手術、特に円錐角膜手術で形状を変える方法を考案。1951年(昭和26)教授。1952年コンタクトレンズをアメリカから日本に初めて導入、屈折外来の基礎をつくる。日本コンタクトレンズ学会初代理事長。
中島 章
中島 章
眼科学
1960年(昭和35) 教授。眼球銀行の設立に努力し、順天堂アイバンクは1963年日本で最初に慶應アイバンクとともに認可。1980年、眼科教室内にWHOの国際失明予防協力センターを設立。国際アカデミー事務総長・会長。
楢林博太郎
楢林博太郎
神経学
1968年(昭和43)順天堂大学教授に就任し、わが国で最初の神経学講座(脳神経内科)を開設。パーキンソン病の治療に、日本で初めて定位脳手術による治療を実施し、L-DOPA療法を普及させた。
世界定位脳手術学会理事長。
駿河敬次郎
駿河敬次郎
小児外科学
賛育会病院外科部長から順天堂大学小児外科診療科を経て、1968年(昭和43) わが国で初めて小児外科学講座を誕生させ、初代教授に就任。小児外科学を発展させた。日本外科系連合学会名誉理事長。
塩川優一
塩川優一
膠原病内科学
1968年(昭和43)4月「膠原病・リウマチ・アレルギー・甲状腺内科」が発足し、主任教授。翌1969年「膠原病内科学講座」と正式に改称。当時、膠原病を標榜する講座はなく、パイオニア的存在。日本リウマチ財団名誉理事長。
白壁彦夫
白壁彦夫
消化器内科学
二重造影法によるX線検査と内視鏡、病理学による早期胃癌の診断学を確立し、胃癌早期治療の道を開いた。1968年(昭和43)千葉大学から順天堂大学教授に就任。消化器内科学の初代教授。1969年朝日賞受賞
社会の動向
1963年米国ケネディ大統領暗殺
Close
順天堂医科大学から順天堂大学へ
1964 昭和39年
高等看護婦学校を順天堂高等看護学校に改称
高等看護婦学校を順天堂高等看護学校に改組・改称する。同時に別科の増設が認可される。
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本郷キャンパス8・9・10号館(現在の2号館)

8号館 1966年(昭和41)

8号館 1966年(昭和41)
職員食堂、高等看護学校、看護婦宿舎、精神・神経科教室、外来などが入る。4月5日落成。8階建。精神科、看護婦宿舎移転後、1号館建築中は臨時病棟を経て、文科省助成のアトピー(アトピー性疾患の病態と治療)センター、SPF(疾患モデル研究)センターなどが整備された。

9号館(左)10号館(右)

9号館(左)
9号館は1969年(昭和44)に第1期工事が終了。5号館から移動した基礎、並びに臨床教室が入り、基礎・臨床共同研究施設が完備した。地下2階、地上13階建。第2期工事は1974年完成。11月9号館と10号館を結ぶ連絡橋が完成した。
10号館(右)
10号館は1972年(昭和47)4月落成。診療棟(病床数937)。5号館から理事長室、理事会事務室、看護部長室など学校法人の中枢組織が移動した。先端的な病院として高い評判を得た。地下1階、地上12階建。5月本館と10号館を結ぶ歩道橋が完成した。

9号館の第2期工事が完了した頃の本郷キャンパス

9号館の第2期工事が完了した頃の本郷キャンパス
1974年(昭和49)
社会の動向
1964年東京オリンピック
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順天堂医科大学から順天堂大学へ
1967 昭和42年
順天堂伊豆長岡病院の開院
伊豆長岡町立病院を受け継ぐ形で、静岡県東部の地域型総合病院として開院(94床)する。
(財)順天堂精神医学研究所(越谷)の開設
精神医学及び精神衛生に関する研究、教育並びにその知識普及を目的に設置する。
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順天堂伊豆長岡病院の開院
1967年(昭和42)順天堂大学医学部附属病院として伊豆長岡町の町立伊豆長岡病院(木造17棟、94床)を受け継ぐ形で開院。救命救急センター、新生児センター(NICU)を設置し、静岡県東部から神奈川県西部、伊豆半島の地域基幹病院として重要な役割を果たしている。1975年(昭和50)には病院の研究活動の場となる財団法人災害医学研究所を併設した。

開院当時の病院玄関

開院当時の病院玄関
1967年(昭和42)

リハビリテーション運動場

リハビリテーション運動場
1967年(昭和42)

