「エクソソーム」の機能を解明し脳梗塞の新たな治療法を確立する

研究代表者
山梨大学大学院医学域内科学講座神経内科教室 教授
順天堂大学医学部神経学講座 客員教授
上野 祐司

脳卒中は、要介護となった患者さんの病因の3分の1を占める重篤な疾患です。なかでも脳の血管が詰まる脳梗塞は、脳卒中の7割を占めます。近年、脳梗塞急性期の治療は劇的に進歩していますが、慢性期の脳機能再生を目的とした治療はまだ確立されていません。順天堂大学医学部神経学講座の上野祐司准教授(2022年6月取材当時)は、脳梗塞によってダメージを受けた脳組織の修復、さらに神経再生を促進する新たな治療法の開発に挑んでいます。そこで注目したのは、細胞から分泌される物質「エクソソーム」でした。本研究は、JSTの「創発的研究支援事業」に採択されています。

脳卒中患者の7割を占める「脳梗塞」

「脳卒中」は日本人の国民病のひとつとして知られています。これは、脳の血管が詰まる脳梗塞、脳の血管が破れる脳出血、脳動脈瘤が破裂するくも膜下出血の総称です。脳卒中の患者数は、約118万人にのぼり、日本人の死亡原因の第3位となっています。なかでも脳梗塞は、脳卒中患者の7割を占める重篤な疾患です。 この15年で血栓溶解療法や、カテーテルによる血栓回収などの治療法が発達し、脳梗塞急性期治療は劇的に進歩しました。それでも運動麻痺や失語症といった後遺症によって、介護を必要とする患者さんはたくさんいます。後遺症に対しては、リハビリテーションによって失われた機能の回復が図られますが、その効果は限定的です。そして、脳の機能再生を目的とした治療はまだ確立されていません。脳はたいへんデリケートで、一度機能が失われると元通りにするのはなかなか難しいのが実状です。 脳梗塞には、大きく急性期、慢性期の2つの病態が存在します。急性期では、虚血障害や炎症が起こり脳梗塞の再発の危険性が高まります。一方、亜急性期からは梗塞部位の組織修復が始まり、慢性期には脳神経細胞の突起にあたる「軸索」が再生し、機能回復に重要な役割を担います。急性期の炎症の制御、慢性期の神経細胞再生促進による機能回復が脳梗塞患者の後遺症軽減につながるのは間違いありません。そこで私は、慢性期(回復期)における脳梗塞患者の脳神経細胞の再生医療に取り組んでいます。

エクソソーム中のmicroRNAが脳組織を修復する

私の研究チームが手がける脳梗塞再生医療において、キーワードとなるのが「エクソソーム」です。これは人間のあらゆる細胞から分泌される「膜小胞(まくしょうほう)」と呼ばれる物質で、直径約50〜100nm(ナノメートル)という微細なものです。このナノサイズの膜小胞には、microRNA、mRNA、DNA、たんぱく質などさまざまな物質が含まれていて、中枢神経系において、細胞間の連絡の役割を担うことがわかっています。

私たちの脳には、神経細胞が無数に存在します。各神経細胞は、「軸索」と呼ばれる突起を伸ばして、他の神経細胞とつながることで、手を動かす、言葉を話すといった脳からの命令が発信されます。また、神経細胞は、マイクログリア、アストロサイト、オリゴデンドロサイトといった周辺の「グリア細胞」とも密接に連携しています。私は、こうした細胞間の密接な連携において、エクソソームが重要な役割を担っていると考えています。

具体的には、エクソソーム中の特定のmicroRNAが脳梗塞によってダメージを受けた脳組織の修復、さらに神経再生を促進する働きがあることが数々の研究結果として報告されています。しかしながら、エクソソームが脳梗塞の組織に取り込まれる過程や取り込まれた後に抗炎症や神経再生を発揮するメカニズムは明らかにされていません。そこで私は、エクソソームやその中のmicroRNAを網羅的に解析して、その機能を詳しく調べています。

軸索再生の機能を持つmicroRNAの候補を同定

研究を進めるなかで、脳梗塞慢性期における組織の回復過程で、グリア細胞から神経細胞にエクソソーム中のmicroRNAが運ばれていること、そのmicroRNAの中には、軸索再生を促し、機能障害の回復に寄与しているものがあることがわかりました。軸索再生の機能を持つmicroRNAを同定し、それを人工的に増やして、脳梗塞患者に投与できれば、後遺症を改善できる可能性があります。 研究室では、すでにラットを使った実験において、一定の条件を加えたエクソソームが脳梗塞後の組織修復、神経再生、また脳梗塞ラットの運動機能回復を促進させる作用があることを明らかにしています。また、microRNAの網羅的解析を行い、約3000種の中からいくつかの候補も同定しています。現在は臨床試験に向けて、さらなる研究を進めているところです。

アメリカ留学で現在の研究テーマと出合う

私は順天堂大学医学部卒業後、脳神経内科の医師・研究者として、キャリアを積んできました。現在の研究に至るターニングポイントとなったのは、医師10年目となる2009年に、米国ミシガン州ヘンリーフォード病院に留学したことでした。私は、ここでの出合いをきっかけに、神経機能回復の必須要素である軸索再生を主眼とした研究を始めました。当時、脳梗塞急性期における病態解明、創薬開発に多くの研究者が取り組んでいましたが、慢性期に目を向けた研究者は少なく、ここで独自性の高い研究テーマが見つかったと思っています。

2011年に順天堂大学に戻り、エクソソームの働きに注目した研究を本格的にスタートし、現在に至ります。順天堂大学には、基礎研究を積極的に推進するという大きな流れがあり、そのおかげで先進的な挑戦も可能です。また、最先端の分析機器、優秀なスタッフがいる環境にも大いに助けられています。2021年からは、パーキンソン病研究の第一人者である服部信孝教授や製薬会社と共同で、脳梗塞後遺症・パーキンソン病における新規治療開発の共同研究もスタートしました。

山梨大学医学部で主任教授として研究を継続

私の目標は、神経細胞の軸索再生を担うmicroRNAを持つエクソソームを人工的に増やし、脳梗塞慢性期でリハビリ中の脳梗塞患者さんに投与することで、新たな治療法を確立することです。エクソソーム治療は、従来の間葉系幹細胞を移植する治療と比較して、免疫応答や腫瘍化のリスクが低く、安全な治療効果が期待できます。また、エクソソームは冷凍保存が可能で、保存費用のコスト削減も可能です。

2022年7月からは順天堂大学を離れ、山梨大学医学部主任教授として、赴任することが決まりました。ここで臨床業務や医学教育とともに、脳の基礎研究に特化する山梨大学 山梨GLIAセンターとも連携して、順天堂大学から引き継いだこの研究をさらに発展させるつもりです。新たな治療法を確立し、脳梗塞の後遺症で悩む世界中の人々を救えればと思っています。

研究者Profile

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上野 祐司

Yuji Ueno

山梨大学大学院総合研究部医学域内科学講座神経内科教室 教授
順天堂大学医学部神経学講座 客員教授

2000年 順天堂大学医学部卒業. 2002年 順天堂大学医学部附属順天堂医院脳神経内科助手. 2009年 米国ミシガン州ヘンリーフォード病院神経内科. 2011年 順天堂大学医学部附属浦安病院脳神経内科助教. 2014年 順天堂大学医学部神経学講座准教授. 2021年 山梨大学大学院総合研究部医学域内科学講座神経内科教室教授、順天堂大学医学部神経学講座客員教授. 2015年日本心臓財団草野賞、2021年 順天堂大学医学部同窓会学術奨励賞.