環境因子の人への影響からかゆみのメカニズム解明まで基礎・臨床一体となって挑む

研究代表者
環境医学研究所所長 髙森 建二

環境医学研究所は、環境中の化学物質が人体に及ぼす影響を解明することを目的として、2002年に設立されました。「環境要因(環境汚染物質)と生体反応」「疾患関連遺伝子の変異と環境因子」「性差医学と環境因子」「難治性“かゆみ”の発症機構解明と予防・治療法の開発」という4つのプロジェクトを軸に、基礎・臨床が一体となった研究を展開。中でもかゆみ研究において世界をリードする研究所について、髙森建二所長にお聞きしました。

未解明な部分の多い環境因子の影響を
多様な専門性を持つ研究者たちが研究

環境中の化学物質(環境汚染物質)は、人々の健康にさまざまな影響を及ぼすことがわかっています。しかし、化学物質や環境変化に伴って発症する疾患のメカニズムなどの詳細は未解明な部分が多く、これらを解明することは次世代のために今の私たちに課せられた重要な課題です。

そのような背景から設立された環境医学研究所は、環境因子をキーワードに、「環境要因(環境汚染物質)と生体反応」「疾患関連遺伝子の変異と環境因子」「性差医学と環境因子」という3つのプロジェクトを軸として研究を推進してきました。2013年からは「難治性“かゆみ”の発症機構解明と予防・治療法の開発」が研究テーマに加わり、さらに多彩な研究を展開しています。

順天堂大学医学部附属浦安病院内に研究所があることを生かし、多様なバックグラウンドを持つ基礎医学研究者と臨床医学研究者が一体となった研究を実践。臨床症状から生じたクリニカルクエスチョンに対して分子レベルでの研究に臨み、またその研究から得られた知見をすぐに臨床に応用できるという好循環が生まれます。これまでに関わってきた研究分野は、皮膚科学、生化学、免疫学、神経科学、生物工学、薬学、栄養学、看護学と、あらゆる領域に及び、研究内容に応じて分野横断的に広がっています。

当研究所には共焦点レーザー顕微鏡や質量分析計など最先端の研究機器を備え、疫学的なアプローチからナノ解析、プロテオミクス解析にいたる多面的なアプローチを駆使することで環境因子の生体への影響を明らかにするとともに、新たな治療法の開発への道をひらくトランスレーショナルリサーチを実践しています。

かゆみ研究で世界をリードする「かゆみ研究センター」を設立

環境医学研究所で「かゆみ」を研究していると聞くと、意外に感じるかもしれませんが、常に外界と触れている皮膚に生じるかゆみは環境の影響を大きく受けています。多くの人が経験しているかゆみの原因である“乾燥”は、低湿度という環境変化によるものです。

そもそも医学研究において、かゆみは長年軽視されてきました。かゆみは痛みの弱い感覚であると認識されていて、かゆみそのものが研究されてこなかったのです。しかし、かゆみと痛みは別のメカニズムが働いていることや、勉強意欲や集中力の低下をまねき、ひいては生産性の低下につながることが明らかになってくると、アメリカのNIH(国立衛生研究所)などがかゆみ研究に注力しはじめました。かゆみ研究のための予算も大量につき、Itch Center(かゆみセンター)も設立されました。そのような中、アメリカ(4拠点)、ドイツ(2拠点)に次ぐ世界7番目、日本・アジアで初めてのかゆみ研究拠点として2019年に設立されたのが、環境医学研究所内の「かゆみ研究センター」です。

皮膚科医として以前からかゆみに着目してきた私は、かゆみの中でも抗ヒスタミン薬が効かない “難治性かゆみ”に着目しました。抗ヒスタミン薬はヒスタミンが関与した蕁麻疹には奏効するものの、昆虫や植物の毒、肝臓や腎臓疾患などの全身性疾患、ストレス、炎症、乾燥(低湿度)などによるかゆみは抗ヒスタミン薬が効きません。強いかゆみを引き起こすアトピー性皮膚炎も難治性かゆみを代表する疾患ですが、かゆみに耐えられず搔いてしまうため、さらに皮膚症状を悪化させてしまうという悪循環に陥ってしまいます。かゆみの原因やメカニズムを解き明かし、治療法を確立することは、皮膚疾患の改善にとって不可欠であり、人々のQOLや生産性を向上させるためにもとても重要なことです。

乾燥がかゆみを生じさせる発症機序など
難治性かゆみを中心に数々の新発見

ここからは当研究所発の数々の研究成果を紹介していきます。かゆみ研究では、抗ヒスタミン薬が効かない難治性かゆみの中でも、主にアトピー性皮膚炎やドライスキン(乾燥肌)を中心に、さまざまな疾患に伴う難治性かゆみの発症機序解明と新規鎮痒薬の開発を目指して研究を進めてきました。

皮膚には水分や脂質を保持するバリア機能が備わっていますが、乾燥などにより皮膚のバリアが壊れるとかゆくなります。当研究所では、このような現象のメカニズムをさまざまな角度から解明してきました。

乾燥によって生じるかゆみは、乾燥、温熱・機械的・電気的・物理的刺激、化学的な反応などにより、表皮と真皮の境界部に存在する知覚神経線維の神経終末(かゆみレセプター)が活性化されて生じます。このような反応が強くなる原因として、健康な状態では表皮真皮境界にとどまっているかゆみを伝える神経(C線維)が、乾燥などにより皮膚の表面に近い角層直下まで伸長することを見いだしました。そのためわずかな刺激でも神経に届きやすくなり、過敏性と難治性が増すことが明らかになりました。