第1期棟完成 北側から見た1期棟

第1期棟完成 北側から見た1期棟
1968年(昭和43)
社会の動向
1969年アポロ11号月面着陸
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順天堂医科大学から順天堂大学へ
1971 昭和46年
大学院体育学研究科(修士課程)の開設
体育学部を母体に大学院体育学研究科(修士課程)を開設する。国公私立大学中2番目の体育系大学院となる。
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佐藤達次郎記念病棟
1959年(昭和34)に亡くなった佐藤達次郎前理事長を記念して1964年(昭和39)に達次郎記念病棟(病床数132床)が竣工。わが国最初のICU(集中治療室)を開設。受付ロビー、特別病室などの新機軸が話題になった。

佐藤達次郎記念病棟

佐藤達次郎記念病棟
1964年(昭和39)

モダンな受付ロビー

モダンな受付ロビー

日本最初のICU(集中治療室)

日本最初のICU(集中治療室)
社会の動向
1970年大阪万国博覧会
1972年札幌オリンピック
1973年オイルショック
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順天堂医科大学から順天堂大学へ
1975 昭和50年
(財)順天堂災害医学研究所(静岡)の開設
順天堂伊豆長岡病院に隣接して設置され、同病院の研究活動の場となる。
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有山登記念館
戦後の順天堂大学の発展に大きな功績を残した有山登理事長の業績を称えて、募金によって有山登記念館の設立が企画された。1976年(昭和51)に講堂(3階)と図書館(地上2階、地下は積層の2階)、食堂(地下)からなる有山登記念館が竣工した。講堂は内外の学会、学内行事に広く活用されている。

有山登記念館

有山登記念館
図書館と講堂。1976年(昭和51)9月落成。

有山登記念館講堂

有山登記念館講堂

有山登記念館図書館

有山登記念館図書館
社会の動向
1975年ベトナム戦争終結
Close
順天堂医科大学から順天堂大学へ
1976 昭和51年
順天堂高等看護学校を順天堂看護専門学校に改称
順天堂高等看護学校を順天堂看護専門学校に改組・改称する。
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看護教育
戦後の看護教育は、相次ぐ法改正でめまぐるしく代わった。順天堂では戦後まず1951年(昭和26)に順天堂医科大学附属順天堂看護学院で准看護婦教育から始まったが、1961年に順天堂大学医学部附属高等看護婦学校を設置して、正看護婦教育に転換。1963年、医学部から独立して法人直轄の順天堂高等看護学校となり、別科(看護婦進学課程)を併設した。ついで1976年(昭和51)、専修制度発足により順天堂看護専門学校となった。

順天堂高等看護学校第1回卒業式

順天堂高等看護学校第1回卒業式
1964年(昭和39)3月23日、5号館講堂で行われた卒業式。校長福田保。

高等看護婦学校の教室

高等看護婦学校の教室
1964 ~1965年

有山登記念館講堂で行われた看護専門学校の戴帽式

有山登記念館講堂で行われた看護専門学校の戴帽式
戴帽式は実習に出る前の看護学校1年生に行っていたが、2007年(平成19)3月31日、医療短期大学の終了とともに終わった。
社会の動向
1976年ロッキード事件
Close
創立150周年と順天堂
1984 昭和59年
順天堂浦安病院の開院
浦安市が大規模な埋め立てにより人口急増地となり、東京都東部と千葉県西部の広範囲の地域型総合病院として、最新設計と廃棄物処理施設などを備え開院(250床)する。
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順天堂浦安病院の開院
1984年(昭和59)順天堂大学医学部附属病院として千葉県浦安市に開院。東京都東部と千葉県西部の広範囲を診療圏とする地域型総合病院として、コンピュータによる病院管理など運営の合理化をはかり、廃棄物処理施設など当時の最新システムと施設を導入した。

順天堂浦安病院

順天堂浦安病院
1984年(昭和59)
初代院長は臨床病理学教授、小酒井望。開院当時、病床数250床。

外来カウンターから待合ホールを望む

外来カウンターから待合ホールを望む

浦安病院開院3周年記念パーティ

浦安病院開院3周年記念パーティ
1987年(昭和62)
左より小酒井望院長(後ろ姿)、東健彦理事長、岡田純夫専務理事。
社会の動向
1983年東京ディズニーランド誕生
Close
創立150周年と順天堂
1988 昭和63年
習志野からさくらキャンパスに移転
習志野校舎の老朽化と学科、クラブに多様性が出てきたため、千葉県印旛郡印旛村に移転する。
順天堂創立150周年
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体育学部さくらキャンパスの開設
習志野校舎の老朽化と学科、クラブの多様性に対応するため、順天堂創立150周年記念事業の一環として、1988年(昭和63)千葉県印旛郡印旛村(現千葉県印西市)に移転する。2月28日さくらキャンパス竣工式が行われた。講義室、図書館、体育館、学生寮他16棟はじめ、テニスコート、球技場、ハンドボール場。屋外プールは同年5月14日竣工。

