独自のイメージング技術を駆使し「形態学的アプローチ」で脳の基本構造を解き明かす

研究代表者
大学院医学研究科脳回路形態学教授 日置 寛之

ヒトの脳は、認知、思考、判断、記憶などの高次機能を驚くほど効率的に実現しています。例えば、ヒトの子どもはわずか数回の試行で、親の行動を真似るといった学習をすることができます。最先端のAIでも難しいとされるような学習を、なぜヒトの脳は簡単にやってのけるのか——。大学院医学研究科脳回路形態学の日置寛之教授は、脳神経回路の基本構築を解き明かし、脳機能の本質に迫る研究を行っています。キーワードは「形態学」。臨床研究の基盤ともなるこの研究は、JSTの「創発的研究支援事業」に採択されています。

「かたちを見る」ことで生命現象の本質に迫る

ヒトの脳には、100億から1000億もの神経細胞(ニューロン)が存在しており、これらをつなぐシナプスを介して情報を交換しています。それぞれの神経細胞には、数千を超えるシナプス入力があると考えられており、非常に複雑なネットワークを形成しています。この密なネットワークこそが脳の高次機能を実現する実体であると考えられており、世界中でさまざまな研究が進められています。

特にこの10年、日本では「革新脳プロジェクト(革新的技術による脳機能ネットワークの全容解明プロジェクト)」、米国では「ブレイン・イニシアチブ」、欧州では「ヒューマン・ブレイン・プロジェクト」など、世界中で脳神経科学の大型研究プロジェクトが展開され、脳の理解が加速度的に進みました。

研究アプローチは主に2つあります。1つは脳の構造を見る形態学的アプローチ、もう1つは脳の機能を見る生理学的アプローチで、私の専門は前者の「形態学」です。「構造なき機能はない(形能不離)」を信条とし、「かたちを見る」ことで、生命現象の本質に迫ろうと日々努力しています。最先端のAIをしのぐ超並列演算を実現するヒトの神経回路について、その基本構造を形態学的アプローチによって明らかにすることで、脳機能の本質的な理解につながると考えています。

脳の基本構造がわかれば、動作原理が明らかになり、そこから異常の検知もできるようになります。例えば、アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患は、神経細胞が脱落することにより神経ネットワークが変容し、さまざまな症状を呈することがわかっています。また、統合失調症や自閉症の患者さんでは、大脳皮質の興奮性神経細胞である錐体細胞において、スパイン(棘突起)と呼ばれる主に興奮性のシナプス入力を受ける構造が減少して、神経ネットワークが変容していることが知られています。研究によって、こうした神経・精神疾患の病態解明にも迫りたいと思っています。

脳の恒常性を探る

研究では、主に以下の4つの課題に取り組んでいます。
1つ目は「神経ネットワークの基本構造をシナプスレベルで捉える研究」です。神経細胞は、数千を超えるシナプス入力を受けながら、並列演算処理を実行することが大きな特徴です。ただし、単一の神経細胞が受けるシナプス入力の総数とその空間配置については、技術的な成約から不明な点が多いのが実状です。そこで、並列演算処理の基盤であるシナプスの入力数と入力部位を定量的に解析して、「神経回路の構造」をきちんと理解することを目指しています。それが、脳の動作原理解明につながると考えます。

2つ目は、「マウスの行動変容を支える神経ネットワーク基盤の解明」です。神経ネットワークは、外界から絶えずさまざまな入力を受けながら、高次機能を実現しています。それらの入力は予測不能なもので、神経ネットワークがどのように均衡状態を保っているかは謎のままです。そこで現在は、マウスに運動を学習させた場合や心理ストレスを与えた場合に、神経ネットワークがどのように変容するかをシナプスレベルで調べています。神経ネットワークは興奮性シナプスと抑制性シナプスの絶妙なバランスの上で機能していると考えられており、これらの空間的なバランス変化に注目して研究を進めています。

