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順天堂医院の今昔

Story 16 関東大震災と順天堂

大正12年9月1日(土)午前11時58分に起きた関東大震災で順天堂はほぼ全焼に近い被害を受けた。地震による建物の崩壊は逃れたが、最初の大揺れで、モルタル造りの病棟の屋板瓦はすべて滑り落ち、板葺きがむき出しになった。

午後2時頃、水道橋方面からの火の粉がこの屋根に降り注ぎ、病棟から燃えだした。入院患者をすべて玄関前に連れ出し、まず隣の女子師範(現在の医科歯科大)の校地に移送したが、その頃になると、神田三崎町からあがった火の手が駿河台一帯に広がり、御茶ノ水の堀に火が走っていた。このままでは順天堂が危ないと、上野公園を目指して神田川に沿って松任町に出て、五軒町、西黒門町、天神下から池之端、茅町をへて上野公園の精養軒の前の木立にまで到着した。このとき歩ける患者以外は看護婦が背負ったり、担架輸送して一人の負傷者も出すこともなく、退避することができたのであった。順天堂は午後3時頃焼け落ちた。もし避難の判断が遅れていれば、人災を起こし、大災害になるところであった。

大正十二年震災直後順天堂医院前庭

大正十二年震災直後順天堂医院前庭
患者の救出状況
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