東俊郎胸像

東俊郎胸像
さくらキャンパスの泰然の庭に建立され、1988年(昭和63)8月17日除幕式が行われた。

さくらキャンパスのシンボル「泰然の庭」

さくらキャンパスのシンボル「泰然の庭」
1988年(昭和63)4月竣工当時。

1号館

1号館
社会の動向
1988年ソウルオリンピック100m背泳ぎ金メダル 鈴木大地(体育学部4年)
Close
創立150周年と順天堂
1989 平成元年
順天堂看護専門学校を順天堂医療短期大学へ改組・開学浦安キャンパスの開設
順天堂看護専門学校を改組・改称し順天堂医療短期大学を開学する。千葉県浦安市に新キャンパスを開設する。
順天堂越谷病院の開院
(財)順天堂精神医学研究所附属順天堂越谷病院を医学部附属順天堂越谷病院と改組・改称する。
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順天堂医療短期大学開学
順天堂創立150周年記念事業の一環として、医療短期大学は1989年(平成元)千葉県浦安市高洲に新キャンパス(浦安キャンパス)を開設し、開学。3年制。学長宮崎寛明。
本郷8号館にあった順天堂看護専門学校は医療短期大学の構内に移転し、1991年廃止。同年12月専攻科(地域看護学、助産学)が設置認可された。

順天堂医療短期大学開学披露式

順天堂医療短期大学開学披露式
挨拶する宮崎寛明学長。

竣工時の順天堂医療短期大学キャンパスの外観

竣工時の順天堂医療短期大学キャンパスの外観
竣工は1989年(平成元)2月。鉄筋コンクリート造4階建1棟、講義室、実習室、図書館ほか。

授業風景

授業風景
社会の動向
1990年東西ドイツ統一
Close
創立150周年と順天堂
1993 平成5年
体育学部をスポーツ健康科学部に改組
体育学部の基本方針を継承しつつ、「生涯を通して健康で活力ある豊かな生活の実現を図ること」を目指し、いっそう多面的な役割を果たし得る識見と技能を備えた人物育成を目的にスポーツ健康科学部として改組・改称する。
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順天堂医院本館(1号館)の再建
順天堂創立150周年記念事業の一環として、1928年(昭和3)に建築された順天堂医院本館の再建が行われた。1990年(平成2)8月に第1期工事に着工し、2年9ヵ月を経て1993年5月31日に診療棟、地上14階建、地下3階、塔屋2階が竣工。開業に当たり導入した業務の電算化、屋上へリポートの設置、総合診療科、救急センターの開設などが目新しく、医療界の話題になった。
玄関を入ると、エスカレータで1階の受付に導かれ、診察券受付機で受診登録。奥に薬局、待合室がある。4階までの外来部門がロの字型にとり囲み、その空間が1階のアトリウムとなって天井から外光を取り入れている。

第1期工事落成後の順天堂医院本館(1号館)

第1期工事落成後の順天堂医院本館(1号館)
1993年(平成5)
旧1号館の外来棟が前方に残っている。

受付(会計他)

受付(会計他)

アトリウム待合室

アトリウム待合室
社会の動向
1993年欧州連合(EU)発足
1995年地下鉄サリン事件
Close
創立150周年と順天堂
1997 平成9年
大学院体育学研究科を大学院スポーツ健康科学研究科に改称
スポーツ健康科学部への改組に伴い、大学院体育学研究科を大学院スポーツ健康科学研究科と改称する。
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さくらキャンパス

グラウンド

グラウンド

グラウンド_2

グラウンド

体操競技場(第1体育館)

体操競技場(第1体育館)

トレーニングセンター(1階)(第1体育館)

トレーニングセンター(1階)(第1体育館)

柔道場(2階)(第1体育館)

柔道場(2階)(第1体育館)

