就職・キャリア 活躍している卒業生から

卒業生インタビュー:スポーツ健康科学部の「人」

順大で学ぶこと、経験することにムダなことはありません。4年間本学で学んだ卒業生たちは、社会へ羽ばたき、新しい歴史を作っています。さまざまな分野で活躍する先輩たちに、順大での経験が“ いま”にどう生きているのかを聞きました。

鈴木 大地 DAICHI SUZUKI

1993 年3 月 大学院体育学研究科 コーチ学修了(修士(体育学))

1967年、千葉県生まれ。1988年のソウルオリンピック100メートル背泳ぎで金メダル獲得。1993年3月順天堂大学大学院体育学研究科コーチ学修了。2007年に順天堂大学から医学博士の学位を授与された。

鈴木大地

鈴木大地 水泳

「世界を広げてくれた4年間」

「世界を広げてくれた4年間」

「世界を広げてくれた4年間」

自由な学風と「不断前進」という理念に惹かれ、水泳で世界一になるために順大に入りました。ところが、1 年生から授業がびっしりで、これは失敗したと思うくらい大変でした(笑)。一方で、1 位、2 位を争う水泳競技の世界とは別に、仲間たちと共に学ぶ大学という世界があったことは良い気分転換にもなりました。競技一辺倒でやっていたら、もっとプレッシャーを感じていただろうと思います。

授業の内容も興味深く、特に心理学は面白かったですね。相手が何を考えて、どういう行動をとるのか、世界と戦うためのヒントも見つけました。周りにはさまざまな競技で日本を代表するアスリートたちがいて、お互いに刺激し合えたことも大きな励みになりました。今思えば、この4年間があったからこそ水泳だけではない世界を広げることができたんだと思います。

大学4年生のとき、ソウルオリンピックで念願の金メダルを獲りましたが、実はその2年前、大学も水泳も辞めようと思うほどつらい時期がありました。腰痛のために半年近く寝たきりで、実技の授業も受けられず、卒業も危ういほど単位を落としてしまったんです。そんなときにある野球選手の本を読み、アスリートは常にケガとの戦いなのだと教えられました。自分の体と向き合うことの大切さを知り、自由に体を動かせることに感謝するようになったのもこのときからです。大学の授業もより現実的なものとして真剣に取り組むようになり、オリンピックや卒業に向けて、あきらめずに前へ進むことができました。

順大は体育大学ではなく、健康総合大学です。スポーツ健康科学部には、病気になってから体を治すのではなく、病気にならない健康な体をつくるための学びが詰まっています。教授となった今、学生たちにはほかの体育大学とは違う“ 順大のアイデンティティー” を大事にしてほしいと伝えています。

仕事柄、多様な考え方や価値観を持った海外の人々と話す機会も多くあります。そのなかで痛感するのは、競技だけやっていたのではダメだということ。競技以外にも目を向けて、さまざまな経験や出会いを通じて広く深い知識を身につけなければ、世界の人々と対等に会話することはできません。そういう意味でも大学の4年間は貴重です。仲間と寝食を共にし、語り合ったこと、学んだことは必ず財産になります。自分らしく羽ばたいていけるよう、学生時代にたくさんの出会いと知識と経験を積み重ねていってほしいと思います。

順大を選んだ理由は?
理念が自分の生き方に合っていたから。
順大のどんなところが好き?
高潔さ。
順大で一番好きな場所は?
さくらキャンパスの並木道。
順大での一番の思い出は?
卒業式。仲間と4年間を振り返って、この大学に入ってよかったと思った。
あなたが思う順大イズムとは?
不断前進。
後輩へひと言。
常に自分の殻を破り続けろ!

