老人性疾患の病態の解析と治療法の開発を目的として1999年に設立された老人性疾患病態・治療研究センターからは、世界的にも注目度の高い数々の研究成果が発表されています。未だ解明されていない「老化」の謎を突き詰め、病態解明や治療・予防につなげることを目指すセンターの研究について、内山安男センター長にお聞きしました。
神経変性疾患をメインターゲットに病態解明と治療法確立を目指す
1999年に設立された老人性疾患病態・治療研究センターは、約25年間にわたって「老化」のメカニズムに挑み、老化に伴って生じる疾患の病態解明と治療法確立に向けた研究に取り組んできました。
現在は、老人性疾患の中でも、神経生物学、生理学、神経学、精神医学、脳神経外科学といった神経系の教室、呼吸器学教室、循環器学教室が中心となって、「パーキンソン病および関連疾患の発症と防御機構の研究プロジェクト」「痴呆性疾患の発症と防御機構の研究プロジェクト」「高次脳機能の神経機構と機能修復研究プロジェクト」の3つを柱とする研究を推進しています。
これらの研究プロジェクトの推進力となっているのが、充実した研究環境と基礎研究グループです。共焦点レーザー顕微鏡をはじめとしたイメージング機器や共同実験室などの研究環境を1カ所に集約することで、超解像顕微鏡レベルから高解像度電子顕微鏡レベルの解析を可能にし、研究をサポートできる体制を整備しています。また、独自の電子顕微鏡技術(光線-電子相関電子顕微鏡法や凍結割断レプリカ法を用いたタンパク質粒子の局在解析法)を開発するなど、極めて高度な技術を持つ基礎研究グループが研究プロジェクトを支えています。
2002年には、6872匹のモデル動物を収容可能な飼育室、P2実験室、洗浄滅菌室、清浄倉庫などから成る、約200㎡のSPF(specific pathogen free:特定の微生物・寄生虫に感染していない)動物施設が完成。遺伝子、細胞レベルから、動物、ヒトレベルまで観察できる環境が整ってきました。
脳の機能と構造を視る基盤となるイメージング技術を確立
順天堂大学は“脳の病態研究”に関して世界をリードする研究グループが数多く存在し、Clinical Neurolog(臨床神経学)分野では国内トップレベルの研究業績を挙げています。それらの知見を生かし、2016年からの3年間、当センターが中心となって文部科学省「私立大学研究ブランディング事業」による「脳の機能と構造を視る:多次元イメージングセンターに関するプロジェクト」に取り組んできました。
プロジェクトの核となったのは、当センターで神経科学研究に携わる臨床(脳神経内科・脳神経外科・精神科・放射線科)のグループ、基礎研究室(生理学・形態学・再生医学)のグループに加えて、本学大学院スポーツ健康科学研究科の健脳プロジェクトに携わる研究室です。このような体制により学際的・先端的な研究拠点を構築することで、研究分野の飛躍と発展を目指しました。
プロジェクト名にもある通り「脳の機能と構造を視る」ためには、細胞から神経回路を経て個体へと、一貫した解析が可能なイメージング技術の確立が必要です。そのためにマクロ(患者/健常者/トップアスリート・動物)からミクロ(細胞)までのイメージングを連結させた高精度な神経回路の解析を可能にする多次元イメージングのセンター化を図ってきたのです。
さらに、順天堂大学の豊富なリソースによる一連のシステム=ヒト脳(患者-健常人-トップアスリート)、動物脳(疾患モデル(エイジング)動物-コントロール(若年)動物-高運動能力動物)、各種神経細胞(疾患iPS細胞-健常者iPS細胞-トップアスリートiPS細胞)をマクロからミクロまでシームレスに解析。こうして蓄積されたデータをもとに、精神・神経疾患の診断に関わるバイオマーカーなどを新たに同定することが可能な体制が整えられました。
血清中の異常なタンパク質凝集を検出 病気の診断やさらなる病態解明に期待
最新の研究成果には、これまで難しいとされてきた老人性疾患の治療に向けて、大きな一歩を踏み出すものがあります。その1つが、パーキンソン病研究の服部信孝教授率いる神経学グループによる「神経変性疾患の中でもパーキンソン病に代表されるシヌクレイノパチーの血清を使った診断法の確立」と題した研究成果です。
パーキンソン病をはじめとした神経変性疾患の中でも、シヌクレイノパチーと呼ばれる疾患は、脳や全身にα-シヌクレインというタンパク質の凝集体が病的にあらわれて神経の細胞死により発症します。シヌクレイノパチーは、ふるえや動きが鈍くなるなどのパーキンソン症状、認知症、自律神経機能障害などの多彩な症状があらわれる進行性の難病であり、現在は有効な治療法がありません。