第2体育館

第2体育館
社会の動向
1997年香港が中国に返還
Close
健康総合大学院大学への発展と国際化
1998 平成10年
アトピー疾患研究センター(本郷)の設置
文部省「私立大学学術フロンティア推進拠点」に採択される。
1999(平成11)年、竣工。
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疾患モデル研究センター
大学院の附属研究施設で、5つの動物実験施設から構成されている。生命現象の理解と解明に大きな役割を果たす動物実験の成果は、医学の発展に貢献している。また、動物実験施設では、再現性が得られるように実験の条件を整えるばかりでなく、動物の生命を尊重し、動物にできるだけ苦痛を与えないような平静な条件で飼育や実験を行うように努めている。文部省「科学フロンティア推進事業」に採択され1998年(平成10)11月設置、初代センター長小川秀興。

アトピー疾患研究センター

アトピー疾患研究センター
遺伝子解析モデル研究室(Ⅰ)
マウスを清浄環境下で飼育できるラミナーフローラック。

老人性疾患病態・治療研究センター

老人性疾患病態・治療研究センター
遺伝子解析モデル研究室(Ⅱ)
マイクロマニュピレータを用いた卵子への顕微授精(遺伝子導入)。

特殊疾患モデル研究室

特殊疾患モデル研究室
骨や心臓のX線断層画像を撮影し、骨密度測定や心機能の測定ができるX線CT装置。
社会の動向
1998年長野オリンピック
Close
健康総合大学院大学への発展と国際
2000 平成12年
大学院スポーツ健康科学研究科博士後期課程(博士課程)の開設
修士課程における教育・研究実績を基盤に、スポーツ健康科学の更なる確立に寄与できる専門的能力を有する研究者並びに超高度な専門的職業人育成を目的に大学院スポーツ健康科学研究科博士後期課程(博士課程)を開設する。
老人性疾患病態・治療研究センター(本郷)の設置
文部省「私立大学ハイテク・リサーチ・センター整備事業」に採択される。
2002(平成14)年、竣工。設計:丹下健三氏
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老人性疾患病態・治療研究センター
老人性疾患の病態の解明や治療研究を中心に、共同研究や学際的研究の推進を目的としている。加齢や老化に関連する学外の若手研究者にも開放し、痴呆性疾患の病態・治療・看護の積極的な研究活動が行える施設を目指している。1999年(平成11年)文部省「私立大学ハイテク・リサーチ・センター整備事業」に採択される。
2000年設立。初代センター長水野美邦。

老人性疾患病態・治療研究センターが入る10号館_内装

老人性疾患病態・治療研究センターが入る10号館_外装

老人性疾患病態・治療研究センターが入る10号館
2002年(平成14)竣工。設計者は丹下健三。
社会の動向
2000年二千円札発行  
2001年アメリカ同時多発テロ事件
Close
健康総合大学院大学への発展と国際化
2002 平成14年
東京都江東高齢者医療センターの運営受託
東京都が高齢者に向けた福祉・医療の複合施設として誕生させたセンターの運営を受託する。
環境医学研究所(浦安)の設置
文部科学省「私立大学ハイテク・リサーチ・センター整備事業」に採択される。
2003(平成15)年、竣工。
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環境医学研究所
2002年(平成14)浦安病院に設置。文部科学省「私立大学ハイテク・リサーチ・センター整備事業」に採択される。
2003年竣工。初代所長小川秀興。疫学的なアプローチからナノ解析、プロテオミクス解析にいたる多面的なアプローチを駆使することにより、環境因子の生体への影響を解明し、新たな治療法の開発へと道筋を開くトランスレーショナルリサーチとなることを目指している。

環境医学研究所_1

環境医学研究所_2

環境医学研究所_3

社会の動向
2002年EU圏内でユーロ統一
日韓共催サッカーワールドカップ
Close
健康総合大学院大学への発展と国際化
2003 平成15年
病院感染予防のための国際的教育拠点に採択
文部科学省「21世紀COEプログラム」“病院感染予防のための国際的教育研究拠点”として、大学院医学研究科感染制御科学が採択される。
個人の遺伝情報に応じた医療の実現プロジェクトに参画
文部科学省「リーディングプロジェクト」“オーダーメイド医療実現化プロジェクト”に参画する。
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感染制御科学研究センター
2003年(平成15)4月文部科学省「21世紀COEプログラム」として、病院感染予防のための国際的教育拠点に採択され、本郷キャンパスに設置される。初代センター長平松啓一。