冨田 洋之 HIROYUKI TOMITA

2006 年3月 大学院スポーツ健康科学研究科 修了
順天堂大学スポーツ健康科学部スポーツ科学科 准教授
国際体操連盟技術委員

1980年、大阪府生まれ。2003年にスポーツ科学科、2006年に大学院を修了。2004年のアテネオリンピック団体総合金メダル。2007年の世界選手権にて日本人初のロンジン・エレガンス賞を受賞。2008年の北京オリンピック団体銀メダル。2013年より国際体操連盟技術委員。本学准教授、体操競技部コーチ。

冨田洋之

冨田洋之

「支え合いの精神で掴んだ団体優勝」

助け合う精神で辛い練習を乗り越えた

大学の4年間で何より学んだことは、支え合い、助け合う精神です。体操競技は個人競技なので、個々の実力が大事だと思われがちですが、つらく苦しい練習を積み重ねていくためには、仲間の存在はとても大きなものです。順大でめぐり会った仲間たちは、得意種目も個性もバラバラでしたが、お互いに支え合って、みんなで強くなっていったという実感がありました。1年生のときに、医学部の学生と寮生活を共にしたことも今思えば面白い経験でした。

そんななか、3年生のときの全日本インカレで初めて団体優勝したことは自分にとって強く印象に残る出来事でした。体操は8歳から続けていて、個人で優勝したことはこれまでに何度もありましたが、団体で優勝したことは一度もなかったんです。こんなにも喜ばしいものなのかと感動する一方で、みんなで優勝を勝ち取ることの重みと責任をすごく感じました。それからは、日本代表のなかでも自分の役割を常に意識しながら動くようになりました。その経験が生かされたのが、オリンピックです。特に2008年の北京大会では、日本代表の主将として自分の役割をしっかりと全うし、メダルに向かってチームを引っ張っていくことができました。

大学院に進学するとき、セントラルスポーツに入社するときなど、人生の要所要所で順大の先生や仲間、OBの方々に助けられてきました。その恩返しをするためにも、今は指導者として後輩たちをしっかりと受け止め、支えていきたいと思っています。これから順大を目指す学生たちにもぜひ思い切り飛び込んできてほしいです。

冨田
順大を選んだ理由は?
自主性を重んじるところ。
順大のどんなところが好き?
学生と教員の距離が近いところ。
順大で一番好きな場所は?
体操場。一番落ち着く。
順大での一番の思い出は?
全日本インカレでの団体優勝。
あなたが思う順大イズムとは?
支え合い。
後輩へひと言。
何事も一生懸命に!

安藤 貴之 TAKAYUKI ANDO

1999 年3 月 スポーツ科学科卒業
鹿島アントラーズ フィジオセラピスト

1976年、福岡県生まれ。順大在学中はサッカー部でトレーナーとして活躍。1999年にスポーツ科学科を卒業後、3年制の国立専門学校に入学。理学療法士の資格を取得する。卒業後、西大宮病院で勤務。2003年に鹿島アントラーズと契約し、チームのフィジオセラピストを務めている。

安藤 貴之

安藤 貴之

「自ら考え行動することで夢は叶う」

現在、鹿島アントラーズのフィジオセラピスト(理学療法士)として、選手のケガの予防や、ケガをした選手が実戦に復帰するための治療やリハビリなどを行っています。運動機能を回復させるためには、障害の要因を細かく分析し、最適なアプローチを導き出すことが大事です。豊富な知識と経験が求められますが、それによって選手が障害を乗り越え、再び試合でプレーし、活躍する姿を見たときは心からうれしく、やりがいを感じます。

順大時代は、サッカー部でトレーナーとして活動していました。当時は部員が160人もいて、10人のトレーナーが分担して選手たちの管理をしていたんです。その活動のなかで理学療法士という職業を知り、その奥深さにどんどんのめり込んでいきました。僕は現在、病院の臨床ではなくスポーツの現場で働いていますから、授業や運動生理学ゼミで学んだことを部活で即実践できていた経験が今でも大変役に立っています。在学中に部活の先生の紹介でJ リーグのチームで研修させてもらい、その縁で鹿島アントラーズと契約することができました。昔から一番好きなチームでしたから、最初はうれしい反面プレッシャーもありました。今ではこの仕事を天職だと思っています。