そんな中、研究グループは、「全身への病気の広がりに血液を介した経路が関与している可能性がある」という仮設を立て、パーキンソン病などの患者さんの血液(血清)から、α-シヌクレインを凝集させる“種”となる、病的な構造を持つ凝集体「α-シヌクレインシード」を検出することに成功しました。さらに、血清に存在するα-シヌクレインシードは疾患によって構造や性質が異なっていることを世界で初めて見つけ出しました。α-シヌクレインシードのタイプを調べることで、疾患の鑑別ができる可能性を示唆したのです。
これらの研究成果は、神経疾患を血液検査で簡便に診断できる可能性を示しただけでなく、疾患によってα-シヌクレインシードの構造が異なる原因を突き止めることで、さらなる病態解明や治療法などに役立つことも期待できるでしょう。
さまざまな加齢関連疾患を引き起こす老化細胞を除去するワクチンを開発
もう1つの注目すべき研究は、20年以上にわたって老化研究をリードしてきた南野徹教授率いる循環器内科グループによる「老化細胞除去ワクチンの開発」です。
「老化細胞」の1つの形として、南野グループは、加齢や肥満などに基づく代謝ストレスにより染色体が傷つき、それ以上細胞分裂できなくなった細胞を同定しています。研究グループは、そのような老化細胞が加齢によって組織に蓄積することで慢性の炎症などを引き起こし、アルツハイマー病や生活習慣病などの加齢関連疾患が発症することを明らかにしてきました。
最近の研究では、蓄積した病的な老化細胞を除去することができれば、老化関連疾患の症状を改善できることがわかってきました。しかし、老化細胞を除去する薬は健康な細胞にも影響するため副作用の懸念があります。そこで研究グループは老化細胞だけを除去できる目印になるタンパク質を探し、マウスの老化細胞に特異的に発現するタンパク質を同定し、老化抗原となるかさらに研究を進めました。
老化抗原がわかれば、それだけを狙った攻撃が可能になります。老化抗原をターゲットとする老化細胞除去ワクチンを作成してマウスに投与したところ、老化細胞が除去されて糖代謝異常や動脈硬化が改善しただけでなく、早老症マウスの寿命を伸ばすことが確認できました。また、疾患ごとに異なる老化抗原をターゲットとして治療することも考えられます。
健康に年齢を重ねられる将来のために若手研究者の育成と環境整備を進める
日本人の平均寿命は84.62年で女性は87.57年、男性は81.47年で、65歳以上の高齢者の占める割合は29.1%、75歳以上は14.9%です。これだけの超高齢社会の中にあって、私たちは未だに「老化とは何か」という問いに答えを見いだすことができていませんが、老化という現象を解き明かし、老化と疾患のつながりから治療法を開発するところまでが当センターの目指すものです。
そのためにはセンターや大学内に閉じた研究を行うのではなく、広く学内外の若手研究者にも手を差し伸べ、日本における老人性疾患の病態・治療・看護の研究センターとすることが必要です。
当センターのスタッフも神経学、細胞生物学(脂肪滴の生物学)、神経変性疾患とリソソーム/オートファジーの障害(神経細胞の溜まり病:代謝産物が分解されないために神経細胞に溜まることで神経変性が引き起こされる)などの研究を進めています。さらに、これまでに述べたさまざまな脳内物質の局在を電子顕微鏡レベルで解析する技術を始め、光顕/電顕の技術開発を通して広く共同研究を進めています。
また、共同研究、学際的研究を推進することもセンターのミッションの1つです。そのために共同研究室、共同機器室のスペースを設け、加齢や老化に関連した研究者が積極的に利用できる、また利用しやすい研究棟を構築していくことを計画しています。現在、当センターで所有している電子顕微鏡や独自のイメージング技術はもちろんのこと、より多くの研究者が気軽に利用できるような基礎的な機器類や実験をサポートするスタッフも充実させていかなければなりません。
今後ますます老人性疾患病態・治療研究センターの役割は大きくなっていくと考えられますし、健康な状態で年齢を加えられる社会が実現できるように当センターの研究力の向上は想像以上に重要であると認識しています。
研究者Profile
内山 安男
Yashuo Uchiyama
大学院医学研究科老人性疾患病態・治療研究センター
センター長
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