MALDI-TOF

MALDI-TOF(matrix-assisted laser desorption ionization - time of flight)を使用して菌種の同定をしている。

無題

学内で初導入した次世代シークエンサー

学内で初導入した次世代シークエンサー
“MiSeq” のデモを行っている。
社会の動向
2003年イラク戦争開戦
中国で新型肺炎SARS大流行
国際ヒトゲノム計画、解読全作業完了
Close
健康総合大学院大学への発展と国際化
2004 平成16年
順天堂医療短期大学(3年制)を順天堂大学医療看護学部(4年制)として改組、改称
医療短期大学の基本方針を継承しつつ、看護の実践者として人間性豊かで高い倫理観を持ち、保健・医療・福祉分野に対応できる更に高度な看護・保健・助産の専門職育成を目的に医療短期大学(3年制)を順天堂大学に統合し、医療看護学部(4年制)として改組・改称する。
順天堂は3学部からなる「健康総合大学院大学」として拡充される。
個人の遺伝情報に応じた医療の実現プロジェクトに参画
順天堂東京江東高齢者医療センターの開院
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医療看護学部
順天堂の看護教育は、2004年(平成16)、順天堂医療短期大学(3年制)を、長らく待望してきた医療看護学部(4年制)に改組、転換。伝統ある看護教育で培われた全人教育を継承し「心身を癒す看護」を実践する看護師の育成を目的として施設の拡充を行った。2007年(平成19)に大学院医療看護学研究科(修士課程)を設置。ついで2014年(平成26)に博士課程を設け、看護教育の最高教育機関として発展した。

授業風景

授業風景
看護実習に加え4年間にわたって行われる英語教育や海外研修など、次世代の看護職者として国際的に通用し、広く保健・医療・福祉の分野においても活躍できる人材の育成にも取り組んでいる

真剣なまなざしで指導を受ける病院実習

真剣なまなざしで指導を受ける病院実習

本郷-浦安間での遠隔授業

本郷-浦安間での遠隔授業
社会の動向
2004年医師の卒後教育義務化
アテネオリンピック
体操競技男子団体金メダル
・米田 功(平成12年卒)
・冨田洋之(平成15年卒)
・鹿島丈博(平成15年卒)
Close
健康総合大学院大学への発展と国際化
2005 平成17年
順天堂伊豆長岡病院を順天堂静岡病院に改称
順天堂練馬病院の開院
練馬区の強い要請を受け、地域医療に貢献し、災害時拠点施設の機能として最強度の免震構造、COE対応の院内感染予防などの設備を備え、医学部6番目の附属病院として開院(400床)する。
スポーツ健康医科学研究所(さくら)の設置
文部科学省「私立大学ハイテク・リサーチ・センター整備事業」に採択される。
2006(平成18)年、竣工。
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スポーツ健康医科学研究所
2005 年(平成17)さくらキャンパスに設置。初代所長小川秀興。文部科学省平成17 年度「私立大学ハイテク・リサーチ・センター整備事業」の対象研究組織として採択され、研究高度化のためのプロジェクト「運動に対する心と体の適応」を5 年間にわたり実施した。スポーツ健康科学研究科のみならず医学研究科や医療看護学研究科の研究者も加わり行われた。研究期間終了後も、医学部に開設されているスポートロジーセンターとの連携を深めながらアクティブな研究活動を展開している。

スポーツ健康医科学研究所

スポーツ健康医科学研究所
2006年(平成18)竣工

身体組成研究用設備

身体組成研究用設備

スポーツバイオメカニクス研究用設備

スポーツバイオメカニクス研究用設備
社会の動向
2005年個人情報保護法施行
愛知万国博覧会
Close
健康総合大学院大学への発展と国際化
2007 平成19年
大学院医療看護学研究科(修士課程)の開設
医療看護学部の基本方針を継承しつつ、地域社会と国際社会の中でQOLの向上や社会との連携を創造できる人材、及び社会の要請を先取りするさらに高度な医療看護学を探求する研究者育成を目的に開設する。順天堂は3学部・3大学院からなる「健康総合大学院大学」として更に歩み始める。
スポートロジーセンター(本郷)の設置
文部科学省「私立大学 ハイテク・リサーチ・センター整備事業」として大学院にスポートロジーセンターを設置。
がんプロフェッショナル養成プラン
文部科学省に採択される。
大学院教育改革支援プログラム
文部科学省に採択される。
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スポートロジーセンター
2007年(平成19)文部科学省「私立大学 ハイテク・リサーチ・センター整備事業」として大学院にスポートロジーセンターを設置。生活習慣病の管理の一環として運動療法のエビデンスを研究する。初代センター長小川秀興理事長。

