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順天堂医院の今昔

Story 22 海軍軍医Pompe van Meerdervoortと弟子たち

松本良順と弟子

テレビや小説によく登場する幕府の御医師松本良順は、順天堂の創立者佐藤泰然の次男である。良順(1832-1907)の幼名は順之助。嘉永2(1849)18歳のとき順之助に、父の刎頸の友、幕府の奥医師松本良甫の養子縁組みの話が持ち上がった。しかし、この縁組みに難問が立ちはだかった。第一が身分の違いである。松本家は将軍の奥医師をつとめた直参の家柄。それに対して、佐藤家は陪臣の身分である。第二は、佐藤家が蘭方の家だということである。この縁組みに幕府の奥医師はこぞって反対した。実はこの頃、蘭学の勢いが伸びて、奥医師たちは蘭学に対して脅威を感じていた。この縁組みを成立させる条件が与えられた。順之助に2ヶ月間の猶予を与え、奥医師の面々の前で漢方の試験に合格することであった。順之助は猛烈な勉強をして優秀な成績で難関を見事に突破し、めでたく松本良順となったのである。
良順はその後、蘭学の勉学を密かに続けていた。安政4年(1857)長崎で行われる第二次海軍伝習でオランダ軍医が医学を教えることを聞きつけ、奥医師団に見つからぬよう密かに江戸を発ち、長崎で海軍軍医ポンぺ・メールデルフォールトから本格的な西洋医学の伝習を受けた。それが日本の近代医学教育の始まりとなった。
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