「糖鎖修飾」の謎を解明し、骨格筋量減少による加齢性疾患の治療に活かす

研究代表者
健康総合科学先端研究機構特任助教 林地 のぞみ

生体はおよそ250種類以上の細胞で構成されており、それぞれの細胞内では、実に多様なタンパク質が産生されます。そのタンパク質にバリエーションを与える大切な工程のひとつが「糖鎖修飾」です。健康総合科学先端研究機構の林地のぞみ特任助教は、糖鎖をつくる「糖転移酵素」の働きを解明することで、「健康寿命」を支えるための臓器として注目を集める「骨格筋」の減少などの原因を探る研究に取り組んでいます。卓越研究員としての成果と最近の研究についてご紹介します。

キーワードは「糖鎖修飾」と「骨格筋」

研究テーマは、「糖転移酵素Fut8の骨格筋に対する機能解明」。研究キーワードはふたつあり「糖鎖修飾」と「骨格筋」です。

まず、「糖鎖修飾」についてお話します。細胞内ではDNAの情報がmRNAに転写され、翻訳という工程を経て、タンパク質が合成されます。ここでさまざまな機能を発揮するには、さらに「翻訳後修飾」を受ける必要があります。例えば、合成されたタンパク質に「糖鎖」が付加されることで、タンパク質の安定性が高まり、分解の速度を変化させたり、細胞同士の情報交換が可能になります。 糖鎖とは、グルコース、ガラクトースなどの単糖が結合して鎖状になった構造体です。糖類および炭水化物の構成要素で、生命にとって不可欠の要素です。「ゴルジ体」と呼ばれる細胞内小器官で、タンパク質に糖鎖が付加され、上記のような機能が発現します。これが「糖鎖修飾」です。 生体はおよそ250種類以上の細胞で構成されており、細胞内のタンパク質に糖鎖を付加することで、さまざまな機能が得られます。例えば、A・B・O式血液型は、赤血球の糖鎖の分岐の種類によって決定されます。O型が持つ糖鎖が基本となり、A型とB型は異なります。AO型、BO型の人には、少量であればO型の人の血液を輸血できるのはそのためです。その他、ウイルス感染や細胞のがん化にも糖鎖が関与していることが知られています。

次に、「骨格筋」とは、身体動作をつかさどる運動器官としてだけでなく、エネルギーの貯蔵・発熱、骨格筋が分泌する分子マイオカインの産生など、生命の恒常性の維持に重要な臓器でもあります。近年、健康に生活できる期間を指す「健康寿命」と骨格筋量は比例関係にあり、加齢により骨格筋量が減少する「サルコペニア」が問題となっています。このように骨格筋は、急速に進む高齢化問題の解決に貢献できる可能性がある臓器としても注目を集めています。

糖転移酵素「Fut8」が骨格筋に与える影響を世界で初めて報告

改めて、研究テーマ「糖転移酵素Fut8の骨格筋に対する機能解明」について、詳しく説明します。糖鎖は、構成する単糖の種類や結合位置と順番を組み合わせることで、タンパク質に非常に多くのバリエーションを与えています。ここで糖を結合させる働きを持つ酵素が「糖転移酵素」になります。

私の研究対象である糖転移酵素「Fut8(Fucosyltransferase 8)」は、N型糖鎖の根本のN-アセチルグルコサミンに「コアフコース」と呼ばれるフコースをひとつ付加してできる糖鎖をつくることができる唯一の酵素です。Fut8は、生体に幅広く発現しており、脳神経細胞やがん細胞の領域で盛んに研究されてきましたが、骨格筋での作用は明らかにされていませんでした。

そこで私は、ゼブラフィッシュと呼ばれる小型の魚類を用いて、Fut8発現の低下が筋発生に与える影響を実験により観察しました。その結果、Fut8の発現が低下した稚魚は、ほとんど孵化することができないことが明らかになりました。まだ原因までは特定できていませんが、Fut8の発現が低下すると「サルコメア」と呼ばれる骨格筋の最小構成物、「マイオセプタ」と呼ばれる哺乳類の腱に相当する器官の形成異常が認められたので、その関連性を調べています。