第1回国際スポートロジー学会

第1回国際スポートロジー学会
第28回日本医学会総会を記念して、2011年(平成23)3月5日、第1回国際スポートロジー学会が順天堂大学で開催され、世界で活躍するトップレベルの6名の研究者が特別講演を行った。参加者は500名以上。国際スポートロジー学会(International Academy of Sportology)は日本から世界へ発信する初めての国際学会。"スポーツと健康"をキーワードに各専門科学の『深化・統合』と、効果的かつ効率的な社会還元を目的に設立された。

開会の挨拶をする小川秀興 会頭

開会の挨拶をする小川秀興 会頭
社会の動向
2007年がん対策基本法施行
Close
健康総合大学院大学への発展と国際化
2008 平成20年
創立170周年を迎える
順天堂大学は、医学部・スポーツ健康科学部・医療看護学部の3学部・3大学院からなる「健康総合大学院大学」として、学是「仁」、「不断前進」を基本理念として、社会に貢献する国際拠点大学・大学院大学として更なる躍進を期して、大幅な医学部学納金値下げを行う。
国際交流センター(JUIC)の設定
教員及び学生の国際的な教育研究交流を更に促進するコアセンターとして設置する。
校地・校舎の取得(さくらキャンパス)
さくらキャンパス隣地の土地(3,197 ㎡)を取得。
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順天堂大学国際交流
2008 年(平成20)、教員及び学生の国際的な教育研究のさらなる促進を目指して国際交流センター(JUIC)を設置した。

ブータン王国王女が訪問

ブータン王国王女が訪問
2011年(平成23)2月16日、ブータン王国のケサン・チョゼン・ワンチュク王女が本学を訪問され、国民総幸福度向上のためのヘルスセンター設立構想を語られた。

シャリテ医科大学との学術協定締結

シャリテ医科大学との学術協定締結
2010年(平成22)10月13日、第3代堂主 佐藤進が学んだ旧ベルリン大学(現シャリテ医科大学)と学術協定を締結し、医学教育・研究・医療活動における新しい学術交流プログラムを確立した。

北京大学との国際交流

北京大学との国際交流
第1回 国際学術シンポジウムの開催を記念
2010年(平成22)2月26日
前列左より木南英紀学長、3人目小川秀興理事長、4人目柯楊北京大学常務副学長、後列左より3人目富野康日己前学部長。
社会の動向
2008年世界金融危機
北京オリンピック
陸上競技男子4×100mリレー銅メダル
・髙平慎二(平成19年卒)
体操競技男子団体銀メダル
・冨田洋之(平成15年卒)
・鹿島丈博(平成15年卒)
・坂本功貴(スポーツ科学科4年)
Close
健康総合大学院大学への発展と国際化
2009 平成21年
校地・校舎の取得(センチュリータワー)
創立175 周年記念事業の一つとして、本郷キャンパス隣地で済生学舎発祥の地であるセンチュリータワーを校地・校舎として取得する。
土  地:3,994.98㎡
建  物:地下3階付地上21階建(1991年竣工)
延床面積:25,676.44㎡
設計者 :ノーマン・フォスター卿
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医学部
2008年(平成20)、順天堂は医学部学費値下げを行った。以降、二度にわたる値下げにより、念願の私立大学医学部29校中、最も学費が安価になった。これ以降、受験者数は毎年増加を続けている。ながらく90名であった定員を2009年に国の要請で20名増員、その後も定員の漸増が続き2013年の定員は124名となった。

10号館(本郷キャンパス)

10号館(本郷キャンパス)

