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順天堂医院の今昔

Story 3 順天堂醫事雑誌

順天堂大学の機関誌『順天堂医学』は2013年の59巻第1号からタイトルを『順天堂醫事雑誌』と改めることになった。

『順天堂醫事雑誌』は明治8年(1875)に第1号が発刊されている。明治8年はベルリン大学医学部に留学していた第三代堂主佐藤進がウィーン、パリを回って帰国した年である。進はアジア人最初のベルリン大学医学部の卒業生であった。

進は帰国するや、ただちに診療、塾生の教育にたずさわり、忙しい日々が続いた。当時、順天堂には、全国から集まった医師を志す塾生が寄宿し医学を学んでいた。進が講義する最新医学は、どれも塾生にとって耳新しいことばかりで、みな懸命に講義を筆記していた。それを見ていた当時の院長である第二代堂主佐藤尚中は「その論ずるところの医法を施す所の技術とは我耳目に新たにして後生のために裨益なしとすべからず。それ(筆記したもの)を捨て置かんとは遺憾のこととし、筆記して冊子となしぬるを順天堂醫事雑誌と題して木の上せぬ(木版にのせる=刊行するの意)」と、明治8年(1875)に『順天堂醫事雑誌』の刊行を始めた。その後、進は西南戦争(明治10年)で軍医として活躍し、その名は全国に知れ渡ったのであった。

順天堂醫事雑誌

順天堂醫事雑誌_2

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