僕にとって順大は、やろうと思えば何でもできる場所。とはいえ、どこにいても自分から積極的に動かなければ何も始まりません。まずは自分が興味を持ったことに対してひたむきに取り組むこと。そして、待つのではなく自分から積極的に行動していくことが大切です。そうすることで道は開け、実を結ぶことができるのだと思います。

安藤 貴之
順大を選んだ理由は?
トレーナーに憧れていたから。
順大のどんなところが好き?
みんな仲が良くて、団結力があるところ。
順大で一番好きな場所は?
グラウンド。
順大での一番の思い出は?
海浜実習でおぼれたこと。
あなたが思う順大イズムとは?
まじめさ、ひたむきさ。
後輩へひと言。
すべては自分から。あきらめずに前に進もう!

村上 光輝 MITSUTERU MURAKAMI

1998年3 月 健康学科卒業
日本ボッチャ協会強化指導部長

1974年、福島県生まれ。福島県立石川養護学校勤務などを経て、現在はボッチャ日本代表コーチとして2012年のロンドンパラリンピックではチームを7位、2016年のリオデジャネイロパラリンピックでは銀メダルに導く。また、日本ボッチャ協会強化指導部長も務めている。順大時代はサッカー部に所属。

村上光輝

村上光輝

「主体性を引き出す指導を」

パラリンピック選手を指導し、世界を目指したいと思うようになったのは大学3年生のとき。ボランティアで陸上競技のコーラー(選手のために手たたきなどの音を出す人)を務めたことがきっかけです。当時から順大はボランティア活動が活発で、授業やゼミで学ぶだけでなく、実際に障がい者の方たちとふれあい、現場を体験することを大事にしていました。私もそうした活動のなかで、同じ障がい者でも一人ひとり違いがあり、それぞれに合わせた指導方法を見つけることが大切だと気づきました。そして、4年生のときに障害児教育ゼミのボランティアで出合ったのがボッチャです。

ボッチャは、脳性麻痺などの障がい者のためにヨーロッパで考案されたスポーツです。福島県の特別支援学校での勤務を経て、現在は、ボッチャの日本代表強化指導部長として選手の指導にあたっています。

2016年には、日本代表コーチとしてリオデジャネイロパラリンピック出場を果たし銀メダルを獲得しました。やりたいことを追求していけば目標は達成できるのだと実感できました。そのためのベースを作ってくれた場所が順大です。寮生活や部活動、ボランティアを通じて、あきらめない力、相手を思いやる心を身につけることができたからこそ、今、選手一人ひとりに寄り添い、主体性を大切にした指導を行うことができるのだと思います。

少しでも多くの人にこの競技を知ってもらうためにも、2020年の東京パラリンピックでもメダルを獲得することが現在の目標です。

村上 光輝
順大を選んだ理由は?
医学的な勉強もできると思ったから。
順大のどんなところが好き?
寮生活でいろいろなことを学べたこと。
順大で一番好きな場所は?
啓心寮。
順大での一番の思い出は?
天皇杯で鹿島スタジアムに応援に行ったこと。
あなたが思う順大イズムとは?
結束力。
後輩へひと言。
夢を追求していけば必ず叶う !

名波 浩 氏

平成7年卒業
ジュビロ磐田 監督、元ジュビロ磐田所属、FIFAワールドカップ フランス大会 日本代表

さくらキャンパスでの4年間は、型にはめない指導法のもとサッカー三昧の生活でした。現状に満足せず、常により高い目標を目指して「不断前進」することを学生時代から身につけました。所属クラブでも毎日進化し続けています。順大出身のJリーガーは、リーダーシップに優れ、クレバーな選手として有名です。これは、4年間きちんと授業でいろいろな知識と技術を学んだ上で部活動を行う伝統があるからです。高い志を持ち、夢に向かって不断の努力を惜しまない後輩の入学を楽しみにしています。

nanamihiroshi