CBT(Computer Based Testing コンピュータを利用して実施する試験方式 )の実施

CBT(Computer Based Testing コンピュータを利用して実施する試験方式 )の実施
8号館3階旧マルチメディア教室で。

解剖実習

解剖実習
始めに心構えを聞き、黙祷を捧る儀式を行い、実習が始まる。
坂井建雄教授と学生達。
社会の動向
2009年バラク・オバマが第44代アメリカ合衆国大統領に就任。黒人の大統領は、米史上初めて
民主党鳩山由紀夫内閣誕生
世界保健機構(WHO)が新型インフルエンザに対し、パンデミックを宣言
TBSドラマ「JIN-仁-」順天堂にて撮影協力
Close
健康総合大学院大学への発展と国際化
2010 平成22年
校地・校舎の取得(三島キャンパス)順天堂大学保健看護学部の開設
看護の実践者として人間性豊かで高い倫理観を持ち、保健・医療・福祉分野に対応できる高い看護実践能力を備えた更に高度な看護・保健専門職者育成を目的に、静岡県三島市に保健看護学部を開設する。
順天堂大学は4学部からなる「健康総合大学」として拡充される。
土  地:18,789.93 ㎡
建  物:地上5階建
延床面積:8,528.52 ㎡
住  所:静岡県三島市大宮町3-7-33
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保健看護学部
2010年(平成22)に静岡県東部唯一の4年制看護学部として三島市に開設した保健看護学部。看護の実践者として高い倫理観をもち、保健・医療・福祉を担う看護能力を備え、医学部附属静岡病院および関連医療機関や地域医療で活躍する看護専門職の養成を目指す。

本郷-三島間での遠隔授業

本郷-三島間での遠隔授業
大教室・11番教室。右手前は稲冨惠子初代学部長。

実習室

実習室
教員の手技を大画面で確認しながら演習を行う。成人看護方法論の講義。

病院実習

病院実習
社会の動向
2010年JAL経営破綻
2011年東日本大震災
2012年自民党第2次安倍晋三内閣発足
ロンドンオリンピック
体操競技男子団体銀メダル
・田中佑典(平成24年卒)
・加藤凌平(スポーツ科学科1年)
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創立175周年を経て更なる発展を遂げる順天堂
2013 平成25年
大学院医学研究科(修士課程)の開設
医学・医療の基本的な知識と研究能力を礎として、創造的で幅広い視野を持ち、生涯にわたって医科学と向き合う姿勢を持ち続け、「仁」の心を兼ね備えた”志高き医学・医療の研究者・高度専門職業人”を国際的レベルで人材育成することを目的に開設する。
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順天堂創立175周年記念事業
創立175周年を機に順天堂のさらなる躍進と発展を期し、全学部のキャンパス並びに附属病院群の再整備と拡充を図る「キャンパス・ホスピタル再編事業プロジェクト」が推進されている。このプロジェクトの第1歩として隣接するセンチュリータワーの取得(2009年)、新病棟(B棟第1期)の竣工、さらに管理棟(D棟)、新病棟(B棟第2期)、順天堂医院増築部(C棟)の建設に着工している。中期的に研究棟(A棟)の建設計画も検討を進めている。

大学本部・教育棟(センチュリータワー)、新研究棟(A棟)、新病院棟(B棟)の完成予想図

大学本部・教育棟(センチュリータワー)、新研究棟(A棟)、新病院棟(B棟)の完成予想図

C棟 順天堂医院の増築部分完成予想図

C棟 順天堂医院の増築部分完成予想図

D棟 病院の管理棟の完成予想図

D棟 病院の管理棟の完成予想図

レスポワール湯島の完成予想図

レスポワール湯島の完成予想図
研修医、看護師、職員のための寮。
社会の動向
2013年2020年東京オリンピック・パラリンピック開催決定  
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創立175周年を経て更なる発展を遂げる順天堂
2014 平成26年
日本医学教育歴史館開館
日本の医学教育の歴史を資料等により検証できる本邦初の展示施設として日本医学教育歴史館を開館。
大学院医療看護学研究科(博士課程)の開設
博士課程の開設に合わせて、同年に大学院医療看護学研究科博士前期課程(修士課程)三島サテライトキャンパスを開設する。
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日本医学教育歴史館開館披露 順天堂創立175周年記念式典
2014年4月10 日(木)、有山登記念館講堂において順天堂創立175 周年記念式典が行われた。この式典には天皇皇后両陛下のご親臨を賜り、式典終了後両陛下は「日本医学教育歴史館」をご視察された。

有山登記念館講堂において行われた順天堂創立175周年記念式典

有山登記念館講堂において行われた順天堂創立175周年記念式典

有山登記念館講堂において行われた順天堂創立175周年記念式典_2

天皇皇后両陛下による日本医学教育歴史館ご視察

天皇皇后両陛下による日本医学教育歴史館ご視察
社会の動向
2014年国内でデング熱感染を確認
消費税率8%に引き上げ
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創立175周年を経て更なる発展を遂げる順天堂
2015 平成27年
国際教養学部の開設
国際社会で幅広く活躍するために必要な教養や高いコミュニケーション能力を習得するためのカリキュラムを通して、多様な価値観の中で自律し、周りの人々と共生し、主体的に生きることができる人=グローバル市民(Global Citizen)の養成を目指す国際教養学部が本郷・お茶の水キャンパスに開設される。
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国際教養学部
2015年4月、医学部のある本郷・お茶の水キャンパスに第5番目の学部として、外国語による高いコミュニケーション能力とリベラルアーツを習得し、グローバル社会領域、異文化コミュニケーション領域、グローバルヘルスサービス領域の3 領域にわたる専門性を身につけたグローバル市民を養成する「国際教養学部」を開設した。