また、哺乳類の骨格筋株化前駆細胞の一種を用いて筋分化におけるFut8の作用を調べたところ、筋分化が進むにつれてFut8の発現が上昇すること、分化時にFut8を阻害すると筋分化が著しく抑制されることも明らかになりました。
これらの結果により、Fut8が骨格筋の発生・分化に重要な役割を果たしていることを世界に先駆けて報告しました。

研究を支える順天堂大学の人的ネットワーク

この研究に取り組むようになったきっかけは、骨格筋の再生に関与する因子を探索していたときに、いくつかの候補の中からFut8を見出したことです。当時、骨格筋におけるFut8の役割はまったく解明されていませんでした。さらに、糖鎖を研究するためには専門家の知識が不可欠であり、教科書的な知識だけではとても太刀打ちできず、問題山積の状態でした。

それでも骨格筋の分化において、ほんのわずかにFut8の値が上がっていることがどうしても心から離れませんでした。これは研究者の直観のようなものかもしれません。そこで、まったく新しい分野に切り込む挑戦をしたいと考え、文部科学省卓越研究員事業に申請し、無事採択されました。それをきっかけに、Fut8研究の先駆者である東北医科薬科大学の顧建国教授との共同研究をスタートし、飛躍的に研究を進めることができました。

Fut8解析のため、研究スタート当初は遺伝子改変マウスを使用していました。しかし、Fut8が欠損したマウスは出生後ほとんどが死んでしまうため、なかなか解析を進めることができませんでした。そこで、東京医科大学の林由起子教授、川原玄理准教授との共同研究を通して、ゼブラフィッシュを用いた解析手法を知り、問題を解決しました。

これらの共同研究はすべて、研究メンターである順天堂大学老人性疾患病態治療研究センター平澤恵理教授の紹介によって実現したものです。この研究は、まさに順天堂大学のネットワークによって成り立っています。卓越研究員事業終了後も同じ待遇で研究を続けられる環境をご用意いただいています。同じ場所で同じ研究を続けられることは、研究者にとって大きなアドバンテージだと思っています。

ほかにも順天堂大学は共用の研究施設が非常に充実していると感じています。電子顕微鏡や共焦点顕微鏡といった研究室単体ではなかなか購入できない高価で最新の実験機器が無料で使用できます。私は非侵襲で細胞の動きを詳細に観察できる「SI8000」という分析装置をよく使用しています。また、科研費の申請書作成サポートにも本当に助けられており、順天堂大学のURA職員の皆さんからいただく客観的な指摘により、科研費の採択率も格段に上がっています。

研究成果を筋萎縮や筋ジストロフィーなどの疾患治療につなげたい

私は大学院の修士・博士の頃、デュシェンヌ型筋ジストロフィー(DMD) という根治療法が確立されていない遺伝子疾患の治療研究を行っていました。最初の数年は、自分の興味や関心を満たすために実験に没頭していましたが、研究成果を通じてDMDの患者さんの声を聴く機会を得たことで、研究は自分のためにあるのではないのだと研究者としての重責を初めて自覚し、患者さんの期待に応えたいという強い気持ちをモチベーションとして、今も研究を続けています。

Fut8が欠損したマウスは、著しい筋再生不良や筋萎縮を起こします。つまり、コアフコースの有無でこれら病態に作用しているタンパク質が存在することが示されています。現在は、骨格筋の萎縮に焦点を当てて標的タンパク質の同定、コアフコース付加による機能変化について研究を進めています。これらの研究成果を筋萎縮や筋ジストロフィーといった疾患治療研究につなげたいと考えています。

研究者Profile

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林地 のぞみ

Nozomi Hayashiji

健康総合科学先端研究機構
特任助教

2009年近畿大学生物理工学部卒業. 2015年慶應義塾大学大学院医学研究科修了. 慶應義塾大学医学部循環器内科博士研究員、東京医科歯科大学難治疾患研究所日本学術振興会特別研究員を経て、2017年から順天堂大学大学院医学研究科ゲノム再生医療センター卓越研究員事業特任助教. 2023年より現職.