さらに、C線維を進展させる分子機構について、神経を伸長させる因子(NGFなど)と、それらとは反対に神経伸長を抑える因子(セマフォリン3Aなど)が関わっていることを明らかにしました。この研究成果をもとに、アトピー性皮膚炎のモデルマウスの患部にセマフォリン3Aを合成した軟膏を塗布したところ、かゆみ行動をとらなくなり、皮膚症状の改善、神経線維進展の抑制といった効果が確認できました。

これらはすぐに治療薬などにつながるものではありませんが、当研究所と同じ浦安エリアにある本学薬学部(2024年度開設)や健康データサイエンス学部と連携して、創薬につながる研究を進めていければと考えています。

眼アレルギーや自己免疫疾患などでも
新たな治療法開発を目指した研究を推進

かゆみ以外では、環境因子やかゆみとも関連の深いアレルギーの研究を行っています。

アレルギー性結膜疾患には、国民の40%以上がかかる花粉性結膜炎から重篤で視力障害のおそれもある春季カタルやアトピー性角結膜炎などがあります。この研究グループでは、現在、「病原性記憶Th2細胞と痒みの関係」、「異所性リンパ濾胞形成メカニズム」、「結膜上皮細胞のムチン発現の質的・量的変化とアレルギー発症」、「重症アレルギー性結膜疾患の病態形成におけるOncostatin-M・IL-31の関与」などの研究テーマに取り組み、アレルギー性結膜疾患の病態解明と新しい治療法の開発のため研究を続けています。

また、アレルギーとも関連する自己免疫疾患として、全身性エリテマトーデス (SLE)という疾患を研究しています。SLEは20代から40代の女性に多い膠原病の一種で、発熱、関節炎、皮疹が代表的な症状です。この研究では、SLEの患者さんの血液検体を用いて、特に疾患治療前後で変化する遺伝子やシグナル伝達を探索し、その結果、JAK/STATシグナルを介したシグナル伝達の異常が関連していることを発見しました。その後、JAK阻害薬という分子標的薬によるシグナル伝達制御の有効性について検討し、疾患モデルマウス等を用いた研究で、JAK阻害がSLEの新たな治療法になりうることを証明しました。

SLEと同じく、膠原病の一種である関節リウマチの研究では、関節リウマチの患者さんの血液検体を用いて、関節リウマチで使われるインフリキシマブという分子標的薬の治療によって、血中のCTGF (結合組織増殖因子)が顕著に低下することを発見。さらに、このタンパク質が関節破壊に関連することも明らかにしました。

専任常勤スタッフ全員が科研費を取得
充実した環境で若手や女性、留学生育成に注力

そのほかの研究領域では、「糖脂質を介した分化・免疫機構の研究」「プロテオミクスの研究」などがあり、それぞれに研究成果を挙げています。

糖脂質を介した分化・免疫機構の研究グループでは、細胞の機能を仲介・調節する機能を持つ糖脂質について研究する中で、貪食細胞のマイクロドメインを介して自然免疫応答を起こす分子機構を詳細に解析。糖脂質が病原微生物の糖鎖と選択的に結合することを見いだし、その研究の過程で病原微生物が免疫による攻撃(殺菌)から逃れる仕組みを明らかにしました。この研究成果をもとに、病原性抗酸菌感染症の分子機構の解明と治療法の開発へと発展させることを目指しています。

もう1つのプロテオミクスの研究グループでは、研究所内外の研究者と共同研究を行い、質量分析による生体分子の同定や定量が生命現象の理解においてブレークスルーとなることを目指しています。主要なターゲットはタンパク質ですが、近年は生体内ペプチドや生理活性脂質の解析でも成果が出つつあり、今後への期待が大きい研究グループの1つです。

このように「環境因子」「かゆみ」などをキーワードとして幅広い先端研究を行う環境医学研究所では、2023年度現在8名の専任常勤スタッフが研究に励んでいて、全員が科研費を獲得するという驚くべき状況にあります(獲得率100%)。2006年には文部科学省「ハイテク・リサーチ・センター整備事業」に継続選定され、2013年にはかゆみ研究が文科省「私立大学戦略的研究基盤形成支援事業」に選定されるなど、研究環境がますます充実しています。また、2019年度からの3年間で掲載された英文論文数は359編、総インパクトファクター(IF)は2289.92(平均IF6.38)、総閲覧数(CI)は2776と、ビッグジャーナルといわれる雑誌にも多数、論文を掲載してきた実績があります。

その上で近年特に力を注いでいるのが、若い人材の育成です。2023年度は博士課程12名、修士課程1名の大学院生が所属するなど、毎年10人以上の大学院生を受け入れています。女性研究者の割合も36%と高く、ヨーロッパ(イタリア)やアジア(中国やインドネシア等)からの若手研究者や留学生も増加しており、世界をリードし続ける研究機関としてさらに発展を遂げていきます。

研究者Profile

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髙森 建二

Kenji Takamori

大学院医学研究科環境医学研究所
所長

1967年順天堂大学医学部卒業. 1974年博士号取得(医学博士). 順天堂大学医学部生化学教室、米国デューク大学医学部皮膚科、越谷市立病院皮膚科、順天堂大学医学部皮膚科などを経て、2005年順天堂大学医学部附属浦安病院院長就任. 同年学校法人順天堂理事就任(現在に至る). 2008年より現職. 専門分野は皮膚生化学一般、かゆみの生理化学、アトピー性皮膚炎の病態と治療など.