グループワークを取り入れた少人数制の授業

グループワークを取り入れた少人数制の授業

第二教育棟に設置された国際教養学部学生ラウンジ

第二教育棟に設置された国際教養学部学生ラウンジ

世界陸上事前キャンプで通訳ボランティアを務める一期生たち

世界陸上事前キャンプで通訳ボランティアを務める一期生たち
2015年(平成27)、スポーツ健康科学部「さくらキャンパス(千葉県印西市)」が世界陸上競技選手権大会北京大会に出場するアメリカチームの事前キャンプ地となり、開設1年目の国際教養学部の学生たちが事前キャンプにおける通訳ボランティアを務めた。
社会の動向
2015年マイナンバー制度制定
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創立175周年を経て更なる発展を遂げる順天堂
2016 平成28年
難病の診断と治療研究センターの開設
順天堂の豊富な臨床力を活用し、ゲノム医療、再生医療を通じて医療・医学の進歩に貢献する施設として難病の診断と治療研究センター(ゲノム医学研究・難治性疾患実用化研究室、難治性疾患・再生医療実用化研究室)を開設した。
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患者さんに優しく、安全で高度な医療の実践
総病床数3418床(2018年3月現在)を有する附属6病院は、日本屈指の強固なネットワークを形成し、高度先進医療から地域医療、高齢者医療まで、患者さんの幅広いニーズに対応できる体制を整備し、最先端を担う大学病院の使命として、最新技術を積極的に導入している。

難病の診断と治療研究センターに設置された最新鋭の研究設備

難病の診断と治療研究センターに設置された最新鋭の研究設備

カテーテル手術と人工心肺手術が同時に行える心臓外科用ハイブリッド手術室

カテーテル手術と人工心肺手術が同時に行える心臓外科用ハイブリッド手術室

手術支援ロボット「ダヴィンチ」の早期導入

手術支援ロボット「ダヴィンチ」の早期導入
社会の動向
2016年熊本地震
リオデジャネイロオリンピック・パラリンピック
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創立175周年を経て更なる発展を遂げる順天堂
2017 平成29年
OGAWA GYMNASTICS ARENA 竣工
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体操競技部の活躍
創部60年を超える伝統を誇る体操競技部は、この年5度目の全日本選手権優勝、10度目の全日本インカレ優勝を果たし、ユニバーシアードや世界選手権といった国際大会でも多くの在学生・卒業生が活躍した。

OGAWA GYMNASTICS ARENAに新しくできた体操競技場

OGAWA GYMNASTICS ARENA に新しくできた体操競技場

第71回全日本学生体操競技選手権大会(8月)

第71回全日本学生体操競技選手権大会(8月)

第71回全日本体操団体選手権大会(11月)

第71回全日本体操団体選手権大会(11月)
社会の動向
2017年ドナルド・トランプ米大統領就任
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創立175周年を経て更なる発展を遂げる順天堂
2019 令和元年
保健医療学部の開設
豊かな人間性と専門的知識・実践実技力を兼ね備えた国際的に活躍できる理学療法士・診療放射線技師を育成する保健医療学部が本郷・お茶の水キャンパスに開設される。
順天堂かゆみ研究センターの開設
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保健医療学部
2019年4月、医学部・国際教養学部のある本郷・お茶の水キャンパスに第6番目の学部として、高度な専門知識と技術を持って、多岐にわたるフィールドで活躍できる理学療法士・診療放射線技師を養成する「保健医療学部」を開設した。

附属病院と直結

附属病院と直結
順天堂医院をはじめとする医学部附属病院のリハビリテーション科、放射線科と緊密に連携。

最新設備の整った充実した教育環境

最新設備の整った充実した教育環境

充実の教育体制

充実の教育指導体制
社会の動向
2019年「令和」に改元
消費税率10%に引き上げ
ラグビーW杯日本大会
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