3つ目は、「神経変性疾患における神経ネットワーク変容を超早期に捉える研究」です。アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患では、発症前から神経ネットワーク構造に何らかの変容が生じていると考えられています。神経変性疾患モデルマウスを用いて、独自に開発したイメージング技術を駆使し、発症前の超早期段階で神経ネットワークの変容を調べています。この取り組みにより、病態メカニズムの理解や発症前診断の確立、さらには発症の予防に繋がることが期待されます。

4つ目は、「形態解析を加速するイメージング技術群の開発」です。「かたちをよくみる」バイオイメージングは、生命現象の真理を理解する上で必須の技術であり、「標識」「観察」「解析」という3つの技術が特に重要です。「標識」は、特定の細胞や分子を蛍光タンパクで可視化する技術です。研究では、独自のウイルスベクターという技術を使って、神経細胞を隅々まで標識して解析しています。「観察」は、顕微鏡観察技術のことです。最近では、通常の光学顕微鏡よりずっと高い解像度で観察できる超解像顕微鏡や、三次元観察が可能な電子顕微鏡などが登場し、順天堂大学にも最新の機器が導入されています。さらに、脳組織を透明化して深部まで観察することを可能にする「組織透明化技術」の開発も推進しています。最後の「解析」は、データサイエンスの応用により大きな進展を見せています。医学研究分野にも機械学習や深層学習の応用が急速に進み、膨大な量のデータ解析が可能になっています。

神経ネットワークの状態は、外界との相互作用によって刻一刻と変化します。外界からの入力がよいものであれ、悪いものであれ、環境に適応するために神経ネットワークは常に更新され続けます。これによって、新たな機能の獲得(学習)や喪失(疾患)が生じる一方で、自己は一定に保たれます。上記研究テーマを通じて、脳(自己)の恒常性を解き明かしたいというのが私の大きな目標です。

順天堂大学を全国の若手研究者が集まる拠点に

現在、私たちの研究室には、日本中から若手研究者が集まっています。医学だけでなく、工学、理学、薬学など幅広いバックグラウンドを持つ研究者たちが、それぞれ研究費を獲得して、最先端のイメージング技術を駆使しながら独自の研究を進めています。こうしたイメージング技術の開発においては、理化学研究所や東京大学、京都大学など多くの研究機関と共同研究を展開しています。順天堂大学の神経内科を中心とした臨床研究グループとの共同研究も大きく進展しており、また研究支援体制にも大いに助けられています。最新の実験機器を共用で使用できることで、専門外の実験にもチャレンジすることができます。また、各種の研究助成申請においては書類作成の段階からきめ細かいサポートが受けることができ、報告書やプレスリリースを作成する際の添削などにも対応いただけるなど、研究に集中できる環境が整っています。このような充実した研究環境が、多くの若手研究者を惹きつけているのだ思います。

今後の展望ですが、本研究で得られる知見と解析技術をもとに、神経回路が実現する超並列演算メカニズムの基盤を解明することで、脳型コンピュータの開発など、生物学の枠を超えて他分野との融合を積極的に目指したいと考えています。また、慢性心理ストレスが個々のシナプスを改変し、神経ネットワーク構造を変容させるメカニズムを解明することで、心理ストレスに対応・適応する新規ストレス対処法の創出などにも挑戦したいと思っています。

こうした研究者ネットワークをフルに活用して、順天堂大学から世界初の研究成果を発信していきたいと思います。

研究者Profile

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日置 寛之

Hiroyuki Hioki

大学院医学研究科脳回路形態学 
大学院医学研究科神経機能構造学(併任)
医学部神経生物学・形態学講座(併任)
教授

2003年、京都大学医学部卒業. 2008年、同大学院にて博士号取得(医学). 京都大学大学院医学研究科高次脳形態学助手、助教、理化学研究所脳科学総合研究センター客員研究員などを経て、2021年より現職. 京都大学大学院医学研究科や東京慈恵会医科大学などで客員研究員を、東京大学医学部や北海道大学大学院医学研究科などで非常勤講師を務める. 神経解剖学を専門として、「かたちをよくみる」ことで得られた知見をもとに、分子生物学・生理学・理論神経科学などへと分野横断的に研究を展開.